死神と契約書 番外編⑤―星に願いを―
―次の七夕の日に晴れたらここでまたここで会おう―
そんな言葉を残して彼は旅立っていった。あれから数年経ったが七夕の日は決まって雨が降っていた。あの人の言葉を呪うかのように毎年雨だった。天はどうやら彼と私を会わせたくないらしい。それでも私は、雨の中、この場所で彼が現れるのを毎年待っていた。晴れないからなのか、もう来るつもりがないのか、それとも来られない事情があるのか、真相はわからないが、私が彼に会えてないという事実がだけがここにあった。
晴れたら星が夜空いっぱいに見えるこの丘は、ふたりの特別な場所だった。
今日は7月6日。明日の予報は雨だった。私はよっぽど神様にそっぽを向かれているらしい。
「雨…か…」
ため息交じりにつぶやきながらも、私は今年もあの場所へ行く決意をしていた。
―7月7日―
朝から雨がぱらついていた。窓から空を見上げると厚くてどんよりとした雲が空を一面覆っていた。今日一日降り続きそうな空だった。
雨は昼下がりになっても降り続いていた。
「うん、いこう」
自分自身を奮い起こす意味でも、私はその言葉を口に出した。
約束の丘は、電車とバスを乗り継いで少し歩いたところにある。行く途中のバスの中で私は眠ってしまっていた。そして不思議な夢を見た。
夢の中の私も約束の場所へ向かっていた。夢の中も雨だった。
バスを降りて、緩やかなスロープを上ると視界が広がってくる。その先にいつも彼の姿があることを期待しながらも、毎年いない現実を受け止めていた。
視界の先に人影が見えた。一瞬彼だと思いその足を早めたが、近づいてみると彼ではないことに気づいた。
さすがにがっかりしたのか、歩く速度は元の歩みより遅くなっていた。
彼女に近寄ると私は「こんばんは」声をかけてみた。すると同じように挨拶が返ってきた。
赤い和傘に黒いドレスという一見アンバランスな組み合わせだったが、彼女にはすごく似合っていた。美人は何でも似合うってことなのかもしれない。
「こんなところでどうしたんですか?私は待ち合わせなんです、って言っても毎年待ちぼうけなんですけど」
「では、きっと勘違いさせてしまっただろう。すまなかったな」
「少しだけ。でも大丈夫です」
と私は小さく笑って見せた。
「私はもう行こう。待ち合わせの相手現れるといいな」
「はい」
立ち去ろうとしている彼女を見て私はあることを思い出した。
―寿命と引き換えに願いを叶えてくれる死神がいる、その死神は女性で黒いドレスを着ている―
「あの…」
「なんだ?」
彼女は足を止めてこちらを向いた。
「あなたは死神…ですか?」
「…そうだと言ったらどうする?」
私は震えていた。でもそれが、死神が目の前にいるからか。願いが叶えられそうという喜びからなのかはよくわからなかった。
「わ、私の寿命で…、願いを叶えてください」
「待ち人に会いたいという願いか?」
「いえ違います。雨を止まして下さい。晴れた夜空にしてください」
「変わった願いだな」
「晴れた日に会おうって約束なんです。もし晴れても会えなかったら、その時は全部諦められそうで…」
「…そうか」
彼女はそう一言言うと。再び歩き出して完全に見えなくなった。
そこで私は目が覚ました。そんな夢を見たのだった。リアリティのない夢、でも現実以上のリアリティをどこかに感じた夢だった。きっと、私の気持ちが素直に出ていたからなのかも知れない。少し寝ぼけた頭でいると、降りる停留所の名前が社内アナウンスされてるのを聞いて「降ります」と急いで車内から掛け降りた。
バスを降りても雨はまだ降り続いていた。そこで私は車内に傘を忘れてしまったことに気づいた。
「やっちゃったなぁ…」と思いながら、小雨になってきていたので、「まいっかと」そのまま歩き出した。
緩やかなスロープを上り、約束の場所が見えてきたが、そこに人影はなかった。
「うん、今年も待ち人来ず…か」
私はさっきの夢のことを思い出していた。やっぱりただの夢だったのかな。夢だよね。
そんなことを考えていると、私を濡らしていた雨が止まったことに気づいた。
私は、急いで目をあけて、空を見上げた。するとそこに私に向けられた傘があった。
「風邪…ひくぞ。ずいぶん待たせて…悪かったな」
私は声のする方を向き、彼に力いっぱい抱きついた。
彼は海外で事故に遭い、記憶を失ってしまったらしい。自分が誰かわからないまま数年が経ち、記憶を取り戻し、まさかと思ってこの場所に来たらしい。
七夕の雨は止まなかったが、私の心の雨はこうして止んだ。
しばらくして、あの夢の続きのような夢を見た。
「ひょっとして私の願いを叶えてくれたんですか?」
「雨を止ます…か?私は何もしていない」
「でも、彼に会えました」
「よかったじゃないか」
「はい」
「あなたの願いに関して、私は何もしていない。それを伝えに来ただけだ」
「それでも、ありがとうございました」
「来年は晴れるといいな」
「はい」
それを最後に彼女の夢を見ることはなかった。なぜ夢で彼女と出会ったか私にはわからないままだったけど、私の心は晴れ渡っていた。今年の七夕の夜空のように。