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91 ゆっくりと、春が訪れる 3

 藤田家での試験対策勉強会は想像以上にはかどった。

 なにせギャラリーがいないし、人の出入りがない。


「なあ、試験勉強は毎日うちでやらないか。おいしいご飯は出てこないけど、夕食までに帰った方がユーゴだって喜ばれるだろ、お母さんに」

「いいの? よっしー」

「ご覧の通り、だーれもいないからな。遠慮する相手がいないだろ」

 

 華恋の悩みを解消しようとしての提案だったのかもしれない。

 ユーゴがキラキラと笑顔を輝かせて「ありがとう」と言ったので、学年末試験対策本部は藤田家に置かれることになった。

 学校が終わったらみっちり試験対策をして、夕食の時間には帰る。

 華恋と良彦も終わってから美女井家へ移動して、美味しいご飯を食べて夜はしっかりと眠った。


 良彦師匠の教師攻略は今回も見事に成功していて、華恋もいい点を取り、祐午も全科目で平均点以上の結果を出せたようだ。


「僕、もうよっしーと離れられないかもしれないよ!」

「そういうこと大きな声で言うなよ、ユーゴ」

 辺りを見回して、笑ってから、三人は打ち上げ会場のファーストフード店で乾杯をした。


 三学期の予定はほとんど終わって、教室に流れる空気は緩んでいる。

 気合の入らない授業中、遠くから卒業式の予行練習の声が聞こえていた。


 終わりの寂しさと、新しい始まりの予感が交じり合った特別な時間が流れていく。


 今回は補習を受ける生徒はいなくて、演劇部の活動もゆるゆると再開されていった。

 しばらく演技の指導はないので、天使モードの優しいまりこがたまに現れて活動について確認するだけだし、急いで用意するものもない。

 短い短い三学期はあっという間に終わって、あっという間に春休みに入った。


 部活のある日は月、水、金曜日の一日おきに決まって、演劇部の一同はみんな休むことなくきっちりと参加していた。

 舞台の予定がないのがいけなかったのか、それとも気合が入らなかったのか、辻出教諭はほとんど姿を見せない。


「まりこ先生、いい加減すぎませんかね?」

「そうね。ペース配分が間違ってると思うわ」


 華恋の問題提起に、うふふと笑いながらよう子が答えた。

 無駄にしごかれるより、みんなでワイワイやっている方がいいのだろう。

 二年生の三人はいつだって、それぞれ好き勝手に作業をしている。

 よう子は衣装を作っているし、礼音はなにかしらデコっていて、桐絵は原稿用紙と睨み合っている。


「ビューティ、一緒に外へ走りに行こうよ!」

「え?」


 唯一の真の仲間に嫌そうな顔をされて、祐午はしょんぼりと俯いてしまった。

 現場の傍には良彦が座っていて、二人の様子をケラケラ笑っている。


 そんな勝手な子供たちの様子を見つめていた最後の一人、中学生の監督役を一手に引き受けている副顧問の先生がいきなり、張り切りだした。


「そんなことより藤田君、そろそろスピリットになってくれてもいいんじゃないのかな?」

「えっ?」


 そう、大人は一人だけ。自身の欲望を見せてはならない唯一の存在(まりこ)が来ないと確信できたらしく、号田は久しぶりに本来の姿を剥き出しにしてエキサイトし始めている。


「ビューティの改造はもう飽きた! お願いされた通り、改造に協力したんだから、約束通り君の可愛い姿を見せてくれてもいいんじゃないか?」

「なに言ってんだよ、ゴーさん、待て!」

「待てるかあーっ!」


 ぐわっと飛び掛かるというリアクションは、さすがに副部長が止めた。

 羽交い絞めにされながら、変態副顧問はジタバタと手足を動かして悔しがっている。


「もう半年だぞ! これ以上お預けをくらったら俺はどうしたらいいんだ!」

「諦めたらいいじゃん」


 容赦のない良彦の言葉に、号田は悲しそうな表情を浮かべて暴れるのをやめた。

 真っ白に燃え尽きて、手足をだらんと下げて、礼音に抱きかかえられるままになってしまった。

 成仏寸前まで追い込まれたかのような蒼い顔の号田が気の毒になってきて、華恋は腕組みをし、首を傾げてこんなことを言い出してしまう。


「藤田、一回くらい見せてあげたら」

「はあ? ミメイ、お前なに言ってんだ。正気か?」

「だって、散々よくしてもらったじゃん。私の髪はサラサラになって、カットもしてもらって、舞台の度にセットもしてもらってさ。豪華なお弁当も頼んでくれて、ボーリング大会だって全部奢ってもらったよ。ここまでしてもらっておいて、イヤだダメだなんてちょっと薄情すぎると思うんだけど」

「ビューティ、お前……、お前ってヤツは……!」


 礼音に取り押さえられたまま、号田はおんおんと泣き始めているが、声が大きくて正直やかましい。


「そうねえ、確かに。よっしー、ちょっと変身してあげなさいよ」

「よう子さんまでなに言ってんの?」

「言うこと聞かせたいなら、鞭だけじゃダメよ。たまにはアメをあげないと」


 自分は鞭ばかりふるう麗しの先輩は、衣装を選んであげるわ、と部室の奥のダンボール置き場へ軽やかに移動していく。


「不破、そろそろ離してくれないか」


 良彦はイヤそうな顔をしたままだったが、大きな副部長はこのリクエストに応えて拘束を解いた。

 自由を得た変態副顧問は眩しいくらいの笑顔を浮かべて勢いよく立ち上がり、部屋の奥へむけて叫ぶ。


「BG! 今日は薄いブルーがいい! そんな気分だ!」

「きもちわるっ」

「なんとでも言え!」


 インモラルな先生は即座に走り出し、どこにしまっていたのか、バズーカのようなカメラを取り出すと良彦に向け、早速シャッターを切っている。


「おいおい、マジかよ、この流れ」

「藤田、しょうがない。ギブアンドテイクってやつだよ。一回くらいやってやりな」

「くっそー、ミメイ、お前覚えてろよ?」

「そんなこと言っていいのかな、良彦君は」


 華恋が少し上からジロリと見下ろすと、良彦は悔しそうな顔をして口をぎゅうっと閉じた。

 そこによう子が短めのふんわりとしたドレスを選んでやってきて、変態カメラマンはヒャッホー! と叫んで、涙を流しながら天を仰いだ。


「うおお、神は、神はいたぞ!」

「ほら藤田、メイクしな」

「ねえレオさん、止めてよ」

「よっしー、仕方ない。ここまでしてもらったんだから、少しくらいは恩を返さないと」

 

 味方する者がいない状況に押されて、良彦はムカついた顔で鏡の前に座った。

 しかしまだ納得がいかないようで、ため息をついたり、首をブンブン振ったり斜めにかしげたり、メイクボックスもまだ閉じたままだ。


「藤田君、君ができないのであれば、僭越ながらこの俺が! 君のかわいらしい顔をよりグレードアップするべくメイクさせていただきたい所存であるのところなのだが」

「ゴーさん、なに言ってるかわかんないけど、それだけはダメ」

「藤田、男らしく覚悟を決めな」

「それ、皮肉か?」


 華恋の言葉に、良彦は顔をしかめている。

 別に、どうしても女装をさせたいわけではない。

 けれどやっぱり、いい大人を甘い言葉で騙していいように使ってきたのはうしろめたい。

 この半年間のバカバカしい号田についての思い出に笑いつつ、華恋は前向きな言葉を探して、組み立てていった。

 

「ねえ藤田、あのブログの写真、本っ当に可愛かったよ。あの時のヒントがなかったら、いまだに藤田だってわからなかったと思う。すごいよね」


 まだ口はへの字のままだが、良彦の顔はまっすぐに華恋に向いた。


「芸術みたいなものだと思えばいいんじゃない? 自分が土台になるのは不本意だろうけど、この世で最高に可愛い女の子を作り上げるんだって、そんな感じでやってみたらどうかな」


 後ろからハアハア聞こえるが、今は無視しなければいけない。

 荒い息遣いは聞こえないものにして、華恋は更にダメ押しをしていく。


「私よりもずっとずっと可愛く仕上がるはずでしょ? 私が七十一点なんだから、スピリットだったら三〇〇点くらいになるんじゃない? っていうか、そのくらいに仕上げてみせてよ。あんたにはその腕前があるんだからさ」

「……わかった。やるよ。そこまで言われちゃやらないわけにはいかないな」


 意外とあっさり乗ってきた。と、華恋は思ったが、驚きは隠したまま、良彦の肩を軽く叩いてメイクコーナーから離れた。

 誰もなにも言わなかったが、せめて作業途中だけは見ないでおこうと思ったらしく、みんな良彦には背を向けて、スピリットの完成を待っている。


「ビューティ、お前にも永久無料優待券をやる日が来たようだな」

「じゃあもらっておこうかな。ついでにうちのお父さんも頼んでいい?」


 もちろんだと力強く頷き、モグリの理容師は頬を赤く染めて、カメラを持ったまま落ち着かない様子だ。


 三〇分ほど経って、とうとうその時がやってきた。


「お待たせ!」

「うおおおおおおお」

「さあ、思う存分撮ってくれ! ただし今日一日限り! これが最後の大サービスだからな!」


 めちゃくちゃに可愛いショートカットの女の子が現れて、良彦の声でこう叫んでいる。

 すぐにカメラのシャッター音がどしゃぶりのようにバシャバシャと響き出し、残りの演劇部部員たちを置き去りにしたまま撮影会は進んだ。


「あれ、よっしーなの?」

「祐午君はブログみたことなかったんだっけ」

「うん。あれ、よっしーなの?」


 スピリットの可愛さが想像以上だったのか、イケメンの頬は赤く染まっている。


「ユーゴ、なに赤くなってるの。あれはよっしーなのよ!」


 良彦はやけになっているのか、次々に可愛らしいポーズを決めている。


「本当に? あれ、よっしーなの?」


 考える機能がマヒしてしまったのか、祐午は同じセリフをこの後も二回つぶやいた。


 楽しく過ごしているうちに時は流れて、とうとう四月。

 中学生たちは進級して、新学期を迎えていた。

 

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