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第四話

 もう、僕に話しかけないで。

 自身が数秒前に放ったその言葉が、薫の頭では地鳴りのようにがんがんと響いていた。


 どうせ、その笑顔も何もかも、本心のものではないのだ。

 彼女は自分をからかっている。

 だからもう話しかけないでほしい。


 彼女と話が出来て嬉しい。

 彼女ともっと話をしたい。

 彼女と話が出来なくて寂しい。


 そんな人間としての当たり前の感情をこれ以上抱いてしまう前に、こんな真っ暗な世界からは出て行ってほしい。

 どうか、どうか早く――


「……宮野くん、あたしは――」

「もう」

 何かを言いかけた綾奈の言葉を遮り、薫はもう一度言葉を紡ぐ。

「これ以上、僕の心をかき乱さないで」

 そのまま、綾奈の顔を見ないようにして教室を出ていった。


 掌に突き立てた爪先が、どんどん食い込んでいく。

 それに伴ない、じわじわと痛みも増してゆく。


 自身をひどく責め立てるような痛みが、やけに心地よかった。



 

 




 翌朝。

 眠い目を擦りながら登校してきた薫は、ふらふらとした所作で教室の中の一席へと鞄を下ろす。

 昨日よりまた一段と熱くなったこの日、教室はどこか熱気を孕んでいるようだった。


 冷たい手を、わずかに熱を持つ頬に押し当てながら、薫は教室内を見渡した。

 知らず知らずのうちに、それは薫のいつもの癖になっていた。

 彼女は――綾奈は、もう学校に来ているかを確かめるための。


「馬鹿……」


 薫は小さく言葉を零した。

 昨日、綾奈を拒絶したのは自分なのだ。

 もう今までのように、綾奈のせいで心をかき乱されることもないのだ。

 それなのに。

 綾奈を失ってしまったこの心には、確実に寂しさが宿っている。

 本当に馬鹿だ。

 最初から彼女は、物珍しさだけで――からかいのつもりで、自分へと近づいてきたと分かっているのに。

 毎日毎日話しかけてくる、うっとうしい人間が消えたというのに。



「宮野くん」

 ――その時耳に届いてきたのは、すべてを許し、すべてを包み込むような優しい声。

 近頃は毎日ずっと真近で聞いていた。

 聞くたびにこの胸は正直に高鳴っていた。

 

 そしてそれは、今も――……。


「なん、で……」

 そんなぎこちない言葉が、薫の口からは溢れ出る。

 あり得ない。

 もうこうして、自分のために声を発しているはずのない彼女が眼前にいるだなんて。


「おはよう、宮野くん。もう話しかけないでって言われたくせに、つい挨拶しちゃった」

 綾奈はいつものように薫の机で頬杖を突きながら、どこか照れたように小さく笑う。

「あのね。悪いけどあたし、昨日言われたこと、守るつもり無いよ」

 続く言葉は、どこか強い口調で。

「だってあたし、宮野くんともっと話したいんだもん。宮野くんともっと接したい」


 最後には、太陽のような笑顔を浮かべた。




 もう、止められない。


 鬱陶しいからもう話しかけないでほしい、なんて。そんなの全部嘘だった。


 彼女ともっと話がしたい。

 彼女をもっと知りたい。

 もっと接したい。

 もっと触れたい。

 もっと。

 もっともっともっともっともっともっともっともっと、彼女と――!


 抑えていた欲望が、堰を切ったかのように溢れ出す。






「どうしても宮野くんが迷惑だって云うなら、そのときはきっぱりあきらめる。だけどあたしは本当に宮野くんと接したいって思ってるから、そのことは忘れないでほしいな」



 あやすような口調で紡ぎ、綾奈は去っていった。




 

 残された薫は、僅かに身体が震え出すのを必死でこらえ、ぐっと唇を噛み締めた。

 

 彼女へと抱いている感情を、もう、誤魔化すことなどできなかった。


 普通の人間じゃないくせに、普通の人間と同じ感情を抱いてしまった。




 はじめて。

 始めて心から自分へと関心を持ち、好奇心を抜きにして、自分へと近づいてきてくれたひと。

 こんな真っ暗闇のどん底にいても、それでも自分は人間であることを思い知らせてくれたひと。




(そんな彼女のことが)

(そんな、綾奈ちゃんのことが)










(僕は、綾奈ちゃんのことが好きなんだ)




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