第十話
「彼女ってどういうことなの」
後ろを歩く綾奈が、地を這うような低い声で問いかけた。
これまでずっと無視し続けてきた智也だが、綾奈の怒りはそろそろ頂点に達してきているらしい。
これ以上無視するわけにも行かず、智也は渋々振り返った。
「こえーな、そう怒んなよ」
「これが怒らずにいられる!?」
彼女をなだめるつもりで言った一言は、さらに綾奈を怒らせる結果を招いてしまったらしい。
「もう、宮野くん絶対勘違いしちゃったよ? どうすんのっ」
「勘違いさせるために言ったんだよ」
「……えっ?」
「いや……。まあ、もういいじゃねえか。済んだことはしょうがないって」
「全然しょうがなくないよ……ああもうっ……」
「……っつーか、宮野に勘違いされて、なんか不都合でもあんの?」
「え? べ、別に……不都合とかは」
「ないんだろ。じゃあ良いじゃん」
二の句を失った綾奈に「行くぞ」と言い放ち、智也は再び足を進めた。
確かに――
『悪いけど、綾奈は俺と付き合ってるんだ。諦めろ』
薫に言ったあの言葉は、紛れも無い嘘だ。
だがそれは綾奈を守るためにしたことなのだ。
薫のストーカー行為から、綾奈を守るため。
綾奈には彼氏がいるのだと分かれば、薫もきっと綾奈を諦めてくれる。
つまりは――嘘をつけば、綾奈を守れる。
そう思ったからだ。
そんな心の中に、人一倍鈍感な綾奈が気づくことはないだろうけれど――それでも、別にいい。
……ただ守れればいい。そう思った。
***
「まさか、家でも買い出しを頼まれるなんてな。部活でも家でもパシリとか、やるせねえな……」
「これはパシリっていうかお使いでしょ。別にいいじゃん」
その日の夜、智也と綾奈はデパートの中を歩いていた。
ただでさえ、制服でいるときも恋人同士に間違われる彼らは、今日は互いに私服を着ている。傍目から見たら完全に恋人同士そのものだ。
しかし今日来たのは、単にホームパーティーのために買い出しをするという目的のためだけ。
ふたりは幼馴染で親同士も仲の良いので、よく家族ぐるみでホームパーティーする。月一ペースで行われている恒例行事だ。
「頼まれてたのなんだっけ。焼肉のたれと、あと野菜類?」
「オレンジジュースも頼まれてたぜ。一リットルのペットボトルで」
「あ、りょうかーい。じゃああたし持ってくるから、カゴ持ってそこで待ってて!」
ドリンクコーナーへ駆けてゆく綾奈の背を見送り、智也はぼんやりと考える。
いつもだったら、綾奈といるときには常に不安を抱えていた。
どこかで薫が見ているのではないか。
ストーカーをしているのではないか……と。
けれど智也は、心の何処かで確信していた。
先程の「綾奈と智也は付き合っている」と言う嘘をきっと薫は受け入れていて、もう綾奈のことは諦めてくれているはずだと。
それに今はもう夜中で、学校内でもないのだから――ここに、いるはずがないと。
「……!」
だがそんな確信は、今この瞬間に、打ち砕かれてしまった。
何となしに、くるりと後ろを振り返って――そして、智也の心は、一度に絶望へと追い込まれた。
壁の向こうには確かに薫がいた。
僅かに顔を出して、恍惚の目で綾奈を見て。
いつの日か、グラウンドでそうしていたように。
「なあに? どうしたの、智……」
硬直した智也を心配に思い、綾奈は彼の目線をゆっくりと辿ってゆく。
そして――彼女もまた、見てしまった。
こちらをじっと見つめている、薫の姿を――。
久々の更新となってしまいました。申し訳ございませんm(__)m