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 数日降り続いた雨が上がり、まだ暖かい風のなか二週間ぶりに川沿いの古本屋に来た。入り口の横の窓に「アルバイト急募」の張り紙があり、下に「週三日程度働ける方。重い本を運ぶので力のある方」と書かれている。

 水上はしばらくその張り紙を眺めてから中に入った。入り口の左側にある棚の上で茶色い猫が丸まっていた。日が当たって暖かそうだ。

 水上はいつも通り小説の棚に向かった。久しぶりというほどでもないが、いつもより期間を空けて来たので、新しく仕入れられた本がないか念入りに探した。しかし、前来たときとほとんど変わっていなかった。

 一通り見てから入り口の横にあった張り紙のことを思い浮かべた。

 バイトか、と水上は思った。

 水上はアルバイトをしたことがない。高校では禁止されていた。大学に入ってからはバイトよりも先に車の免許を取ろうと思っていて、取った後も何となくバイトをする気にならなかった。

 ありがたいことに、生活をするだけなら仕送りで事足りる。贅沢をしなければの話だが。しかし、彼はフィルムカメラが欲しかった。本体もそれなりの値段がするし、ランニングコストもかかるので、仕送りから捻出するのは難しい。

 だからアルバイトをしようと思っていたが、いい場所がなかなか見つからなかった。そんなときによく来るこの古本屋でバイト募集の張り紙を見た。偶然だとはわかっているが、縁を感じずにはいられなかった。それに「急募」だ。今を逃すと他の人が雇われてしまうかもしれない。

 水上は文庫本を一冊カウンターに持って行って、店主である初老の男性に代金を支払った。小さな紙袋につつまれた本を受けとって、お礼を言ってから話しかけた。

「あの、入り口にあったバイト募集についてですが、大学生でもできますか?」

「もちろん、可能ですよ」

「仕事の内容はどのようなものですか」

「主に本の整理と運搬です。お恥ずかしい話ですが、先日腰を痛めてしまい、重いものを運ぶのがつらくなりまして」

「そうなんですか。おだいじに」

 何がお恥ずかしいのかはよくわからない。

「ありがとうございます。あとはインターネットなどからの注文の対応です」

 他に客がいないので、気兼ねする必要もなかった。特に技術が必要な仕事ではないようだ。もっとも、そんな仕事をバイトにやらせるわけはないだろうが。

「ここでバイトをしたいのですが」

「助かります」

「え? 面接などは?」

「今からしますか?」

 男性は淡々と言う。

「いや、履歴書とか心の準備とかさせてください」

「ああ、履歴書なんてものもありましたね。それなら、いつにしましょうか」

「早いほうがいいですか」

「はい。そうしてもらえると助かります」

「では、土曜日でいいですか」

「はい。それでは土曜日の午後六時半頃に来てください」

 この古本屋は六時に閉まる。ちなみにこの日は水曜日だ。

「わかりました。履歴書かいてきます」

 古本屋を出てホームセンターに寄って履歴書を買い、家に帰ってスーツに着替え、近所の写真屋で証明写真を撮ってもらった。大きな三脚に乗っているデジタル一眼レフカメラがかっこよかった。

 インターネットで面接の質問などを調べて頭の中で何度もシミュレーションしたが、当日はほとんど役に立たなかった。

 土曜日、店に行くとカウンターの後ろから居間に通された。途中、高い本棚の間を通った。

 奥さんが緑茶と茶菓子を出してくれて、面接というよりただの雑談だった。店主はもう水上を雇うことが決まっているかのような口調だった。大学の話や水上の故郷の話などをした。部屋の端でストーブの前を三匹の猫が占領していた。

 最後に、

「水上君は猫は好きですか?」

 と聞かれた。実家では犬を飼っているが、猫も好きだ。

「はい。好きです」

 ストーブの前にかたまっている猫たちを見てこたえた。

「よれはなにより。それでは、さっそく明日から頼みます。細かいことは明日教えますので」

「採用ですか?」

「はい」

 思っていたよりも簡単にバイトが決まった。店主の名前は戸山さんというそうだ。夫婦二人で古本屋を経営している。


 午前九時、店を開けたばかりの古本屋に客はいなかった。

「おはようございます」

 と言って、水上は店に入った。店の奥から戸山が出てきた。

「水上君、おはようございます。今日からよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 戸山の後ろについて、店の奥へと入った。昨日通った本棚のある場所で、どうやら店に入りきらない本が置かれているようだ。

「なるべく多くの本を来てくれた人に見せたいのですが、いかんせん場所に限りがあるのでこうしています」

 本棚は天井に届きそうなほど高く、本がぎっしり詰まっていてその上薄暗いので圧迫感を覚えた。

「壁みたいですね」

「水上君には、今日はここの整理をしてもらいたい」

「これ全部ですか」

 水上は驚いて言った。無謀とも思える量だった。

「全部ではありません。一週間ほど前に仕入れた本を分類してほしいのです」

 戸山は本棚の先にある数箱のダンボールを指して言った。

「分類とは?」

 戸山は一枚の紙を手渡した。「日本十進分類法」と大きく書かれ、その下に0から9までの数字を頭にジャンルが書かれている。

「題名だけではどこに属するのか判断できないと思うので、少し読んでから分類してください。それと、本棚に入れる前にバーコードを読み取ってください」

 本棚の隣にあるデスクトップパソコンにはバーコードリーダーがついている。それの使い方も教わった。

「わかりました」

 水上の右にある本棚の三段目に「5 技術」とペンで書かれた厚紙が挟まっている。

「何かわからなかったら、言ってください」

「わかりました」

 昼前には終わるだろうと思っていたが、どこに分類していいかわからないものが多く、そのたびに聞きに行ったので時間がかかった。昼食はごちそうになった。

 その後、インターネットで注文のあった本を探し、梱包して封筒に入れ、宛名を印刷した紙を貼り、メール便で送った。

 それと、たまに戸山が古本の買い取りで出かける時などに、水上が店番をすることがある。

 日本十進分類法:主に図書館で使われる図書の分類方法。基本的には三桁でその本のジャンルを表し、桁がふえるほど分類は細かくなっていく。例えば、「500」は「技術」で、「570」は「化学工業」、「574」は「化学薬品」となる。図書館以外では本屋でこの分類に従って本を並べていることが多い。たいてい、文庫本は別になっているが。

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