第1話 『僕は見知らぬ場所で目を覚ます』
インターネットが世界を一つにし、自由を分け与え、可能性を共有できる時代に僕は生まれた。
学校で学ぶ知識は、すでにネット上にあるものばかり。
それを教えている教師にしても、自分たちが学んできたものが本当に価値あるものと信じているか疑わしい。
世には情報が溢れている。
多くの人生が既に陳列されていて、自分がその一部に並ぶであろうことが想像できる。
突拍子もない人生は訪れないだろう。
日本生まれ、日本育ち、身体の髄まで日本人的な価値観が染み渡っている。
どこかの国で戦争をしているらしい。でも、僕には伝わらない。
どこかの国でテロが起きたらしい。でも、僕には伝わらない。
情報は確かにある。
けど、実感がない。
人生がまるで2周目であるかのように、なんとなく胡散臭い。
生も死も、濃密な情報によって、いつしか疑似体験したかのように錯覚し、真剣に人生に対峙することが馬鹿馬鹿しくなっている…いや、本当は怖いんだ。
人生は一度きりだと大人は言う。
言葉の、その情報の重要さはなんとなく分かる。
けど、実感が湧かない。
言葉の重みとは裏腹に、態度は軽薄に、人生をいたずらに浪費してしまう。
今日、いきなり死ぬことはないだろう。
明日も、死ぬことはない。
来月は?
一年後は?
この国なら、死ぬことはない。
だから、生も死も、重要だとは知っていても、それが心に染み渡らない。
誰かに教わることができないことは知っている。
身をもって味わうことでしか、分からないことがある。
でも、生も死も、どうすればその重要さを身をもって知ることができるのか。
分からないまま、今日も一日が終わっていく。
望むでもなく、与えられた平穏と共に。
※
カビの臭い。
頬に伝わる冷たさ。
全身を覆う冷気。
そっと目を開ける。
視界の半分を灰色が埋め尽くす。
石畳。頬が冷たい。
全身が痛い。硬い床に体を預けていたせいだろう。
……知らない場所だ。
今までの人生で、見たことのない場所。
ゆっくりと身を起こす。
床も、壁も……すべてに平らな石が埋め込まれた部屋だった。
荒々しい作りだけど、人工的な細やかさがある。
単なる箱ではなく、人間が入るため、あるいは入れるための箱……そんな印象を受ける部屋だった。
突然の事態にうろたえながらも、部屋の中を眺める。
大きさは、高校の教室と同じくらい。
机と教卓が置かれた教室と違い、この部屋には何も置かれていない。
広くはないはずだけど、人一人が収まるには広く感じられる。
壁には松明が備え付けられており、ちらちらと燃えて部屋を静かに照らしている。
部屋の全貌がうっすら見える程度の灯りしかない。
正面には木製の古めかしいドアが付けられていた。
これが部屋の中の唯一の特徴で、唯一の出入り口だった。
目を閉じて、目頭を押さえ、先程までの記憶を辿る。
ついさっきまで、自室のベッドでスマホのゲームで遊んでいた。
気持ちが高揚するほど面白くもないけど、寝る前に少し刺激を得るには十分な内容のゲーム。
眠くなってきたところで、スマホを充電器に刺し、布団を被って眠りについたはずだ。
時間は二時を過ぎていただろうか。
部屋の時計を見て「そろそろ寝るか」と思ったし、スマホを充電するときに時刻がズレていないか確かめた。眠りについたのも、大体そんな時間だろう。
ところが、だ。
ここはどこだろう。
自分の部屋ではない。
日本だろうか。
それは分からない。こういう場所もあるだろうし、町内の地下にだって……あるかもしれない。
でも、いきなりベッドから地下室に移動する可能性はゼロだ。
誘拐された?
僕にそんな価値はない。
家だって、普通。特別な才能なんてない。
となると……。
「夢……だよな」
肌寒さすら感じる、妙にリアリティのある夢。
そう結論づける。
思考が一旦終わったところで、ようやく自分の姿が異常な事に気がつく。
およそ現実で目にすることの無さそうな、ボロボロの服を着ていた。
材質は分からないが、量販店で普段購入するような、工業的な雰囲気ではない。
質の悪い手作りの服。洗えば簡単にちぎれてしまいそうだ。
「奴隷……」
姿から真っ先に思い浮かんだのが「奴隷」という単語だった。
僕に特別な価値はない。けど、奴隷なら別だ。人間なら、そこそこ生きのいい男なら価値がある。
でも、奴隷という考えも、現実的じゃない。
やはり、夢だろうか。
心細さを感じた僕は、部屋の中を調べることにした。
まず、扉から。
扉は木製。遠目からみるよりもしっかりした作りで、叩き壊すのは無理そうだった。
叩き壊す?
そう……閉じ込められている可能性がある。
出入り口はこの扉しかないように見える。
この扉が開かなければ……。
扉には鍵穴があった。
つまり、鍵がかかっているかもしれないということだ。
暗い気持ちになりながら、扉の取っ手に手を伸ばす。
ゆっくりと取っ手を引っ張ると……だめだ、鍵がかかっている。開かない。
単に立て付けが悪いのか、あるいは開け方が違うのかもしれない。
ガタガタと押したり引っ張ったりしてみるも、扉はびくともしなかった。
「……あ!」
もしかしたら、衣服の中に鍵が入っていたりしないだろうか。
そんな甘い考えはすぐに霧散した。
そもそも、ポケットのようなものが付いているような上等な服じゃない。
鍵を持っている可能性は無さそうだった。
扉を壊す方法を考えつつ、部屋の中を調べようと扉に背を向けたときだった。
――ガチャリ。
扉が、開いた。
外にいる、何者かの手によって。