第一話
バスで駅まで行き、そこからさらに電車で三つほど駅を越えたところに、薫の通う高校はあった。
梅見高校。
偏差値は中の上で、生徒数はおよそ七百人程度。特筆事項に欠けた、至って普通の公立高校だ。
せっかく、今日から二年生になると云うのに天気は曇り。
即ち、今日はクラス発表の日だった。
桜の花弁は、雨の予兆である湿った風に吹かれて不規則に舞っている。
薄紅色のそれはとても奇麗なはずなのに、こんなに暗い天気では弱々しく見えてしまう。
……なんだか、もったいない。
薫は校門前に聳える桜の樹をぼんやりと見上げると、校門を抜けて、クラス表を貼った掲示板前の人だかりへと向かった。
「あ。あたし、五組だ」
「綾奈、お前五組?」
「そうだよ。智也は?」
「俺も五組。まさか、お前と一緒とはなぁ……。忘れ物とかして、俺に泣きついたりするなよ?」
「しないよっ! 智也こそ、お弁当忘れてあたしに“ちょうだい”とか言ってこないでね」
「言わねえって……」
肩を並べた男女の話し声を隣で聞きながら、薫はクラス表をぼんやりと見て、すぐに踵を返した。
そのまま、誰かと会話を交わすこともなく、新しい教室を――二年五組の教室を目指して歩きだした。
二年五組の教室には、既に多くの先客がいた。
「ねえねえ、宮野薫もこのクラスらしいよ」
「宮野薫? 誰それ」
最前列の席。
隣同士の女子ふたりは、声を潜めて噂話に花を咲かせる。
「知らないの? 女の子みたいな見た目で、全然喋らない男子だよ」
女子の一人がそう言ったと同時に、ゆっくりとドアが開いた。
教室内へ入ってきたのは、伏し目がちで、他人を寄せ付けない不思議な雰囲気を纏った少年。
「……!」
「……」
彼を目で追いつつ、女子二人は一度黙り込んだ。
そして、彼が後方の座席に腰を下ろしたのを確認すると、ようやく噂話を再開した。
「今のが、宮野薫?」
「そうそう」
その声々は薫の耳に届いているのだが、それに気づいているのか否か――女子たちは会話を止めはしない。
「あー。本当だね、女の子っぽい」
「でしょ? 小柄だし華奢だし」
「っていうか宮野薫って有名なの?」
「有名なんじゃない? あの人、とにかく他人と関わらないんだって。なんか怖いでしょ。だから一年の頃も――」
その言葉に薫は思わずびくりと肩を震わせて、耳を塞いだ。
「ずっと、ひとりぼっちだったらしいよ」
……それでも。
強く耳を塞いでも、聞きたくなかった言葉は聞こえてしまった。
ずっと、ひとりぼっちだった。
――とっくに分かっている事実だ。
そして、きっとこれからもひとりぼっち。
ただ胸が少し痛むだけで、別に傷ついたりなんかしない。
それなのに、反射的に耳を塞いでしまう。聞きたくない、と思ってしまう。事実を突きつけられることを恐れてしまう。
怖い。
やっぱり人は怖い。
きっとみんな、父と同じ。
乱暴で、溢れんばかりの憎悪を向けてくる父と同じなのだ。
孤独。
嫌われ者。
もう慣れたはずの事実を再確認するたびに、ここまで絶望感に苛まれるのはどうしてなのだろう。
今朝、いやな夢を見てしまったからなのか。
(……みんな、僕をみないで)
きつく、シャツの袖を握りしめたと同時に――
「きゃっ!」
耳元でやや高い悲鳴が聞こえ、薫はハッとして顔を上げた。
きょろきょろと辺りを見渡すと、すぐ隣に、膝をついて小さく呻いている見知らぬ少女がいた。
その傍らには、散乱した何枚ものプリントがある。
どうやら少女は転んで、クリアファイルの中のプリントをぶちまけてしまったらしい。
「ったく、バーカ。何やってんだよ」
さらに少女の後ろには、呆れた様子で立ち尽くしている長身の青年がいた。
「痛いなあ、もう。なんであたし、何もないところで転んじゃったのかな……」
「しっかりしろよ。もうすぐ記録会なのに、足大丈夫か?」
「平気平気。怪我したのは膝だし、それに怪我って言ってもただのすり傷だもん。走るのには支障ないよ」
青年と会話を交わし、転んだ少女はのそのそと起き上がる。
「……」
薫は思わず床にしゃがみこみ、散らばったプリントたちを拾い上げていた。
少女が――そして、青年が拾うより早く。
つい、身体が動いてしまったのだ。
「……あ、ありがとう!」
少女は慌ててしゃがみこみ、プリントを拾いながら、戸惑いがちに頭を下げた。
――しかし、薫は何も答えない。
初対面の薫と少女の間には、やや重い沈黙が流れる。
「あ、あの――」
沈黙を破ったのは少女の方だった。
「二年五組だよね。あたしもそうなの。同じクラスだね」
たどたどしい口調ながらも、少女は必死に言葉を紡ぐ。
「あたし、櫻井綾奈って言うんだ。あの、名前は……?」
薫はプリントを拾う手を止め、ぎこちなく顔を上げた。
随分と久しぶりだった。
こうして誰かとまともに話すのも、誰かと目を合わせるのも、
「……宮野……、薫」
自分から、己の名を名乗るのも、
「宮野くんかぁ。よろしくね」
こんなにも、優しい笑顔を向けられるのも。
その笑顔を目にした瞬間、どうしようもない感情が薫の心に生まれた。
まるで、なにかが融かされていくような――妙な感情。
――これが、すべての始まりだった。




