子パンダの恋
物心ついたころには、いつも私の隣にはパンダがいた。
ころころと太った、とか、動きがコミカルな、とかの例えで言っているわけじゃない。
正真正銘、パンダだ。
しかもこのパンダ、どういうわけか私にしか見えないらしい。
「咲良ちゃん、女の子が足でドア開けちゃダメだよ」
「うっさい、黙れパンダのくせに」
パンダ―――優吾はしょんぼりと肩を落とす。
白黒の体毛に、ほとんど黒の目玉からは普通表情なんてわからない。
でも、いわゆる幼なじみの関係の私にとっては、パンダの表情はとてもわかりやすい。
優吾は私がパンダ呼ばわりすると、目に見えて落ち込み―――そしてなぜかはにかむ。
Mっ気があるんじゃなかろうか。
私が怒鳴り散らしても、足払いをかけても、いつも嬉しそうに私の隣を歩く優吾。
学校に行くときは『後ろに乗って』と自転車で迎えに来るし、ドアも颯爽と開けて先に通してくれる。
病気になれば果物を持ってお見舞いに来るし、私の部活が長引けば必ず待っている。
友達は『お姫様扱いじゃん!!』とキャアキャア言うが、私は別になんとも思わない。
だってパンダだし。
忠犬ならぬ忠パンダとしか思えない。
今でこそパンダのいる生活に慣れてしまった私だが、初めてパンダを認識したときにはそれなりに取り乱した。
あれは四歳の冬だった。
「………」
「え、さぁちゃん?なあに?」
はす向かいに住んでいるチビの優吾は、少し舌っ足らずにしゃべる。
『さくら』と言えずに『さくあ』となってしまうので、『さぁちゃん』でごまかしている。
三月生まれだからどんくさくて、よく泣く。
イタズラして逃げるときも転ぶし、嘘も上手につけないし、ボタンは大体いっこ飛ばし。
いつも私が面倒みないとダメな奴だ。
―――その優吾が、ある日突然白と黒の毛むくじゃらになってしまった。
ガツッ
「うぁあぁ!! なにすぅのぉ!!」
頭が取れるかもと思って、両手で持ち上げようとしたら、パンダがバタバタと手足を振って暴れた。
ぼてっ
私と変わらないくらいの大きさなのに、暴れるとさすが動物。重くてつい落としてしまった。
「……とれないな」
口の中に手を入れたら、びっくりして中から優吾が出てくるかも?
ゴバッ
「うごぅぁ!!」
「きゃーーー!! 咲良ちゃん?! 何してるのー!?」
真っ青な顔で止めに入った先生のお陰で、優吾は助かった。
その代わり、幼稚園時代の私のあだ名はずっとゴリサクラだった。
優吾がパンダで私がゴリラって、ちょっと不公平じゃないか、と憤ったものだ。
幼稚園の先生から連絡を受けた母は、私を連れて優吾の家に謝りに行った。
「まあまあ、怪我もなかったですし、そんなに謝らないで下さい」
優吾のお母さんが優吾の頭に手を置いてニコニコ笑う。
優吾は私が怖いのか、ぶるぶる震えている。
小さなしっぽがピルピルしているのから目が離せなかった。
まだ、パンダの格好してる。
「本当にごめんなさい。ほらっ! 咲良もごめんなさいして!」
母が私の頭をおさえて、グッと押す。
だって、と反発する気持ちがわいてくる。
優吾に痛い思いをさせたことは、いけなかったと思う。
でも、優吾だっておかしいのではないか。
パンダの格好なんてして幼稚園に来て。
制服だって着ていない。
でも先生もお友だちも何も言わない。
優吾だって、ごめんなさいじゃないの?
母の手に逆らって頭を下げずにいると、優吾のお母さんが顔をのぞきこんできた。
「ねえ、咲良ちゃん? どうして優吾の頭を持ち上げたの?」
優しい声に、鼻の奥がツンとする。
―――泣くもんか。
「…パンダの頭、とりたかったの」
小さなつぶやきを、聞き取った優吾のお母さんは目をまんまるにした。
ぶんっ、勢いよく振り返り、優吾の肩をつかむ。
「やだっ! 優吾そうなの?!」
なぜか嬉しそうなお母さんの顔を見た優吾は、しばらくもじもじしてから、
「ちっ、ちがうもん!!」
慌てて走りだし、足をもつれさせて転んだ。
そんな短い足で、上手に走れるわけないのに。
つくづくバカな優吾だ。
「ねえ、さぁちゃん。パンダ好き?」
あの頃は私とさして変わらないサイズだった優吾は、今や見上げるほどのジャイアントパンダになった。
しかも学校中、いや、近所で有名のイケメンらしい。
わけわかんない。パンダのくせに。
笹でもかじってろよ。
「あー、好き好き」
優吾の作ってきた弁当を食べながら適当な返事をする。
ん、この筑前煮おいしい。サトイモにしっかり味がしみている。
「あ、それさぁちゃんが好きかなって」
「あんた何目指してんの」
優吾の家事スキルはみるみる上昇中だ。
この前なんて私のジーンズの裾上げまでしていて、ドン引きした。
なんなの、ミシンが上手いパンダとか。
「えっ…。それは…。やっぱり人間になりたいな」
もじもじと膝の上でもこもこの手を蠢かす優吾。
「へぇ~。なれるといいね」
「うん、頑張るよ」
にっこりと優吾が歯を剥き出した。
普通の男の子がパンダに見えちゃうくらいだから、人間になることもあるのかもしれない。
「さぁちゃん。パンダ好き?」
「あー、はいはい。好き好き」
動物の中では割とね、と言うと、優吾は破顔した。