パンダな転校生 ~映画の翌日~
季節外れの転校生がパンダな理由、の翌日にあたります。
週明けの放課後は特に騒がしい。
休みの気分が抜けず、皆うずうずしているのだろう。
寄り道先を相談しながら一人、また一人といなくなる教室の端で、座ったままの友人に若菜は声をかけた。
「あっちゃーん? 藤原くんが昇降口で待ってたよ」
「………先帰ったって、言っといて」
とっくに授業は終わり、ほとんど生徒もいなくなったというのに、明日美は一向に帰る気配を見せない。ごそごそそわそわと机の中や鞄の中の整理をしながら首を振った。
(こりゃ、何かあったな)
若菜はあまり鋭い方ではないが、ここまであからさまであればさすがに気づく。
先週末までは二人で下校することもあったし、そのまま遊びに行くこともあったのだ。この週末は確か、明日美がずっと楽しみにしていた映画へ行ったはずだ。
(とうとう迫られてキスでもされたとか…?)
イギリスに長く住んでいたという話だから、ほっぺにチュ、なんてこともあるのかもしれない。
(……いやでも、相当慎重にやってるみたいだし、無理矢理ってことはないよねぇ)
今やこの高校で知らない人はいない、藤原健吾が好きで好きで仕方がないのは、この小山内明日美だ。
誰にでも人当たりがよく、器用で、帰国子女でスマート。すらりと伸びた長身に引き締まった身体。いかにも絵に描いたような爽やかイケメンの藤原だが、明日美の前に出ると途端にヘタレになる。
明日美の好きな本を読み、ドヤ顔を必死に隠して話題を提供しに行く。
明日美が好きな購買のパンをいつも買っておき、売り切れたと肩を落としているところに颯爽と現れる。
道路はもちろん廊下さえ内側を歩かせ、ドアを開けて通す。
その様はなぜだか英国紳士には見えず、クラスの女子は藤原への見方を変えざるを得なかった。
「……なんていうか、かわいいよね?」
「むしろもう、かわいそう?」
要はアホっぽいのだろうな、と若菜は思う。明日美もそれは感じているのか、微妙な顔をするどころかはじめはドン引きもいいところだった。
そんな二人の関係が変わるきっかけになったのは、『中庭事件』だろう。
明日美に対象外宣言をされて泣いて逃げたくせに、後を追ってきた彼女にすがりついた、という醜態は生徒教師はもちろんのこと、用務員さんまで知っている。
ちなみに若菜は職員室からの帰り道、渡り廊下から目撃した。
中庭というものが、なぜ『中庭』なのか。北校舎からも南校舎からもそこが丸見えなことを知らなかった藤原が若干不憫になったものだ。
だが不幸中の幸いか、それ以来、明日美の態度は軟化した。
藤原が急に近づくと身構えていたのはましになり、誘いもなるべく受けるようになった。
藤原も、明日美の様子を注意深く見ているのか、早急なことはせず、強引さも一切なかった。
本来なら、転校してきた学校きってのイケメンがたった一人に夢中になっている、ということで周囲の女子にやっかまれても仕方がない。
ところが、不思議とそういうことは起こらなかった。
クラスの女子によれば、こうだ。
「だって、ねぇ? なんていうかヘタレわんこだもん。遠目に鑑賞するくらいでちょうどいいよ」
「あれだよね。苛めたくなっちゃう感じ? 泣かせたら楽しそうだなーとか!」
そんな具合に周りに生暖かく見守られながら、少しずつ藤原は恋を育んでいたはずだった。そして明日美も、徐々にほだされている様子だったのに。
―――それなのに、おかしい。
(逆戻り…ではないけど。なんだろ)
「ね、なんかあったの?」
「……別に、なにも」
言いながら明日美は口をへの字にする。顎には立派なうめぼしだ。
悩んでいるときの仕草だ。もうひと押しでしゃべるだろう。
「ふぅん。じゃ、藤原くんに引き渡す」
「はあっ?!」
若菜があっさり言うと、明日美が目をむく。
「え。だって理由も言ってくれない友達なんてー。むしろ引き渡して当然ていうかー」
「…………」
若菜のふざけた口調に、ぎゅう、とうめぼしが強くなる。
言うか、言わないか、迷っている証拠だ。
むぐむぐと口を開け閉めして、ようやく明日美がこぼす。
「……だって、恥ずかしい」
「は?」
ぽそりとこぼれたことばは、正確に若菜の耳に入った。だが、わけがわからない。
「なにが。恥ずかしいってどういう…」
「だって、藤原くんの、あの顔が…」
言いながら、明日美の頬がみるみる真っ赤に染まる。
その様は見ている若菜まで赤くなりそうだ。
「…顔を、近づけられて、にっこりとかされると、もう……」
「い、今さらなの?」
真っ赤な頬に手をあててうつむく明日美はもはや涙目だが、若菜の目の前には大量のクエスチョンマークが浮かぶ。
藤原が類稀なるイケメンなのは今に始まったことではないのに、今さら恥ずかしがるのはどういうわけなのか。
「だ、って。そういう風に見えてなかったっていうか。見てない」
「えええ?!」
中身が多少残念な感はあるが、あんなにイケメンで、きらっきらしたオーラを放っているのに、見ていない?
どこか飄々として年齢以上に落ち着いたところのある友だとは思っていたが、ここまで独特だとは、と若菜は口を開ける。
「で、何。意識するようになったら、恥ずかしくってどうしたらいいかわかんなくなったって?」
ややげんなりした口調の若菜に、明日美はこくこくと頷く。
元々恋愛経験も多くない明日美に、あのイケメンは確かに刺激が強いのだろう。
明日美の好みは渋いオジサマのはずだが、好みを超越する容姿というものもある。
(まあ、仕方ないか。今日ばかりは庇ってやろう)
そう思った若菜が口を開きかけた時。
「あ、明日美ちゃん! まだここにいたんだ」
「……藤原くん」
喜色満面、といった様子の藤原が教室の入り口に立っていた。
タイミング悪ぃな、と内心若菜が毒づくのにも気づかず、お花畑でスキップしていそうな浮かれ具合だ。
るんたるんた、と効果音をつけたくなるような歩き方に、やっぱり残念な子とつぶやきたくなる。
「………」
「あれ、明日美ちゃん? どうしたの?」
一言も発さず、真っ赤になったまま立ち尽くす明日美の肩に藤原が触れた瞬間。
「わぁあああああ!!!」
ガタン、ガラガラ、ピシャ!!
あっという間に明日美が教室から走り出て行った。後ろ手に扉を閉めるあたり、さすが明日美。
「明日美ちゃん?! な、なんで?!」
顎を落とす藤原が、さすがに気の毒になった若菜だが、懇切丁寧に説明しようという気はなかった。
きっと今までの人生、男女問わずキャアキャア言われて天狗になってきたのだろうから、もう少しすれ違って泣けばいい。
「あー…。あんたの顔が原因らしいよ」
「えぇえええ? まだ?!」
―――本当の意味で二人の恋が始まるのは、もう少し先のことかもしれない。