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水面から現れた黒い竜に威圧され、身動きが取れないでいると、成宮さんがそっと話しかけてきた。
「距離を取りましょう。どんな攻撃をしてくるか分からないから、遠くから様子を見るのが適切よ」
同意し、じりじりと反対側の水際へと後退する。浮島となった広場に逃げ場はないけど、危険な相手の側にいる理由はない。
四方に立つ燃える岩のひとつが近くなり、肌を焦がす。成宮さんは弓矢を構え、炎の力を借りてファイアアローが発動できることを確認する。
アルコも杖を回し、魔法を充填する。
僕はといえば、盾を構えて二人の前に立つだけだ。情けないけど、これでいい。戦闘は初手が重要。僕が第一撃を受ければ、成宮さんの選択の幅も広がるだろう。
黒竜はこちらを睨みつけたまま、浅く呼吸をするだけで微動だにしない。
膠着した状態がしばらく続き――黒竜が動いた。
ぐっと身をかがめたかと思うと、地響きを立てながら突進してくる。
速い。
その図体から想像できないほどの速さ。
気がつけば、僕の目の前に巨大な顔面が迫っていた。
無意識のうちに盾を構える。
直後、衝撃が。
そして、宙を飛ぶ。
成宮さんたちの悲鳴が聞こえた気がする。
再び、全身に衝撃が。
壁に叩きつけられたらしい。
そのまま、水堀に落下する。
なんとか陸に上がろうとするけど、満身創痍で力が入らない。鎧の重さもあって、すぐに沈み始める。
薄れ行く意識の中、黒竜の鋭利な尾が成宮さんの胴体に刺さるのが見えた。
―――――
暗転。
目を開けているのか、閉じているのかも分からない。
まだ水中にいるのか。
天地が不明になる。
浮いているような、沈んでいるような。
その時、手に細かく、柔らかい何かが触れた。
目が見えない中、指先でそっとなぞる。
――砂だ。
指先に触れているのは、粒子の細かな砂だった。
この感触は、まるで――
その瞬間、刺すような光がまぶたを突き抜けて視界を覆い尽くす。
暗闇から一転、真っ白な世界に戸惑っていると、次第に目が慣れてくる。
奇妙な色の空が見える。
緑と紫が混じり、空が宇宙に近づくにつれ暗くなっていく。
腕に力を込め、立ち上がる。
想像通り、砂漠に僕はいた。
ただ、砂の色は赤く、まるで血を溶かしたかのようだ。
それに、地平線の彼方まで何もない。歩くことがためらわれるほど、ひたすら何も見えなかった。
「ここは……」
悪夢だろうか。
それとも別の場所だろうか。
普段なら、死んだ後は現実に還るはずだった。
それなら、ここは現実だろうか。
そうは思えなかった。
まだ、別の惑星と言われたほうが納得できる。
「とにかく……歩かなきゃ」
右足を一歩踏み出す。
踏みしめるはずの柔らかな砂の感触はなく、階段を踏み外した夢のように、足は大地を突き抜け、そのまま僕は落下し始めた。
そして、世界が暗転する。
―――――
暗闇の中、自分の体が空中を落下している感覚がある。
どこまで落下しただろうか。
ふいに、両足が地面に付く。
勢いに反して、衝撃はない。
羽根がそっと触れるように、降り立った。
暗闇に目が慣れていくと、そこは大広間だった。
冷たい石造りの空間に、微細な文様の入った柱や調度品が並ぶ。
部屋の最奥、僕の正面には血のように赤い絨毯が敷かれ、その先には誰も座っていない巨大な石造りの椅子が置かれていた。
玉座、そう呼ぶのにふさわしい威厳を備えていた。
「……?」
誰かの声が聞こえた気がする。
耳をすませる。
何も聞こえてこない。
そのうちに、急速に眠気に誘われ、立っていられなくなり膝をつき、倒れるように眠りにつく。
一体、誰の声だったのか……。
―――――
目を覚ますと、背中に広がる衝撃に叫びだしそうになる。
ここは僕の部屋。外は明るい。
悪夢から現実へ帰還したようだった。




