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01◆17歳の誕生日

 くぐもったノック音が部屋に響いた。

「どうぞ」

「ユンです。入ります。…お嬢様、そろそろ宴のお時間ですわ」

 メイドのユンが静かに扉を開け部屋に入ってくる。

「今日は、イゼル様も誕生日をお祝いに来てくださるそうですよ。あまりお待たせしないよう、少し早めに行かなくては」


「イゼル様、…そうよね…当然来るわよね…。はあ…。」

 ユンの口から出た名前を聞いて、私はつい目線をそらしてため息をついた。

 イゼル・ラーヴィン。ラーヴィン伯爵家の次男で、一応、私の婚約者なのだけど、なんとなくとっつきづらい。

 婚約者と言っても、家同士が互いの利益のために結んだ婚約だから、一種の契約相手みたいな認識だ。

 恋人同士の甘さはまったくなく、いつ会っても微妙な気まずさしか感じない間柄なのはしょうがない。


「まあまあ、恥ずかしがらずに…。今日は一年に一度だけの特別な日ですもの」

「そうね…。自分の誕生日に恥をかくわけにもいかないわよね…。できるだけおしとやかに振る舞わないと」

「お嬢様は普段からおしとやかなように思いますが」

「それはそう見えるように必死に気を付けているからよ。"本当の私"を知られてしまったら、婚約すら解消されかねないもの。…頑張らなくっちゃ」


 ――だって私は、もともと違う世界の人間だからね。


 絶対に言ってはいけない一言を、ぐっと喉の奥に飲み込んだ。

 そう。私は、元は日本人として地球で暮らしていた20年間の記憶がある。

 死んだ覚えもないのに、ある日突然、こちらの世界に赤子として生を受けてしまっていた。精神的には異世界人だ。


 一介の庶民が、言葉も通じない異世界に、令嬢として、ましてや赤ん坊として放り込まれたのだから、慣れるまでは地獄だった。

 いつも通り寝て起きてみたら異世界で赤ちゃんになっている状況。想像してみてほしい。実際に体験してみたら絶望感しかない。


 あたりまえだけど簡単に受け入れられるものじゃなかった。こっちに来た最初の1年は半狂乱。ひどく錯乱していたから、何があったかよく覚えてない。

 泣き死ぬんじゃないかと思うほどずっと泣いていたことだけは覚えている。赤ん坊であったのが幸いした。

 本当なら狂人として扱われてもおかしくない精神状態だったけど、赤子の内心なんてまわりの人間が知るはずもない。特別によく泣く元気な子だという程度の認識で済んだ。


 我慢せずに気が済むまでいっぱい泣いたのが、結果的には順応を速めたのだろう。

 こちらでリジーとして成長するにつれて、精神的に少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 だんだんこちらの世界の理を知り、生活に慣れて…正気に戻ってからの数年間は、ひたすら帰る方法を調べることに費やした。

 でも、分かったのはただ一つ、元の世界には帰れないだろうというシビアな現実だった。


 ――帰れないなら、こちら側で順応して生きていくしかない。そう思った時に初めて、私はリジー・アイルトリムとしてこの世界で生きていく覚悟を決めた。

 たったそれだけのことに10年もかかってしまったなんて、我ながら情けない話だ。


 今でもたまに、元の世界が恋しくてどうしようもない気分になる時はある。

 けれど、今の私が感じている寂しさは、もう決して戻れない場所を想う郷愁の心であって、本気で帰りたいと思っていたあの頃の気持ちとは明らかに違っていた。


 …前を向こうと決めた10歳の誕生日から7年が過ぎ、今日で私は17歳になる。


 やっと、この異世界での生活も悪いものではないと思えるようになってきたところだ。

 それなりに大変なこともあるけれど、伯爵令嬢として、十二分に充実した楽しい暮らしをおくっていけるように頑張りたい。



「…さあ、準備はこれで終わりですわ。お嬢様、広間に皆様が集まっている頃です。参りましょう」


 ユンにドレスを着せてもらい、髪をもう一度整えなおしてもらって、化粧も終えた。戦闘準備はばっちりだ。

 この世界での私の顔は幸いなことに悪い方ではなく、令嬢として仕上げてもらえば見栄えはそれなりになる。

 もちろん他のご令嬢と比べたら品や美しさでだいぶ劣るので、心から容姿を褒められることは少ない。けど、元の世界の顔から考えたらはるかに美しい顔立ち。

 最低限虐められない程度の顔に生まれただけでもありがたい話だ。


 幸い家柄はそれなりだったので、古くから続く格式のあるアイルトリム家のご令嬢として縁談話は多かった。

 その中で私との婚約に至ったのがイゼルだ。ラーヴィン伯爵家の次男。うちは子供が私だけなので、イゼルには婿入りして家名を継いでもらう形になる。

 こちら側にもイゼル側にも美味しい婚約だ。お互い古くから親交のある家同士だったこともあり、婚約が決まるのに時間はかからなかった。

 イゼルは魔法師団の中でも期待されている出世頭と聞くし、私程度には不相応なほど、よくできた婚約相手だ。婚約を破棄されないよう言動には十分注意しないといけない。


「本当、気合を入れなおさなくちゃね…」

 私の誕生日を祝う宴は、アイルトリムの本宅であるこの家で開かれることになっている。

 もちろん自宅での夜会だろうと、ダンスに挨拶、食事…すべてマナー厳守だ。

 令嬢として一通りのことは体に叩き込んであるとはいえ、想定外の場面や咄嗟の所作には気を付けないといけない。


 ユンと一緒に大広間に到着してみると、既に親交のある貴族達が数人集まっていた。

 イゼルがさっそく私のもとに歩み寄ってくる。


「リジー、誕生日おめでとう」

 軽い微笑みとともに、低めの落ち着いた美声が、柔らかに耳朶を打った。

「…イゼル様。本日はわたくしのために来てくださって、ありがとうございます」


 すっとした鼻梁に引き締まった精悍な輪郭――声に加えて凛々しい顔立ちも美しいのだが、何より印象的なのが双眸だ。

 切れ長の碧い目は、陽に反射する水面のような煌めきを宿していた。

 いつものことながら、ツヤのある銀髪を後頭部の高い位置できっちりと束ねているところにイゼルのまじめさが垣間見える。

 クラシカルな黒の燕尾服もセンスが良い。本来なら夜会には向かない色のはずなのに、イゼルとの相性は抜群だ。イゼル自身のもつ華やかな魅力を一切殺すことなく、十二分に引き出している。


 人生経験を積み過ぎて男性への興味が薄い私ですら、つい観察せずにはいられないんだから、美形って罪だ。

 こんな顔をしていたらどんなに高飛車で高慢な女性でも簡単に骨抜きにされてしまうだろう。


 私はイゼルの横に並ぶたびに無意味な敗北感を覚えるばかりだから、婚約者といえど、彼を恋愛対象として見るのはかなり難しいんだけれど。


 イゼルと私の姿を見つけて、父さんと母さんもにっこりと機嫌良さげに側へ近寄ってくる。

「イゼル君、いやあ、遠路はるばるよく来てくれたね。リジーの準備もできたようだし、そろそろ他の方々に挨拶しにいこうか」

「ふふ。あいかわらず恰好良くて素敵ね、イゼル君。贈った衣装を着てくれて嬉しいわ。私の目に狂いはなかったようね。

 リジーもその木苺色のドレス、よく似合っているわよ。本当に、どっちも気合い入れて衣装をデザインしたかいがあったわ!」


 一通り私たちを品定めした後に、満足げな表情で母さんが言った。

 母さんは、貴族でありながらドレスデザイナーとして大活躍している。

 "ジュエル・アイルトリム"と呼ばれる、母さんがデザインしたドレスたちは、社交界におけるブランド服のような存在だ。

 貴族ならではの感性でデザインされたドレスは、着る者の魅力を倍増させてくれると評判が良い。

 女性のみならず男性貴族の心まで鷲掴みにする母さんの意匠は、口コミが口コミを呼び、あっという間に流行した。

 気が強い母さんは、気に入った相手や、ドレスに相応しい高貴な身分の人にしかドレスを作らないから、その希少性が一種のステータスになっている側面もある。

 手に入りづらいものほど欲しくなる心理はこちらの世界でも変わらないみたいだ。


「義母上にはお世話になってばかりですね。申し訳ありません。いつも気にかけてくださってありがとうございます」

「気にしなくていいわよ。私は私のためにあなたに服をデザインしているんだから」


 それからしばらく4人でにこやかに談笑した後、私たちは来訪してくれた貴族全員に挨拶すべく歩き出した。

 挨拶まわりといっても、誕生会に呼ぶのはそれなりに親しい貴族だけなので、本当に近況を話すぐらいの雑談だ。


 駆け引きや知略・謀略に貴族同士の足の引っ張り合い…なんてものは、よほど大きな夜会でないと拝めない。


 ◆ ◆ ◆


「さて、挨拶はこれぐらいで良いだろう。今からは食事の時間だね。あとは若い二人同士で好きに楽しみなさい」


 どこの世界でもそういう気遣いは変わらないらしい。

 挨拶まわりを終えた父は、私とイゼルを置いて、さっそく母とともにワイングラスを傾け始めていた。


 必然的に私はイゼルと二人きりで取り残される。

「私もリジーも、今年で互いに17か」

「そうですわ」

「2年後には婚姻の儀を執り行うそうだ」

「ええ…分かっています。早いものですね」


 相変わらず会話はぎこちない。

 婚約者として1月に一度は会って食事をする機会があるのに、いまだに仲睦まじくないのは、私が彼を苦手に思っているのが大きな原因かもしれない。

 穏やかな雰囲気に、生真面目な性格…、まあ一見優しげには見えるけど、その一方で自他ともに厳しい完璧主義者なのはなんとなく伝わってくる。

 容姿も不釣り合いだし、基本おおざっぱでがさつな私とは正反対のように見えるから、結婚してうまくやっていける自信がない。



「そういえば、最近アイルトリム領で新しい農具を試してみていると聞いた。たしか、"センバコキ"と言ったか?」

「ええ。千歯扱きのことですね。異国の旅商人から買いあげた道具を研究して量産したのです。ギコムの脱穀にはとても便利な道具ですわ。今度ラーヴィン領にうかがう際に実物を持参するつもりです」

「それはありがたい。ぜひよろしく頼む。こちらも新しくジャモイガの品種改良に成功したから、種芋をいくつか用意して待っている」


 千歯扱きは明らかに元の世界の道具だけど、私が考案したわけじゃない。本当に異国の旅商人が持っていたので、それを買い上げただけだ。


 実をいうと、この世界には元の世界を思い出させるモノが割とある。世界の理は全然違うけど、食べ物や道具なんかは結構同じだ。

 たとえば"ギコム"というのはただの小麦だし、"ジャモイガ"もまんまジャガイモだ。

 ほかにも"マトマ"がトマト、"ツキャベ"はキャベツ。すべてこの世界ではそこそこメジャーな野菜として流通している。


 …過去にも元の世界からこちら側へ迷い込んだ人が複数人居たのは間違いない。じゃないと説明がつかないことが多すぎる。

 千歯扱き以外にも、石鹸・ガラスなど、日本由来の道具がいびつな形で存在していた。


 私には曖昧な知識しかないから、先人が築いてくれたその道標は、本当にありがたかった。

 ぜんぜん違うこの異世界で頑張って生き抜いただろう"名前も知らない同郷の人"――ぜんぜん知らないその人に、不思議とエールを貰っているような気がして、ずいぶん勇気づけられた。


 そんなわけで、日本の道具の存在に気づいてから、私は積極的に骨董品を買い集めるようになった。集め出してまだ2年ぐらいだから、つい最近の話だ。

 珍しい物と有益な物が大好きな父さんの協力のもと、分からないことは専門家を呼んでもらって相談しながら、道具の解析・模造を試みている。


 千歯扱きは、構造がシンプルなので模造してもらうのは難しくなかった。

 今は模造した千歯扱きを、試験的に100軒ほどの農家に貸し出して使わせている状態で、試験の進行度合は良好だと聞いている。

 量産できれば、数年のうちにギコムの生産量がぐっと上がるかもしれない、と父が嬉しそうに言っていた。


 実際に探し始めてから知ったことだけど、せっかく伝えられた日本の道具でも、長い年月の中で使い方が忘れ去られて、本来の役目をはたせずにガラクタとして扱われている物がかなり多い。

 たいていの物は、用途のよく分からない骨董品としてホコリをかぶっている。千歯扱きも、本当は優秀な農具なのに、動く木の大型玩具として捨て値で売られていたぐらいだ。

 こちらの世界では、国同士の大規模な戦争が起きることもあるから、ちゃんと子孫に知識を受け継いでいくことが難しいのかもしれない。


「それで――」

「……」

 一通り領地の近況を話し終えてしまうと、なかなか共通の話題が見つからない。

 イゼルとは、さきほどからあたりさわりのない会話を繰り返す時間が続いている。さすがに限界だ。

 私には、よく知らない相手と楽しく盛り上がれるほどの会話力がない。

 最初の良い雰囲気はどこへやら、すっかり気まずくなってしまった。


「…すみません。わたくし、酔ってしまいました。ダンスの前に、少し外の風にあたって酔いを覚ましてきます」

 そろそろ頃合いと見て切りだす。イゼルも気まずさは感じていたのだろう、ひきとめられることはなかった。

 イゼルと別れた後、ユンを連れてバルコニーに抜けだす。


 ダンスまで、少しの間だけでも外で休憩させてもらおう。


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