97 虹の彼方に 1
一学期の期末試験が終わって、学校には夏休み前特有の浮ついたムードが満ちている。
授業も午前中で終わってしまう七月の放課後、演劇部の部室では三年生と変態副顧問を送り出す会の準備が進められていた。
花を飾り、マネキンによう子作の衣装を着せ、礼音作の小道具をディスプレイし、部長の書いた台本も並べて。プチパーティの支度はそろそろ完了しようとしていた。
「祐午君、先輩たち呼んできてくれる?」
「わかった。行ってくるね」
「藤田、ゴーさん呼んできて」
「なんで俺なんだよ」
「サービスだよ、サービス。まりこ先生も一緒だから、ついでに。いいでしょ」
華恋の台詞の意味するところがわからず、一年生たちの頭上にはハテナマークが浮かんでいるようだ。
これ以上は余計な裏事情の暴露に繋がるかもしれず、良彦は慌てながら、相変わらず子犬のような可愛さで部室から飛び出していった。
「準備はいいかな?」
一年生たちに確認をしていく。
コップの数は充分。美女井家の母から差し入れられた手作りお菓子も並べた。椅子も揃っているし、最後に渡す記念の品も用意できている。
ほどなくして本日の主役たちが姿を現した。
個性丸出しの三年生たちと、変態丸出し、いや、最近はすっかり隠すのが上手になった、一見普通の臨時講師である副顧問の号田先生だ。
四人は並んで、ぎこちなく微笑んでいるような顔をして椅子に座った。
改めてこうやって並ばれると、みんな美形だな、と華恋は思う。
明日からの演劇部は、昨年の秋以降に入った新入りたちのおかげでビジュアルレベルの平均値が思いっきり下がってしまうだろう。
「えー、では、始めたいと思います」
華恋は立ち上がって、挨拶を始めた。
部活動からは引退してしまう三人とオマケの変態講師の、これまでの色々について褒め、コップを高くあげる。
「先輩たち、お疲れ様でした!」
みんな笑顔を浮かべていて、華恋はほっとしていた。
しめっぽい雰囲気はやめようと、全員で決めていたから。
「なんだかあっという間だったわね、桐絵」
「そうね。どうなることかと思っていたけど、こうやって部員も増えて良かったわ」
親友同士の会話に、礼音も頷いている。
去年の秋までは廃部の危機だったのに、ここまでよく盛り返せたと笑顔で話しあっている。
「ゴーちゃんも楽しかったでしょ、先生ごっこ」
「ごっことはなんだ、BG! ちゃんと免許は持ってるんだぞ」
「先輩、BGってどういう意味ですか?」
「それ以上余計なことを聞くと、あなたに不幸が訪れるわよ」
よう子の目がギラリと輝き、里芋が黙る。
しかしすぐに艶やかな笑顔を浮かべて、うふふと笑うと水島の頬をツンとつついた。
「冗談よ。BGの意味はそうね、ビューティに聞いてちょうだい」
「え?」
一年生の視線がいっせいに華恋に集まる。
眉間にしわを寄せて少し考えて、新しい部長は結局こう答えた。
「ビューティフルガールの略、でしたっけ」
「大正解よ! みんな、わかったかしら?」
号田が大きな声で笑い出す。よう子も楽しげな顔で頷き、妙なムードながら後輩達も明るく笑った。
適度に飲んで食べて宴も終盤にさしかかり、プレゼント贈呈の時間がやってきた。
華恋が桐絵に、良彦がよう子に、祐午が礼音に、そして辻出教諭が号田に渡す。
全員で撮った写真を貼り付け、メッセージを書いた寄せ書きと花だ。
「えーと」
話し合った結果、最後に代表としてメッセージを送る役は祐午に決まっていた。
華恋と良彦は揃って、緊張しながら愛すべき天然野郎を見守っている。
「先輩方、二年と三ヶ月の間、本当にお疲れ様でした。先輩方は舞台にこそ立たなかったものの、それぞれ、脚本、衣装、小道具と、素晴らしい作品をたくさん作り出し、役者を彩る最高の仕事をしてくださいました」
みんな黙って耳を傾けている。
原稿は用意してあって、それを読むだけなので、いくら祐午でもおかしな方向にはいかないはずだ。
「舞台は役者だけではできません。裏方が懸命にやるからこそ、役者が輝くのです。先輩方はそれぞれの仕事に誇りを持ち、常に手を抜かず、ベストを尽くしてきました。僕たちは、先輩方を尊敬します」
桐絵の顔が真っ赤になって震えている。
親友のひざに手を置いて、よう子は微笑んでいる。
「その最高の仕事を、放課後エンターテイメントで活かすことができて、素晴らしい思い出ができました。僕たちはこれから先も、舞台を続けていきます。先輩方の残した作品は、これからも長い間、この演劇部で活躍するでしょう。ぜひ、見に来てください。受験勉強で大変でしょうが、時には息抜きに、顔を出してください」
聞いていて、なんだか幼い、いい子ちゃんすぎる内容になってしまったかな、と華恋は考える。
お利口な子供の作文のようで締りがない気がするが、今更言っても仕方ない。
「……僕は最初、入部した時にすごく不満を感じていました。演劇部なのに、お芝居をしないってどういうことなんだろうと」
ここでまさかのアドリブが入った。
持っていた紙を下げ、祐午は先輩たちを、まっすぐに強い瞳で見つめている。
華恋は思わず良彦を見たが、少年は小さく首を横に振った。
任せるしかない。軽く頷いて、黙って成り行きを見守っていく。
「一緒に入ったよっしーも、舞台には絶対立たないと言うので、すごくガッカリしました。それでもやめなかった僕の目的は、とにかく演劇部をなくさないでおくことで、来年になれば誰かが入ってくるかもしれない。それまでは待とう。それだけを考えて部室に通っていたんです」
そこまで言うと祐午はふっと笑った。優しい微笑みを浮かべて、こう続ける。
「僕は……、本当に驚きました。みんな素晴らしかったから。部長の書くシナリオはスケールが大きくて面白かったし、よう子さんの作る衣装は本格的で美しかった。レオ先輩も同じです。なんでもすぐに作ってしまって、魔法みたいでした。それで反省したんです。役者だけでは芝居はできない。いい脚本やいい道具があって、舞台はより良いものになるんだと。最初に持っていた不満はすぐに消し飛んで、最高にワクワクしたんです。早く、お芝居ができるようになりたいって。先輩たちの作品があったら、絶対すごいことができるに違いないから」
イケメンは急に振り返ると、かなり強めのキラキラビームを発射してきた。
あやうく死ぬかもしれないくらいの衝撃に、華恋は思わずのけ反ってしまう。
「ビューティがやってきて、号田先生も来て、まりこ先生の指導が始まって……。そこからは本当に、小さいけれど最高にいい舞台ができました。きっと、機が熟すってこういうことなんですね。長い間待ったからこそ、こうして幸せだって感じられるんだって、僕は思いました」
「おい、ユーゴが機が熟すって言ったぞ!」
「こんな幸せをくれた先輩方に、心からお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました!」
熱弁に全員が惜しみない拍手を送る。
こんな送辞を受けて、赤い顔をした桐絵が立ち上がり、少し照れた顔で話し出した。
「武川君、どうもありがとう。だけど今の話だと、お礼を言うべきは美女井さんかもしれないわね」
それに、よう子と礼音も頷いている。
「勝手な私達についてきてくれてありがとう。作品をほめてくれてありがとう。私達の作品を使って、舞台をやってくれてありがとう。ちょっと前に、三人で反省会を開いたのよ。もっと早くに、舞台に立とうって決意すべきだったって。武川君を待たせたこと、本当に申し訳なかったわ」
部活の先輩を送り出すにしては、おかしなやり取りかもしれない。
しかし、この演劇部にはお似合いだ。
「一年生の皆さん、入部してくれてありがとう。これからみんなで、たくさんの舞台を作り上げていってください。どうぞ、よろしく」
桐絵はメガネをとると、深々と頭をさげた。
よう子と礼音も続き、他の部員も慌てて立ち上がると同じように礼をした。
こうしてお別れ会は終わり、先輩達を送り出すと部員たちはお別れ会の後片付けを始めた。
ゴミ袋を広げた華恋の袖を、誰かが引っ張る。
「ゴーさん、どうかした?」
「ちょっと来てくれ」
そのまま引っ張られて、華恋はゴミ袋を片手に部室から出た。
夕方の強い日差しが窓から入り込んで、部室が並ぶ廊下は一面オレンジ色で染まっている。
「俺にもメッセージがあってもよかったんじゃないのか?」
「ああそうだね。ごめん」
軽くあしらわれて、号田はムカついた表情を浮かべた。
しかし、すぐに「しょうがないな」と呟いて、いつも通りのうさん臭い笑顔を浮かべた。
「ビューティ、日曜日にGOD・Aに来てくれ。朝の十時だ」
「なんで?」
「伸びただろう、髪が。藤田君が来ると気が散って集中できないから、一人で来いよ」
突然の命令に、華恋は顔をしかめている。
「なにそれ? なんか用なら今言えば?」
「まったく可愛くないな。顔が地味なんだから、態度くらい可愛らしくした方がいいぞ」
「鋭意努力いたします」
棒読みで答えると号田はわははと笑い、絶対来いよと言い残すと身を翻して去って行った。