第八話
「宮野のことは……」
そこまで言って、智也は一度深呼吸をしてから言い放った。
「――宮野のことは、極力避けろよ」
「え」
いつになく真剣な表情を向けられ、綾奈は思わず息を呑んだ。
「み、宮野くんのことを避けろ? 話ってそれ?」
「ああ」
「な……なにそれっ、変なの! もう、智也ってばそんな冗談言うために、あんな焦った顔してたの? 何事かと思ったじゃん!」
「冗談じゃねえよ!」
破顔した綾奈を諌めるがごとく、智也は思わず言葉を鋭くしていた。
「冗談じゃなくて、本気で、宮野のことは避けたほうがいい。……なんていうか、すごく嫌な予感がするんだよ。単なる疑念とか、そういうんじゃなくて。それにあいつはこの間……」
この間、薫が綾奈をストーカーをしている現場を見てしまった――ということは、さすがに智也には言えなかった。
言ったところで信じてもらえないだろうし、かえって綾奈を不安にさせるだけだと思ったのだ。
「智也……?」
「……なんでもねえよ。とりあえず、あいつと接するのは危険だと思うぜ」
「危険? あんなに物静かな宮野くんが危険、かなあ……」
「俺が危険っつってんだからそうなんだよ。いいから、俺の言うとおりにしろ。あいつとはあんまり話すな」
「ちょっと、智也ってば強引すぎるよ。勝手な推測だけで、なんでそんなこと言うの? 宮野くんと話すなだなんて宮野くんに対しても失礼だよ」
「……わかってるよ、自分が勝手ってことくらい。宮野に対しても失礼なんだろうって。けど……俺はただ、お前のことが心配なんだよ」
そう言った直後、智也はハッとして微かにうろたえた。
何とかしてそれを誤魔化そうと、必死に続く言葉を探す。
「とにかく! あいつのことは避けるんだぞ。……じゃあなっ!」
そして智也は、逃げるように去っていった。
翌日の一限目の授業は、男女ともに校庭での体育だった。
男子は陸上を、女子はバレーボールをする。
「……はあ」
智也は校庭の上に、ライン引きを用いて白線を引きながら、思わず溜息を零した。
昨日の、綾奈に対する己の態度を激しく後悔していたのだ。
自分は人に何かを伝えるのがかなり下手らしい。
もっと柔らかい物腰で伝えることもできたのではないか。
綾奈の言う通り、かなり強引な物言いをしてしまったと思う。
それでも――薫と接するなという忠告に込めた智也の真剣な思いは、僅かかもしれないが、一応綾奈には伝わっているらしかった。綾奈は今日、一度も薫に話しかけていないのだから。
「なんだよ智也、溜息なんか吐いちゃって! なんか悩みでもあんのか?」
そこに、にやにやと笑いながらやってきた幹太が、智也の背中を容赦無くどついた。
――関幹太。
お調子者で明るい性格の彼は、智也のクラスメイト兼友人である。
「まあ、それなりにな」
「おお、マジか。俺で良かったら聞くぜ?」
「いや、いい。まったく頼りになりそうにない」
「うわっ、ひっでぇ!! 人のせっかくの好意を、お前ってやつは!」
わーわー喚く幹太を放置し、智也はライン引きを続行する。
そしてようやく引き終わったところで顔を上げると、まるで智也が顔を上げるのを待ち構えていたかのような薫と、ぴたりと目が合った。
薫はこの前のように、校舎の壁から僅かに顔をのぞかせていた。
智也と目が合ったものの、その視線はすぐに違う場所へと――元々向けられていたものへと移される。
――それは。
「さきー、ボールってどこにしまってあるんだっけ?」
「そこの用具入れでしょ。奥の方にしまってあると思うけど」
「あー、そっか、ありがと!」
バレーボール用のコートの整備をしつつ、さきと言葉を交わす、綾奈だった。
「……」
智也の予想通りだった。
……それは、あまり当たってほしくない予想ではあったのだが。
やはり薫は綾奈をストーカーしているのだと、智也は今度こそ確信した。
綾奈に恍惚しきっていて、尚且つ心酔しきったような薫のその視線が、恐ろしい事実を雄弁に物語っている。
「宮野」
智也はそっと薫のもとへ歩み寄った。
考えるよりも先に、足が動いていたのだ。
「え……」
薫はびくりと肩を震わせ、怯えたように一歩後退した。
歩いてきたのが自分ではなく、綾奈だったらこんな反応はされなかっただろうに。
どこか自嘲的に考え、智也は苦笑する。
しかしその笑みも、次の言葉を紡ぐと同時に消えていた。
「お前は、綾奈のことが好きなのか?」
――答えを得られたところで、どうにかできるという訳でもないのに。
智也はまっすぐに薫を見つめ、そう問いただしていた。