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アルコの放った業火は、黒竜の体を覆い尽くした――かに見えた。
「グルアァッ」
身をよじり、黒竜が旋回する。
すんでのところで尻尾を避け、態勢を立て直す。
安全な位置まで距離を取り、黒竜の様子を伺うと、
「効いた、のか?」
「おそらく……ね」
黒竜の体半分が白く発光していた。
ファイアストームの熱を浴びた半身だけが、白くウロコの色を変えていた。
警戒しているのか、黒竜は姿勢を低くしたまま動こうとせず、唸り声を響かせている。
ひゅっ、と成宮さんの矢が風を切る。
かつん、と白色化したウロコへと当たり、跳ね返される。
「ダメ。弓矢じゃ威力が弱すぎて、ウロコを壊せないみたい」
ウロコを熱することが目的じゃない。
熱して、柔らかく――もしも柔らかくなったなら、破壊し、ウロコの先の肉体を攻撃する、それが狙い。
弓矢を弾いた様子から見ると、柔らかくはなっていないようだ。けど、諦めるにはまだ早い。
「アルコ、瓶の水を飲んでて」
「悪い、もう飲んだ」
「そうか、良かった」
「頭がぐるぐるでさ。やっぱり、一発が限度だわ」
アルコが回復したのを確認して、黒竜に向き直る。相手はまだ動かない。いつまでも睨み合っているわけにはいかない。熱はいつか冷めるものだ。
「時間がない。僕が剣で攻撃してみる」
「待って、私も行く。狙いは分散したほうがいいから」
「アタシも必死で逃げるから、気にするな」
剣を構え、ゆっくりと黒竜に近づく。
白色化した右側からは僕が、黒いままの半身側からは成宮さんが。
相手の尻尾攻撃の射程ぎりぎりまで接近する。
黒竜は様子を見るように動かない――いや、もしかして。
「動けない、のか?」
黒竜の表情は伺いしれない。勘違いかもしれない。けど、苦しそうに顔を歪め、休息しているように見えた。
体が元に戻るのを待っているのか。
そう気がついた時、体が自然と動いていた。
黒竜に急接近、尻尾だけが迫ってくるけど勢いがない、盾でいなす。白色化した半身に身を寄せ――剣を思いっきり叩きつけた。
ボコッ。
ウロコは砕けなかった。代わりに剥がれ落ちた。ウロコの下には虹色に光る皮膚が見える。
剣を、突き刺す。
「グルアアアァッ!」
黒竜の絶叫が洞穴内に響き渡る。
痛みに身をよじったせいで、吹き飛ばされそうになる。
距離を取りつつ、再びウロコに剣を叩きつける。ボコッとウロコが複数枚剥がれ落ちた。
これは、いける!
「避けて!」
成宮さんの声に我に返ると、黒竜の尻尾が頭上に迫っていた。必死に横っ飛びし、避ける。黒竜と距離が開いてしまう。
「成宮さん、これなら……!」
「ええ……あっ!?」
黒竜が跳躍した。
直後、水柱が上がる。
水の中に飛び込んだのだ。
「しまった……まずいわね」
「アイツはいったい?」
「体を冷やすつもりよ」
劣勢とみた黒竜は、その熱された半身を冷やすことにしたらしい。水中には手を出せない。ただ相手が回復するのを漫然と待つことしかできない。
「くそっ、せっかくいい感じだったのによ」
「次は警戒されるわ。ファイアストームを浴びせるのは難しいかも……」
事態を打開したかと思えば、振り出しに戻ってしまった。いや、魔法を撃てる回数が減り、相手に警戒されているとなれば、むしろ悪化したとも言える。
「けど、黒竜を倒せる可能性は見えたんだ……!」
勝てるのか分からない不安は終わりだ。
今は勝てるかもしれないという期待が緊張を呼んでいる。
裏をかかれまいと注意を払っていると、ざばあと水音がして、黒竜の頭が現れた。
飛び出してくるか、と身構えていると、どぷんと再び水中に潜っていった。
「なんだ?」
「イヤな感じだな」
「様子を見たかもしれないわ」
僕たちの位置を確認したのだろうか。
水際に避難しているのも危ないかもしれない。けど、広場の中央では押し潰される――ざばあ、黒竜の頭が現れる。
こちらを首をひねりながら見ている。
「何を考えて――」
次の瞬間、成宮さんが吹き飛ばされる。
なんだ、なにが起こった?
今度は、アルコが吹き飛ばされた。
黒竜の口元が白く光ったように見え――
構えた盾に凄まじい圧力が襲いかかる。
全身を使って、これに耐えようとする。けど、盾ごと吹き飛ばされる。
水だ。
黒竜の口から、大量の水が発射されたのだ。
背後を振り返る。
僕は盾により、かろうじて広場に残ることができた。
二人は水の中に落とされていた。
どぷん。
二人を見つめる僕の背後で、重い水音が聞こえる。
振り返ると、黒竜の姿はない。
早く二人のもとへ――
間に合わない。黒い影が成宮さんの足下から近づく。それに気がついた成宮さんが必死に泳ぐ。
黒竜が、ゆっくりと、水中から、成宮さんを口にくわえて、姿を現し――噛み砕いた。
水が赤く染まる。
恐慌状態に陥ったアルコが見える。
ぬめりと泳ぐ黒竜が、シャチのようにアルコを空中に放り投げる。そして、落下するアルコを、その鋭利な尻尾で串刺しにする。
僕は絶叫する。
二人の命を蹂躙した黒竜が、ゆっくりと陸にあがる。
残りは僕一人。ゆっくりとなぶり殺しにするつもりだろう。
首をがちがちとひねりながら、僕の周囲を歩き回る。
「グロロロ……」
舌なめずりするかのように喉を鳴らすと、体をひねり尻尾で突き刺そうとしてくる。
その速さ、勢いに防戦一方、次第に体の至るところを傷つけられていく。
遊ばれている。
取るに足らない相手、痛ぶって苦しませて殺すようだ。
何度目かの尻尾攻撃で、僕は大きく吹き飛ばされた。
洞穴の天井が遠くに見える。
流れ落ちる滝の音が遠い。
不思議と静かだ。
右半身に熱を感じる。
痛みのせいじゃない。燃える岩の熱だ。
燃え盛る火に目が吸い寄せられる。
アルコの魔法を思い出す。
成宮さんの火の矢を思い出す。
静かなのは、二人がいないからか。
そう気がついた時、猛烈な怒りが湧いてきた。
黒竜を倒さなければいけない。二人の痛みを思い知らせなければ。
決意した瞬間、目の前が緑色の光に包まれた。
体が軽い、力が、湧き上がってくる。
体中から血は流れたままだ。傷は回復していない。死に際の、最後の輝きだろうか。
緑色の光の流れを目で追うと、腰に下げた人型の人形から湧き上がっていることに気がつく。
コイツのせいか。
この光の正体はなんでもいい、とにかく今は、黒竜に一矢報いる。
僕が立ち上がると、黒竜は楽しむように喉を鳴らした。
相手が動くのを待つのも面倒だ。こちらから、攻める。
突撃する。
黒竜の尻尾が右側から迫る。
剣で弾く――いや、思いっきり斬りつける。
火花が散る。
黒竜の尻尾が、切断される。
「グララララッ!?」
黒竜がのたうち回る。
切り離された尻尾が、びくんと別の生命のように跳ねている。
「なんだ、この力……?」
緑色の光の、腰の人形のせいだろうか。
まだ光は溢れている。
この力なら、黒竜を。
「グルァッ!」
黒竜が怒りに任せて突進してくる。
剣でこれを止める。
力が拮抗している。吹き飛ばされない。
黒竜の目に戸惑いが、見えた気がする。あるいはより強い怒り。
黒竜が後退する。
剣で防いでいては反撃できない。
水際に落とした盾を拾わなければ。
黒竜が再び突進。
剣で防ぐ。
「何度来ても、今なら……ぐぅっ!?」
右脇腹に鋭い痛みが走る。
丸太ほどもある尻尾の先端が、深々と潜り込んでいた。
「再生……したのか」
だめだ。意識が無くなっていく。
成宮さん……。
アルコ……。
そして僕は絶命した。




