あなたを手放しはしない
甘々ラブラブな展開ではありません、あしからず。
うう、とまた私は隠れて泣く。暗い真夜中に、誰もいない裏庭で。
私の名前はカイネ、十六歳。明るくて元気が取り柄だったんだけれど…ここ最近は思いっきり沈んでいる。
昨日は屋敷の玄関を掃除していたら滑って転んだ。でもその原因は私がドジだからというだけではない。タイルが油のような、ぬるぬるとした何かで塗られていたからだ。わざと私が転ぶように塗られていたのだ。
でもこんなのはまだ可愛い方だ。
階段下に居れば上から水をかけられるし、夕食は勝手に抜かれるし、いつの間にか私の持ち物は消えているし。
そう、私はこのベンダム伯爵様のお屋敷でいじめに遭っているのだ。
私は貧乏の落ちぶれ貴族の末娘で、華々しく社交界デビューとかできるような余裕はなかったから、こうして使用人として半年前から働きに来ているわけだが…。
「私が何をしたって言うのぉ…」
屋敷の人たちは皆優しい。新参者の私にも親切にしてくれるし、仕事だって丁寧に教えてくれる。他愛のない話もしてくれたし、笑いあって冗談も言い合っていた。
でもその中に一人、私の事を目の敵にする人がいる。エリーゼ様だ。エリーゼ様は今年二十歳の美しい人で、なんでも伯爵家に住んでいるどこかの令嬢とか…。伯爵家と縁続きの家柄のご出身らしく、身体が弱いためにこの緑豊かでのどかな伯爵領にご静養にいらしている。
エリーゼ様に嫌われているだろうとは知っていた。じろりと私を睨むし、私のことを「そこのクズ」とか「出来損ない」「落ちぶれ」とか言うし…。
いじめが始まったのは一か月前くらいから。最初は全く気付かないくらい小さな悪戯から、明らかに嫌がらせに変わり、そしていじめと呼べる事までされるようになった。
私が酷い目に遭う度に、皆は慌てて庇ってくれる。可哀想に、酷いと言う。けれどエリーゼ様がやっていると言っても皆は信じてくれない。自分たちも同じ目に遭いたくないからエリーゼ様はそんな事しないよ、と私に諭す。本当はエリーゼ様がやっていると分かっているはずだろうに、何も出来ないからそうやって言うんだ。
今日は初めてぶたれた。お茶がまずいという理由で、机の上に置いてあった本で何度も何度も背中と肩と頭をぶたれたのだ。他の使用人がいないところでエリーゼ様は私にそういう事をするから、当然誰も止めには入らない。
体中が痛い。けれど心の方がもっと痛い。精神的に限界で、もう辞めてしまおうかと思っているところだ…。でも辞められない理由があって…
「……カイネ…?」
「……っ!!」
背後からかけられた声のせいで、心臓が身体から飛び出るくらい驚いた。こんな真夜中、絶対に誰も来ないと思っていたのに!勢いよく振り返れば、伯爵家の一人息子、リンク様が立っていた。
「リ…リンク様……っ…」
「部屋に行ったら居なかったから探したよ。こんな夜中にこんな所で…」
苦い顔で私に近寄ると、ぽんとその手を私の頭に置いて優しく撫でてくれた。その瞬間、一旦引っ込んだ涙がまた流れ出す。
「リ……リンク様ぁああ……!」
そして彼に抱きついてわんわん泣いてしまった。
そう、私が辞められない理由はリンク様だ。私とリンク様は相思相愛なのだ。彼の傍に居たいから、私はこの屋敷を出たくないのである。
「……落ち着いた?」
リンク様はご自分の部屋に私を招き入れてくれて自ら紅茶を淹れてくれた。その温かさに、ようやく私もほっとした。
「…それで?今日は何をされたの?どうせまたエリーゼ絡みでしょう?」
リンク様は私がエリーゼ様に辛く当たられているとご存知だ。私から言わなくても、彼の方から気付いてくれた。
「仕方ないなあ…エリーゼの奴…。ごめん、カイネには辛い想いをさせて…」
「い…いえ…」
「それで?今日は何をされたの?」
告げ口をするようで嫌だったが、正直に話せばリンク様は顔をしかめて溜息をついた。
「益々やる事が酷くなっているな…エリーゼの奴…。本当、ごめん。あんなのが親戚とは…恥ずかしいよ」
「いえ…その…リンク様にそう仰ってもらえるだけでも幸せですから…」
「…エリーゼはあと半年くらいしたらアルツバーク侯爵の元に嫁ぐことになるから。それまで我慢していてくれる?」
「……え?そうなのですか…?エリーゼ様、嫁がれるのですか…?」
「うん」
「でも…このお屋敷に来た時にはそんな話はなかったと記憶していますけれど…」
「ああ、そうだね。決まったのはつい先日だよ。この屋敷に来たのは本当に体を休めるっていう目的があってなんだけれど…でもカイネに酷い事してばっかりだし…何なんだろうね、あいつ」
「………」
「きっとカイネが可愛いから嫉妬しているんだよ。エリーゼの奴は自分が一番じゃないと気が済まない奴だから」
「………ふえ…」
優しい言葉をかけられてまた涙腺が緩んでしまった。リンク様の気遣いが心に染みる。
リンク様は優しい笑顔で私を抱きしめてくれた。よしよし、とまるで子供のように慰めてもくれる。
「それはそうと、カイネ、服を脱いで背中を見せてごらん?」
「っ!?」
「エリーゼに叩かれて殴られたんだろう?いいから、見せてごらん」
確かに背中と肩がとても痛いけれど、まさかリンク様に背中を晒すわけには…!けれどお構いなくリンク様は私をくるりと後ろ向きにさせると、するすると服を下ろして私の背中を見た。
「これは…。アザになっているね。随分強く殴られたみたいだね…可哀想に」
前を隠しながら背後に立っているリンク様の顔を見ると、困ったような表情をしている彼がそこにいて。
「ちょっと待っててね。冷やしてあげるから」
ハンカチを濡らしてくれてアザになってしまっているところに当ててくれているようだ。ひんやりと冷たい感覚が伝わってくる。それが気持ち良い…。
「服で隠れていて良かったね。結構腫れているし…。数日は痛むだろうけれど…また痛くなったら僕に言って?こうして冷やしてあげるから」
「……うう…ふぇええ…リンク様…ありがとうございますうううう!」
「大袈裟だなあ。泣かないでよ。僕はこうしてカイネに何かしてあげられて嬉しいんだから」
私はこの人の優しいところが好きなんだ。労わるように抱きしめてくれると安心できて、でもドキドキして…。堪らなくこの人が好きなのだ。
「リンク様ぁあああ!好きです…本当に好きですぅ…!リンク様がいるから私は頑張れますうううう!」
「はいはい。僕も好きですよ。可愛いカイネ」
「ふえぇぇえ…酷い顔ですみません…涙が止まらなくて…」
「何言っているの。カイネの泣き顔、可愛くて好きだよ」
「リ…リンク様ああ…」
辛いのはあと少し。エリーゼ様に負けないで頑張ろうと、リンク様がいるから思えるのだ。
***
私の名前はエリーゼ。あまり身体が強くないこともあり、今は緑豊かで空気が綺麗な親戚の伯爵領でリフレッシュ中である。
私は今年二十歳になる。貴族の令嬢にしてはまだ独身なのと突っ込む人もいるけれど仕方ない。私はずっとある人が好きだった。その人の事を想うと、とてもではないが他の誰かと結婚する気にはなれなかった。
しかし念願叶ってその想い人であるアルツバーク侯爵様と結婚できることになったのよ!
「ああ…アルツバーク侯爵様とついに一緒になれるのね…。嬉しくてたまらないわ…」
侯爵は私よりも二十歳以上も年上で、初めて会ったのは私がうんと子供の時。憧れはすぐに初恋に変わり、以来ずっと思い続けていた。侯爵は(当たり前だが)既に結婚をしており、子供はいないようだが、それでも夫婦仲は至って良好とのことだった。
侯爵は私なんて見向きもしてくれなかったが、しかし三か月前に夫人を亡くし、私と結婚してくれることになったのだ!
ムフフと一人にんまりと笑っていると、「何か面白いことでもあるのかい?」と声がかけられる。驚いて振り返れば、そこにはこの伯爵家の息子・リンクが立っていた。
「…相変わらず人の背後に立つのが好きねえ。驚くからやめてよ。それに女の部屋に勝手に入らないでよ」
「声はかけたよ、一応ね。君が一人で妄想していて気付かなかったのがいけないんじゃないか」
年下の生意気な親戚は、笑いながら長椅子に腰掛ける。どうせカイネ絡みで言いたい事があるんだろう。
「随分強く殴りつけてくれたみたいだね?カイネの背中と肩、すごい腫れてたよ。アザにもなってるし」
「……なんで腫れてアザになってるって知っているのよ?もしかしてあんた…」
「見たよ。カイネの服を下ろして、背中をしっかりね」
「……この変態…。無理やりあんたが脱がせたんでしょ?いやらしい…」
「君に言われたくないなあ。君だって同じようなものだろう?」
にやりと笑うリンクにイラっとする…。リンクは勝ち誇ったように続けた。
「エリーゼには感謝しているよ。君がカイネをいじめてくれるから、僕はカイネの可愛い泣き顔を見れるしね」
「………毎回思うけれど、あんた本当に最低よね…。私がカイネをいじめるのは全部あんたの指示だって、誰も知らないんでしょうし」
そうなのだ、私がカイネに辛く当たるのはこいつの指示だ。リンクに言われているから私はカイネをあの手この手でいじめ尽くす。
リンクは一見穏やかで好青年だが、内面は腐っていて最低男だ。自分の気に入った子をいじめて泣いていることに喜びを感じるらしい。けれど自分で手を下すことはせず、他人にやらせて自分はヒーロー気取り。生粋の変態、最低男。こんな男と親戚だなんてものすごく嫌だ。
「こんな男に気に入られたカイネも可哀想にねえ…。見事リンクに騙されているんじゃない」
「カイネは僕に心底惚れているんだよ。あの犬みたいな態度で、目を潤ませて僕にすがってくる姿なんて…最高だよ」
「……あんた、カイネをどうするつもりなの?結婚するの?」
「さあ。まだそこまでは考えてないよ。でもその前に、もっと僕にすがらせたい。カイネの世界には僕だけしかいないというまでにしたい。そして絶頂の時に叩き落して痛めつけたいんだ」
「………」
「そしてまた拾ってあげる。カイネはもう僕しか見えないだろうね…くくく…想像するだけでもゾクゾクするよ!」
「……カイネも馬鹿ね。こんな男のどこがいいんだか」
「馬鹿なところがカイネのいいところだよ。元気で純粋で頭が弱くてさ…。もう最高に可愛いよ」
リンクと話していると、いつも閉口してしまう。伯爵様はまともなのに、どうしてこいつはこう育ってしまったのだろうか。
「私も大概だけれど、あんたはもっとだわ」
「そう?このくらいどうってことないでしょう?」
「……言っておくけれど、私はあんたの事嫌いよ?」
「ええ?そんな事言わないでよ。僕はこれでもエリーゼの事は結構好きだよ」
「嘘を言わないでよ、嘘を。それにあんたみたいな最低男に好かれたって嬉しくないわよ」
「ははは、でもエリーゼも結構酷い性格しているからね。何だかんだ、カイネを痛めつけるの楽しんでるだろう?」
「…………まあ…否定はしないわ。いじめとか嫌がらせをする奴って人間的に終わってるって思っていたけれど…確かにハマるわね」
リンクは声を上げて笑った。
「リンク、あんたの事は好きじゃないけれど感謝はしているのよ。あんたのおかげでアルツバーク侯爵と結婚できたしね」
「はは…そうだね。交換条件だったもんね。エリーゼがカイネをいじめて、僕がアルツバーク侯爵夫人を落とすってね」
リンクは確かに酷い男だけれど、私も同じくらい酷い女。私達は同じ穴の狢だ。
「まあそれはそうと。今更だけれど侯爵との結婚、おめでとう」
リンクからの祝いの言葉に、私は笑って頷いた。
***
僕はリンク・ペンダム。ペンダム伯爵の一人息子。自分で言うのも何だけれど、見目麗しく、社交的で頭も良くて女性に人気がある。
そんな僕はある一人の子をとても気に入っている。名前はカイネ。半年ほど前から僕の屋敷で働きだした貧乏貴族の末娘だ。愛嬌があってちまちました動きが可愛くて、誰からも好かれる性格の子。僕はそんな彼女の泣き顔が一番好きだ。
もっともっと傷つけて落としてズタズタにしてしまいたい。そしてそこで僕が手を差し伸べて救ってやりたい。カイネは将来、僕しか頼れなくなるだろう。ああ、想像するだけで身体の震えが止まらないよ!
そんな僕の欲求を叶えてくれたのは親戚のエリーゼだ。エリーゼはカイネをいじめ尽くしてくれた。その度にカイネは泣いて僕にすがってくる。目をうるうるさせて僕の胸に飛びついてきて泣く姿は本当に可愛くて、ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる!全く、エリーゼには感謝しているよ。
そんなエリーゼだけれど、彼女は十年間ずっと想い続けてきた男性がいた。アルツバーク侯爵といって、今年四十歳になる。エリーゼは年上好みなのか、幼い頃よりずっとアルツバーク侯爵の事が好きだったそうだ。(確かに四十歳とは言え、侯爵はとても美丈夫だし紳士的だ)
しかしアルツバーク侯爵は既に奥さんがいる。子供がいないとは言え、侯爵と夫人の仲は悪いわけでもないし、離縁する理由も特別ない。故にエリーゼがアルツバーク侯爵をいくら想っても、それは届かない想いなのだ。
そこでエリーゼと手を結んだ。エリーゼがカイネをいじめる代わりに、僕はアルツバーク侯爵とその夫人の仲を引き裂くという内容で。
世間にバレないようにアルツバーク侯爵夫人に近寄り、僕に惚れさせる。夫人は最初こそ疑いの目を向けてきたが、やがて僕に落ちた。若くて美しい僕が熱心に愛の告白をしたんだ、心が揺れ動かないわけがない。侯爵の目を盗んで逢瀬を重ねた。
その後だ。僕に落ちた夫人に、こっそり旅行しようと告げる。侯爵にバレないように、友人と出かけると嘘をついて旅行に行こうと誘いをかけると、夫人は(結構ノリノリで)承知してきた。
待ち合わせ場所はあまり人が通らない、ある山の一つ道。道を踏み外せば谷へ真っ逆さまの山道を馬車で来るようにと指示すれば、夫人は何も疑わずに馬車で来た。
本当に馬鹿な年増女!そんな所に呼び寄せられた理由を疑いもしないなんてね。
あとは簡単だった。事前に雇った他国のごろつき達に、ちょっと馬車を襲わせると、驚いた夫人は馬車から逃げて足を踏み外し、そのまま谷へ真っ逆さま。当然お亡くなりになったってわけだ。
死んでくれれば一番助かると思っていただけに、あっさりと命を落としてくれたから思わず笑ってしまった。天は僕に味方をしてくれたと言うわけだね!
夫人が死んだ後は楽だった。僕は元々アルツバーク侯爵と懇意にしていたから、悲しみに暮れる侯爵にエリーゼをさりげなく近づけさせる。このチャンスを逃すエリーゼではない。十年分の想いをぶつけるようにアルツバーク侯爵に迫り、そして結婚までこぎつけたのだから見事としか言いようがないだろう。
侯爵がエリーゼを好きかどうかまでは知らない。僕にとっては、エリーゼが「好きだった相手を手に入れる」という目的を達成したという事の方が重要だ。
「さてさて…エリーゼは結婚してここを離れてしまうし…。エリーゼがいなくなったら、どうやってカイネを苦しめようかなあ…」
好きな子を苦しめて、それを見て喜んでいるなんて最低ねとエリーゼはよく言う。それは僕も自覚している。けれどこれは止めようもない僕の欲望なのだ。
「可愛いカイネ…。もっともっと苦しんで僕を満たしてくれ。ああ…ゾクゾクする…くくく…」
今日もエリーゼは手痛くカイネに嫌がらせをしたらしい。カイネが仕事中、隠れて泣いていたのを知っている。
もうすぐで部屋の扉がノックされてカイネが僕を頼ってくるだろう。そうしたら思いっきり慰めてあげて優しくしよう。カイネを沢山泣かせてやるんだ。
ああ、ほら予想通り…
「リ…リンク様あ…。入ってもいいですか…?」
僕の子犬がやって来た。
「いいよ、入っておいで。今日はどうしたの?」
いそいそと入ってくるカイネを見て興奮してきた。ああ、今夜も最高の気分だよ!




