98 虹の彼方に 2
「ふーん。まあいいじゃんか、行けばさ」
夕食を食べながら号田のお誘いについて話すと、良彦はしれっとこう返してきた。
「なんか、変な感じだったよ。大体藤田とは来るなっていうのがおかしいじゃんか」
「諦めたんだろ、ゴーさんも。俺、だいぶ背が伸びたんだぜ? どうだ、ほれ、立ってみろ!」
「いいよ。わかってるし」
最初はよう子とほぼ同じサイズだったのに、最近では二人が並ぶとどう見ても良彦の方が大きかった。
あんなにブカブカだった学ランも、少しずつフィットしてきている。
「お、気にしてるんだな。お前も俺に抜かれる日がそろそろ来るぜ」
「まだでしょ」
「……お前はちょっと背が高すぎるんだよ。そろそろ止めとけよな」
確かに平均よりも背が高めの華恋は、四月の身体測定で一六五センチになっていた。
まだまだ良彦に抜かされる気配はない。
「スネ毛生えた?」
「華恋、なにを言ってるんだ、やめなさい」
父に顔をしかめられて、注意された娘は、すいませーんと小声で呟いた。
夏休み前の最後の日曜日、華恋は仕方なくひとりでGOD・Aに向かった。
父に車で送ってもらい、時ノ浦駅前に立つ。
ここに一人で来るのは初めてだと考える。
何回か来てはいるけれど、いつだって演劇部のメンバーが一緒だった。
なぜ今日は一人で呼ばれたのか、答えが見つからない。
かわいい女子生徒にちょっかいを、なんて可能性は皆無で、そうなるとやはりただ単に伸びてきた髪が気になるのか?
そのくらいしか、理由が見つからなかった。
駅前のロータリーから歩いて行くと、店の前には大きな人影がある。
「あれ、レオ先輩」
「ビューティ」
大きな先輩は笑顔を浮かべて華恋を迎えてくれた。
古い作りのGOD・Aは天井が低い。成長期で更なる巨大化を続けるこの中学三年生は、無事に店内に入れるのだろうかと、多くの人が考えてしまうであろう光景だ。
「どうしたんですか? 先輩もカットしに?」
「いや、違う。とりあえず入ろう」
促されてついていくと、礼音が入ったのはモグリの待つ理容室ではなく、その母が経営している隣接した「ビューティサロン GOD・S」の方だ。
「ゴーさんに呼ばれてるんですけど」
「大丈夫だ。先生も知ってる」
不思議な気分のまま中に入ると、店内はまだ薄暗かった。
カランカランと鳴る鈴の音を聞きながら中の様子を伺っていると、礼音は奥に歩いていき、照明のスイッチを入れた。
明るく照らされた店内はGOD・Aと違って洗練されたおしゃれな雰囲気だった。
どうして自分はオンボロ理容室の方に通わされているのかという疑問とともに、飛び込んできた光景に目をみはる。
「あれ? これって……?」
通りに面した大きな窓ガラスの前に大きな棚が置かれ、可愛らしい小物がこれでもかと並べられている。
その並べられたアイテムに、見覚えがあった。
「レオ先輩が作ったものですか?」
「そうだ。今日から販売がスタートする。ネット通販も始まるし、ブログも開設するから知らせようと思って」
男らしい顔から飛び出す単語のひとつひとつがまったく理解できない。
耳には入ったものの、頭の中をスルーっと抜け出ていってしまう。
それをなんとかUターンさせて、再び耳のトンネルに入れて、華恋は改めて考える。
あのかわいい小物類を、販売することにした。それはわかる。
ネットで販売。これもいい。
ブログを開設。
開設を、知らせる?
「もしかして、……十六四って」
「俺だ」
「おほほほーう!」
意外すぎる正体に、華恋はおかしな声をあげて、混乱に陥っていった。
そのヤバすぎる姿に、さすがの礼音も苦笑している。
「えー、なんですか、マジで? 十六四って、は? 女子高生だと思ってたのに。っていうかなんでこっちに気がついてんすか。いつから? ビューティとか自分で名乗ってめちゃめちゃ恥ずかしいんですけどなんなんですか」
「落ち着いてくれ。ビューティのブログに書き込んだのは本当にたまたまだ。最初は、誰か同じように悩んでいる人がいないかあちこち見ていて、たまたま見つけたんだ」
「今の変な声はお前か? ビューティ」
奥から号田が姿を現し、まあお茶でも飲めよと店の奥へ二人を招く。
出された冷たい麦茶を一気に飲んだらようやく少し落ち着いてきて、華恋は汗を拭き拭き、礼音の話の続きを聞いた。
「最初は知らなかったんだぞ。でも、名前がBeautyだったし、ブログのタイトルのイニシャルもK.Mだったから」
同じ学校に通っていれば行事のタイミングだって同じなわけで、これは最近やってきた地味な顔の新入部員だと気がついた、という流れだったらしい。
「じゃあずっと気がついてて黙ってたんすか」
「すまん。だが、いきなり俺が十六四だっていうのもなんだかおかしい気がしてな」
確かに知らされていたら、その後そしらぬ顔をしてブログ友達を続けていくのは難しかったかもしれない。
しかし、日記に書いたあんなことやこんなことまで知られているとなると、おそろしく恥ずかしい。
ありがとう、よっしー とか。
顔が火炎放射器にでもなった気分で、華恋はひたすら麦茶の入ったコップをくるくる回している。
「ビューティ、悪かった。黙ってたのは悪趣味だったと俺も思う」
「……いや、まあ、いいですよ。それより、なんで十六四なんですか? ハンドルネーム」
「それは、俺の名前からだ。礼音はライオンで、四四十六、ついでに四人兄弟の四番目だから」
そこでいったん言葉を切ると、大きな中学生は恥ずかしそうに鼻の頭をぽりぽりかいて、改めて続けた。
「俺は名前こそライオンだが、気が弱い。勇気が欲しいライオンだったから、だからオズの魔法使いの主人公のドロシーとつけたんだ」
そこはイコールで結べるのか? と思うが、今ツッコむべきではないのだろう。
今まで明かされてこなかった副部長の正体について、華恋は黙って聞いていく。
「俺の家は空手の道場をやっている。小さい頃からずっと、兄弟揃ってやってきたが、兄貴たちはみんな違う道へ行ってしまった。だから、父の期待は俺に向いた」
「それが、親から期待されている未来?」
「そう。道場のあとを継いで、どうせなら世界一強くなって欲しいというのが俺の父親の気持ち。だが俺は……」
「なんでしょう」
「試合会場に行った時に、待ち時間が長かったから、観たんだ」
小学生の時に行った空手の大会。
大きな体育館がいくつも並ぶそこで、辻出教諭率いる演劇部が「彼女の夢の行進曲」を演じていたのをたまたま見かけたのだという。
「素晴らしかった。その日の大会が終わってから、図書室に行って調べたんだ。確か、近くの小学校の子が賞を取ったという話があったと思って、新聞を調べて読んだ」
それが、桐絵との出会いだったという。
作品を読んで心を打たれ、同じ学区なので中学校で会えるのではないかと、進学する日を待った。
「それで演劇部に入ったんですか?」
「そうだ。しかしあの通り、まり子先生は厳しくてな。始まった途端、入ろうとしていた連中はみんな逃げてしまった。部長とよう子がこのままじゃ潰れてしまうからって、俺に頼んできたんだ。一緒に演劇部に入ってほしいと」
「へえ」
「このガタイなら、少々のしごきには耐えられると思ったんだろう。俺は部長と話をしてみたかったから、そのまま入部した」
号田は青少年の事情を聞いて、ニヤニヤと笑っている。
礼音と号田のつながりについても不明で、そちらも早く知りたいが、まだ話は続いていた。
「入部したものの舞台に立つのはどうにも恥ずかしくて。それに、父親にひどく怒られた。なんで演劇部なんかに入ったんだと。それで、人数あわせの為に協力したんだと答えた。空手自体は家でやればいいだけで、学校でまでやる必要はないから。それでなんとか納得してもらったんだが……」
珍しくずっとしゃべり続けて、疲れてしまったのか礼音はふうと息をついた。
「入ったが?」
「父にそう言ってしまった以上、舞台には立てない。しかし、入った以上なにもしないわけにはいかない。だから、大道具の係になろうと思った」
「なるほど」
この大きい体には、大道具はよく似合っている。
華恋は頷き、礼音はこう続けた。
「それで色々と作っているうちに、楽しくなってな。それで、小道具も作るようになったんだ」
「ええ?」
「なんだ?」
「いや、そんな成り行きでやって、あんなに上手になんでも作れるようになったなんて」
「才能だろ」
礼音のかわりに、号田が答えた。
ふふんと笑って、自分より大きな男子中学生の肩をポンポンと叩いている。
それで、将来の二択で悩むようになってしまった――。
空手を極めるか、かわいい小物作りへの道を進むか?
両極端な選択に、華恋は思わず笑った。