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 その日の昼休み、和奏が窓の外を見たのは偶然だった。そこから下を眺めた事も偶然だったし、更に会社の前に都子の姿を発見した事も偶然だった。

「ちょっ……」

 和奏は思わず絶句する。何故、彼女がこんな真昼間から居るのだろうか。そしてそれを見つけた瞬間、和奏はエレベーターに向かい駆けだしていた。



 一階に着き、急いでビルの外に出る。すると堂々と立っている都子と、相変わらず後ろに控えているスーツ姿の男が和奏に気付いた。

「な……何してるんですか、こんな昼間から」

 改めて相手の姿を見とめると、考えるよりも先に和奏の口からそんな言葉が出ていた。

 だが、何をしているのか、と訊くまでもない。彼女の事だ。きっと斗真に会いにきたのだろう。和奏は答えを聞くよりも早く、質問を被せた。

「と言うか、どうしてこんな時間から居るんですかっ」

「今はテスト期間なんです。それが何か?」

 じゃあ早く家に帰って勉強しなさい――と口には出来なかったが、和奏はすかさず心の中で突っ込んだ。学生の本分は勉強の筈だ。少なくとも、社会人のイトコを会社に来て追い回す事ではない。

 何と返すべきか和奏が閉口していると、都子は相変わらずの堂々とした態度で言った。

「それよりも、斗真くんを呼んできて下さらない?」

「あの、息巻いてる所申し訳ないんですけど、今日は主任は不在なんですが」

 あくまでも事務的を装いながら和奏は返答した。昼休みだがまだ業務時間内だ。だから冷静に上司の留守を告げる。

 そもそも一体何故、和奏が一人でここまで出てきたのか。それは今告げた理由にあった。今日、斗真は社内には居ない。本日中の帰社予定が無い事から、都子がどれだけここで待っていようと、それは無駄な話だった。

 和奏の言葉を聞いた都子は、きょとんとした顔を作った。大きな瞳が益々大きく丸くなる。造形がいいせいか、こういう顔をすると妙に愛らしいのがまた和奏を何とも言えない気持ちにさせた。

立川(たちかわ)、どういう事? 確認していないの?」

 都子は言いながら後ろの男を振り返る。どうやら先日からずっと彼女に付き添っていた、このスーツの男は立川という名らしい。

 立川は何処か困ったように少しだけ眉を寄せた。

「お仕事中だとご迷惑になるから電話での確認は控えるように、と仰ったのはお嬢様ですが……」

「……あ、ああそう、そういえばそうだったわね」

 立川のその言葉に、都子は自らの発言したであろう事を思い出したようだった。艶やかな黒髪をさらりとかきあげながら、勿論覚えていたわ、なんて付け足す都子を見つつ、和奏は「天然か」と突っ込みたくて仕方がなかった。

 ツメが甘いのはやはり子供だからなのだろうか。迷惑になるから電話は控えよう、としたその姿勢は評価しないでもないが、それならそもそも会社まで押し掛けてくるのは迷惑ではないのか、とも突っ込みたい。

 和奏は、はぁ~、と尾を引く長い溜息を一つ吐き出すと、何かを決めたように小さく頷いた。このままではラチがあかない。今日この場で帰すだけではなく、今後都子がここへ来ないようにしなければ。

 都子が斗真を好きだという事は分かった。幼い頃に抱いたその恋の芽を、ずっと大切に育ててきたという事も分かった。ただ斗真を好きで彼と一緒になりたいだけだ、という健気な姿勢も分からないでもない。だが、それとこれとは話が別だ。

「あー、じゃあとっとと帰って頂けませんかねぇ」

 迷惑だ、という気持ちが最大限伝わるように、和奏は極力低い声を作る。それを聞いた都子の眉が跳ねあがった。

「何ですって?」

「あのね、まだ高校生のお嬢さんには分からないかも知れないけどね。会社は子供の遊び場じゃないの。毎日じゃないにしても、貴方がしょっちゅうここまでやってきて、こっちは本当に迷惑してるの。分かったら、ううん分かってなくても、とにかくお子様はさっさとお家に帰りなさい」

「な……ッ!」

 その声に都子は一気に激昂した。彼女はぶるぶると肩を震わせ、怒りに薔薇色の唇を戦慄かせる。

「立川っ! この無礼な女をどうにかして!」

「お嬢様、無茶を仰らないで下さい。そもそも無礼なのはこちらの方ですっ」

 立川はそれを何とか宥めようとしていた。どうやら彼は主とは違い、そこそこ常識人のようだ。雇い主には逆らえず、仕方なくいつも着いてきているといった所か。

 都子はキッと和奏を睨みつけ、

「大体、貴方一体いつの間に斗真くんに取り入ったんです!? 斗真くんの事はちゃんと興信所に調べさせていた筈ですのに! 貴方の事なんて一言も書かれていませんでした! なのにどうして、いつの間に……!」

 と叫んだ。何だか物凄い事を言っているが、一瞬呆気にとられた直後、和奏はふと首を傾げた。

「興信所……?」

 そもそも、斗真と食事に出掛けるようになったのが、興信所を使われていた時の事を考えた保険だった筈だ。そしてちゃんと調べさせていたのなら、都子は和奏の事を知っていてもおかしくない筈なのだ。

 ならば、何故都子は和奏を知らなかったのか――?

「お嬢様、もう行きましょう」

 立川がやや強引に都子の肩を掴んだ。まだ言い足りない様子の都子を、そのままずるずると引き摺っていく。停めてあった高級車に都子を押し込んだ立川は、最後に申し訳無さそうに和奏に頭を下げ、自らも運転席へと乗り込んだ。

 その様子を呆然として見送った和奏は、数秒の間を置いて、

「えーと……とりあえず、連絡しておこう……」

 と、ようやくするべき事に気付いたように呟いた。



 今、都子が来たという事を斗真にメールすると、間を置かずに彼からの電話があった。流石に昼に来るとは思っていなかったらしい。電波越しに届く彼の声は、やや焦った様子が感じ取れた。

『あいつ学校はどうしたんだ』

「テスト期間らしいですよ」

『テスト期間……。はぁ……それなら学生らしく、とっとと家に帰って勉強したらどうだ』

 呆れたような斗真の声に和奏は思わず吹き出してしまう。

『何だ?』

「あ、いえ。私も同じ事を思ったものですから」

 こんな状況ではあるが、それでも自分の思考と斗真の思考がシンクロしていた事が何だかおかしくて、それから妙に嬉しい気がして、和奏は小さく笑った。


 ◆ ◇ ◆


 怒涛の昼休みを終え、午後の業務も終了した和奏は、会社の外へ出た所でまたしても昼に見た顔を見つけた。

「あ……」

 ただし、今は件の『お嬢様』は居ない。立川が一人で立っていた。

「こんばんは。都子さんはもうお家に?」

 この時点で和奏は立川に対して、同情的な気持ちになっていた。だから極力穏やかに声をかける。すると彼は「ええ、ここには居ません」と返し、小さく頭を下げた。

「立川と申します。少しお時間宜しいですか」



 近くのカフェに入りコーヒーを注文すると、立川はまず最初に謝罪の意を述べてきた。

 国峰家に雇われている立場上、ただの使用人である自分には都子を止める事は出来ないが、迷惑をかけてきて本当に申し訳ない。そんなような事を告げられ、和奏は「気にしないでほしい」と返すしか出来なかった。雇用主に逆らえないのは、雇用される側としては極自然な事だ。それは社会人であり、また斗真と雇用関係にある和奏にも充分に分かっている事だった。

 そして和奏は、昼からずっと抱いていた疑問を直接ぶつける事にした。

「都子さん、興信所がどうとか言ってましたよね。調べさせた筈なのに私の存在を知らなかった、って。あれは一体どういう事か、立川さんはご存知ですか?」

 興信所を使っていたのなら、定期的に二人で食事に行っていた事の報告が無い筈がない。

 すると立川は少し困ったような顔で苦笑した。

「お嬢様の所へ余計な情報が行かないように、全て私が処理をさせて頂いていたものですから」

 つまり、都子の所へ報告書が行くまでに、立川の手が入っていたという事だ。

 柔らかな猫っ毛、柔和な表情、優しい喋り口。とにかく穏やかな印象のある立川だが、優しそうな顔で都子に常に従うフリをして、意外にきっちり仕事をしているな、と和奏は少し感心した。

 そして同時に疑問が浮かぶ。こうして都子の見えない所で色々と動いているという彼は、今回の事について、一体どう考えているのか、と。

「お聞きしたいんですが……立川さんはどう思ってらっしゃるんですか?」

「どう、と仰いますと」

「都子さんの事、と言うか、都子さんと斗真さんの事です」

 和奏の言葉に立川は難しい顔をした。それは自分が答えていい話なのか否か、を決め兼ねているように見えた。

 しばらく黙って考えたらしい彼は、やがて

「……どうでしょう」

 と、ぽつりと口にした。

「斗真様は素晴らしい方だと思います。お嬢様の気性を良く知っているし、仕事も出来て、家柄も申し分ない。何より、お嬢様が子供の頃からずっとひたむきに想い続けていた方ですし。ですが……」

 立川はそこで一旦言葉を止めた。


「お嬢様の望む通りに斗真様と結婚出来たとして、それでお嬢様が幸せになれるとは……私には、思えないのです」


 それは主である都子の現時点での行動を全否定するも同じだ。

「幸せに……?」

「羽山さんの前でこんな事を言うのは何ですが、仮に斗真様がお嬢様の事を、本当に本心から好きになって下さるのならば、その先にある結婚も幸せなものになるでしょう。ですが、それは……」

 難しいでしょうね――。

 静かに続ける立川は、やはり何処か困ったような顔をしていた。否、寂しそうに、哀愁を漂わせた表情、と言った方が正しいのかも知れない。

「立川さんはどうされたいんですか?」

 気付いた時には、和奏はそう訊ねていた。この男は一体何を望んでいるのだろう。常に都子に付き従っている彼は、都子についてどうするのが最善だと思っているのだろう。


「私はお嬢様が幸せになって下されば、それでいいんです」




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