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悪夢の塔  作者: 相沢メタル
第二章
91/154

51

 成宮さんの態度に迷いはなかった。

 思えば彼女は既に決断していたのだろう。

 最善の策をとる、それが彼女のポリシーだとすれば、何も持たずに黒竜に殺されるよりは、よほどバウニャンと戦い命を散らすほうが相応しかった。


「いいのか……?」


 アルコが不安そうに訊ねる。


「それが最善だよ。きっとね」


 僕の迷いの無い態度にアルコは驚いた顔をするけど、そのうちに納得したのか、何も言わずに顔を引き締めた。

 ヤドカリたちの広場を後にし、泉の部屋、バウニャンの待つ部屋へと向かう。

 扉を開けると、いつもと同じ姿のバウニャンがそこにいた。

 まだ変異していない。目も、赤く濡れていない。

 ただ、こちらを無表情にじっと見つめていた。

 動物に明確な表情というものを求めるのも変な話だけど、普段はのんびりと穏やかな表情をしているのに、今は無機質で機械のような、薄ら寒い表情に見えた。こちらの心の持ちようかもしれないけど。


「ただ部屋に入っただけじゃ、変化しないのね」

「泉の水を飲んで回復したら……ってことかよ」

「ペナルティだと考えるなら、利用した後だろうね。変なところでフェアだなあ」

「泉の水の利用が条件だとしたら……先に瓶を補充しましょう」

「飲むのが先じゃなくていいのか?」

「飲んだら回復するでしょう? 確実にバウニャンは変化すると思うの。でも、瓶の水なら、その時点では使っていないとも言える。それに、もし変化が始まったとしても、瓶の水を飲めば回復できるから」

「なるほど……瓶に水を入れたとしても、その場で捨てる可能性だってあるもんな。捨てねーけどさ。なんか、法の隙を突くみたいな考え方だな」

「とにかく、瓶の中身を補充しようか。すぐに使えるよう、アルコが補充したほうがいいかな。僕は盾になろう。成宮さんは……」

「サポートのために、少し離れた位置にいるわ。ネックレスはアルコが持ってるから、ただの木の矢だけど、注意を逸らすことくらいはできると思うから」

「分かった。それじゃ、みんな、準備はいいかな」


 二人が頷く。

 アルコが瓶を取り出し、泉の水に近づく。

 バウニャンの様子を見る。

 扉の前に移動している。まだ変異していない。その目だけがらんらんと輝いている。

 成宮さんが壁際に移動したのを見届けて、アルコが瓶に水を注ぎ始める。


「注いだぜ」


 アルコが瓶の蓋を締める。

 バウニャンは……まだ元の姿のままだ。


「予想はあたり。水を使うまでペナルティは発生しないのね」

「それじゃ、このまま部屋を出れば?」

「なるほど……試してみる価値はあるわね。でも、おそらく閉ざされていると思うわ」

「だろうね……怖いけど、やってみる」


 無駄かもしれないけど、もし扉が開いていたら、それこそバウニャンと無駄に戦うことになる。

 足元のバウニャンの視線に怯えつつ、扉のノブに手をかける――


「だめだ、開かない」

「マジかよ……やるしかないのかよ……」


 アルコが憔悴した様子で呟く。

 見れば、成宮さんも険しい顔をしていた。

 僕も、同じような顔をしているのかもしれない。

 これから訪れる展開に、緊張感、恐怖、哀れみ、虚しさ……様々な感情が入り乱れていた。


「じゃあ、飲むぜ」


 アルコとバウニャンを直線で結んだ間に移動し、盾を構える。

 背後で、アルコが水を飲む音が聞こえた時、


「グルル……」


 扉の前のバウニャンが獰猛な唸り声を上げたかと思うと、すぐにゴキゴキと骨が軋むような音が響き、バウニャンの体が巨大化していった。

 人型の狼となったバウニャンは、赤い目を輝かせ、僕ら三人を睨みつけ、一気にこちらへと跳躍した。


「グルァッ!」


 鋭利な爪の一閃。

 腕が横に流れそうになるけど、力を込めて盾を構えて、なんとか弾く。

 すぐに次の攻撃が、今度は縦方向に振り下ろされる。

 盾を頭上に構えて防ぐ。けど、凄まじい勢いで、立っていることができない。無様に尻もちを突く。

 ――だめだ、やられる。


「はっ」


 成宮さんの矢がバウニャンの腕に刺さる。

 効いたかどうかは分からない。けど、バウニャンは怒ったように唸り、その矛先を成宮さんへと変えた。


「成宮さん!」

「大丈夫! アルコ、準備して!」

「りょ、了解!」


 アルコが杖を回転させつつ、壁際へと向かう。

 アルコとバウニャンと結ぶ線を空けるわけにはいかない。

 僕もすぐに立ち上がり、移動して、盾を構える。

 バウニャンと成宮さんが対峙していた。

 僕からはバウニャンの背中と、ほんのすこし成宮さんの足が見えた。

 バウニャンが跳躍、成宮さんに襲いかかる。

 成宮さんが側転、攻撃を避ける。

 すぐに次の攻撃が襲いかかる。

 成宮さんが短剣を投げる。

 バウニャンが、それを腕で弾く。

 その隙をついて、成宮さんが距離を取る。

 が、距離が足りない。

 バウニャンの爪が、成宮さんの足を吹き飛ばす。

 血飛沫。

 成宮さんが床に転がる。

 生きている。しかし、逃げることもできない。

 もう待てない。

 剣を構え、バウニャンに斬りかかる。

 バウニャンは僕に気がついていない。

 いける――そう思った瞬間、


「グルァアァアァ!」


 バウニャンが咆えた。

 胸を反らし、咆哮する。


「体が……!」


 動かない。

 金縛りのように、頭だけははっきりしているのに、体を動かすことができない。

 剣を構えた状態のまま硬直した僕に、吠え終わったバウニャンが静かに向き直る。

 そして、その黒い爪を薙ぎ払った。

 体が引き裂かれる。

 いや、かろうじてつながっている。ちぎれてはいない。

 だからなんだと言うのか。すぐに死が訪れるだろう。

 世界から音が無くなっていく中、杖を構えたアルコが傍らに立っている。

 いつのまにか、壁際まで吹き飛ばされていたらしい。

 アルコの顔が歪み、口を大きく開け、何かを叫ぶ。

 合体魔法……。

 杖の先から赤い、いや赤と呼ぶには眩しすぎる、マグマのように白と赤が入り混じったような光が溢れる。

 そして、一瞬の間をおいて――竜が炎を吐くような、巨大な炎が、回転し、ねじれながら吹き出した。

 炎がバウニャンを包み込む。 

 もう、熱さも感じない。

 

 ゆっくりと、目の前が暗くなっていく。


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