悪夢の塔

第二章

２３

赤い巨人は部屋の中央に佇み、獣が獲物を狙うように、ぐるると唸り、口端からよだれを垂らしながらアルコを見下ろしていた。

「あ、あわわわ……」

　アルコはぺたんと座り込み、戦意喪失、逃げることも出来ないようだった。

　無理もない。

　赤い巨人の威圧感たるやすさまじい。筋骨隆々で血管の浮き出た赤い体、ゴブリンをさらに醜悪にさせた豚を思わせる歪んだ顔、薄汚れた頭に生えた２本のツノ、その右手には一振りで人間を叩き潰せそうな巨大な棍棒まであった。

「アルコ、逃げて！」

　成宮さんのその声に、アルコがはっと我に返り、杖を手に取り魔法を放とうとするが、巨人が棍棒を構えたのを見て慌てて逃げ出す。

　間一髪、巨人の一撃がアルコがさっきまでいた場所に叩き込まれる。

――ガツォン！！

　石造りの床が粉砕されるものすごい音が響き渡る。

　攻撃による振動と、音から想像される破壊力に心底身震いする。

　この一撃が、アルコにあたっていたら……？

　アルコは怯えきっているのか、這いずるような逃げ方で、うまく逃げられない。

　ぎょろりと目を剥いた巨人が、再びアルコに照準を合わせ、棍棒を振りかぶる。

「成宮さん、僕が防ぐ。アルコを頼む！」

　そう言うと同時に走り出す。

　盾を構え、アルコと巨人の間に割って入る。

　巨人はもう目の前だ。

　ぎゅっと盾を構える手に力を込める。

　――負けるか！

――ぶおん。

　棍棒が風を切り、僕に迫る。

――ズガッ！！

　腕の痛みに一瞬目の前が真っ白になり、気がついたときには宙に浮かんでいた。

「……嘘だろ？」

　束の間の浮遊感。世界がスローモーションになる。成宮さんとアルコの驚いた顔が見える。

　衝撃が――来た。

――ドゴォッ！

　背中から壁に叩き付けられる。

　たまらず剣も盾も放り出し、崩れ落ちる。

　吐血する。痛み――もっと凄まじい感覚だ。背中が爆発しそうな、熱した鉄塊をねじり込まれたような違和感。

　アルコたちが走り寄ってくるのが見える。

「おい、おいっ！　大丈夫か！」

「アルコ、泉の水を！」

「あ、ああ。待ってろ……よし、飲め！」

　アルコから手渡されたを水を飲もうとするが、意識が朦朧として手元がおぼつかない。アルコが手を添えて支えてくれたおかげで、ようやく飲むことができた。

「ごくっごくっ……ぷあはぁっ！　い、生き返ったよ」

「まだ死んでねーけどな？」

「この水、怪我にも効くのね……」

「そういえば、試してなかったね」

「傷が塞がっていく……すごい力だわ」

「おいっ、のんびりしてる場合じゃねーぞ！」

　アルコの言うとおり、足音を響かせて巨人がこちらに向かってきていた。

「固まってると、一気にやられるわ！　一度バラバラに！」

　指示に従い散開する。

　巨人は獲物を絞りきれないのか、立ち止まりきょろきょろと様子を窺っていたが、僕に狙いをつけ、襲いかかってくる。

　さっきの一撃を思い出して身がすくむけど、動かなければ死を待つだけだと奮い立たせ、逆に接近する。

――ぶおん。

　すべてを吹き飛ばしそうな横振りを、前転で回避、立ち上がり様に足を斬りつける。

「切れる……けど、硬い！」

　巨人の足に剣は通る。ただ、その筋肉のためか、浅くしか剣が入らなかった。

「どいてろ！　ウインドカッター！」

　いつの間にか魔力を充填したアルコが、杖を構え、魔法を放つ。

　巻き込まれないように、巨人から距離を取る。

　見えない刃が巨人を包みこむ……が、ちょっとした傷しか負わせることができない。

「はぁはぁ……ちっ、効いてない……のかよ」

　アルコは苦しそうに悪態をつく。

　既に２回魔法を放ち、回復の水は僕が飲んでしまった。これ以上戦わせるわけにはいかない。

「アルコ、大丈夫？」

「不甲斐ねえ。もう使いもんにならねーとは」

　巨人の攻撃に不安にになっていたのか、いつの間にか僕らは寄り集まっていた。

「この世界の理屈はわからないけど、ゴブリン４体でこの巨人じゃ割に合わないわ」

「だよな。詐欺だ詐欺」

「けど、このままじゃ……」

「力の源を断てば……？　試してみる！」

　成宮さんが駆け出し、巨人の影から赤目のゴブリンを狙い撃つ。

「ギィ」

　ゴブリンが杖を前に向けると、矢は目に見えない壁に弾かれてしまった。

「これならどう！？」

　火の力を充填し、ファイアアローを発射。しかし、これも弾かれる。

「これも効かないなんて……」

「ギギャッ」

　ゴブリンが杖を床に打ち立てると、赤い電流が生じ、成宮さんに襲いかかった。

「きゃあっ！」

　悲鳴をあげたあと、そのまま動かなくなる。

「成宮さん！」

「ヒカリっ！」

　僕たちが呼ぶ声にも反応せず、そのまま棒立ちして動かない――いや、

「動けない、のか？」

　成宮さんは口をゆっくりと動かしているが喋れないようだ。

　まとわりついた電流が、金縛りの効果をだしているのかもしれない。

　そこに巨人が迫る。

　駆け出すが、距離がある。

　ダメだ、間に合わない。

　巨人の棍棒が容赦なく成宮さんをぶちのめし、壁に叩きつける。

　成宮さんは血を吐き、そのまま妙な姿勢で動かなくなった。

「く、くそぉっ！」

「アルコっ！？」

　アルコが、再び呪文を放つ。

　が、やはり効かない。

　巨人は痒そうにぽりぽりと首をかいている。

「ちくしょう……」

　悔しそうに呟くアルコから鼻血がたれる。

　そのままふらりと崩れ落ちる。

「アルコっ……おいっ！？」

　魔法の負荷がかかりすぎたのか。

　死んではいないようだけど、どれほどのダメージなのか分からない。

　アルコを抱えた僕のもとに巨人が迫る。

　――ダメか。

　僕はそっと目を閉じた。

　棍棒が風を切る音が聞こえた。