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89 ゆっくりと、春が訪れる 1

「ただいまー!」

 良彦の明るい声が玄関を通り抜けて、リビングまで響いていく。

 よその家へズンズンと入っていく図々しい後姿を追いながら、華恋は少しだけ緊張していた。


「よっしー君、お疲れ様。今日もとっても! とっても良かったわ」

 奥から母の声が聞こえてきて、今日もちゃんと観に来てくれていたことがわかる。

「華恋ちゃんは?」

 優季の声が続いて、華恋の足はぴたりと止まった。

「もちろんいるよ。どーしたんだ、ミメイ。恥ずかしいのか?」


 自分で決めたことなのだから、ここで止まってしまうのは違う。

 緊張していても、恥ずかしくても、進まなければ終わらない。

 華恋は前向きに気を取り直して、暖かいであろうリビングへと進んでいく。


「おかえりー、華恋! 今日はお父さんも観に行っちゃったんだぞ!」


 前回同様プチ打ち上げの用意がされていて、美女井家のリビングはいつもよりやかましい色合いに染まっている。

 父、母、正子、優季の四人はとびっきりの笑顔を浮かべて、お疲れの中学生二人を出迎えてくれた。


「あれ、……おねーちゃん?」


 華恋が一歩前へ踏み出すと、正子はこう言ったきり、ポカーンとした顔でしばらく黙り込んで、そして急に体をガクガクと震わせはじめた。


「よっしー、この人誰? おねーちゃんなの?」

「マーサちゃん、何年の付き合いなんだよ。そのくらいわかるだろ?」

「うわあああああ! いやだああ!!」


 いつもとはあまりにも違う姉の顔やら髪型に、どういう類のものかはわからないがショックを受けて、小学五年生の美少女は大声をあげてうろたえ始めた。

 これが引き金になったのか、同じような反応を父もし始める。


「華恋、お前、どうして。なにが起きたんだ。まさか、……整形?」

「バカ言わないでよ。今日舞台観に来たんでしょ?」

「いやだってお前舞台だと小さくしか見えないからそんなお前がきれいにしてるなんて詳細は見えないわけで今ちょっとお父さんなんだか目がよく見えていないような気がするんだけどどうしたらいいんだママ目薬取ってくれないか?」

「うろたえすぎでしょ」


 父と妹のあまりの狼狽振りに、苦笑するしかない。

 あわあわする二人とは対照的に、優季と母は感心したような顔で微笑んでいる。


「華恋ちゃんすっごく可愛い! 今日は一番後ろで観てたから、いつもとそんなに違うなんてわからなかったよ」

「舞台終わった後グレードアップしてるし。な、ミメイ」

「あはは」


 段々と見慣れてきたのか、父と妹もようやく落ち着き、プチ打ち上げを始めようと全員に飲み物が用意されていった。

 パーティ仕様のごちそうはかわいらしくデコられていて、楽しい笑い声が響き渡っていく。


「ゆうちゃん、お父さんは観に来てたの?」

「うーん、どうかなあ。よしくんの部活の様子は見に行ったんだよね?」

「うん。来たよ」

「そこからはわかんないんだよね。家に帰ったのかな」

「いいの? ほっといて」

「いいよ。あんまりいっぺんに色々あると消化しきれないタイプだから。帰ってからなんかあれば言うだろうし」


 華恋がチラリと良彦に目をやると、山盛りのフライドポテトにご満悦になっているようだった。


「お父さん、二人とは本当に正反対なんだね」

「なにか言ってた?」

「私の顔、元だって可愛いじゃないかって言ってくれて」


 優季がふっと、笑顔を浮かべる。こちらもお父さんそっくりのかわいらしい顔だ。


「気を遣うのはいいけど、ウソはダメだよね」

「あんまり正直すぎるのとどっちがマシかな。もう、私にはわかんないよ」


 華恋がそう言って笑うと、優季もケラケラと愉快そうに体を揺らした。いっつもごめんね、なんて言いながら肩をバンバン叩いてくる。

 その手はとても力強くて、優季の回復ぶりがよくわかった。

 四月から復学しても、きっとうまくいくだろう。華恋はすっかり安心した気分で微笑み、優季は優しい視線に気が付くと、友人の手をとってそっと握った。


「華恋ちゃん、昨日はありがとう。よしくんのこと、追いかけてくれて」

「……うん」

「昨日、泣いてなかった?」

「え? ……うーん。どうだったかなあ」


 上手に誤魔化すことができなくて言葉を濁すと、苦労人の姉は微笑みを浮かべて華恋に向けて小さく頷いてみせた。どうやら、弟の秘密なんてすべてお見通しのようだ。


 プチ打ち上げが終わると藤田姉弟は帰っていった。

 台所で後片付けを手伝う長女に、母は優しいまなざしを向けている。


「なに?」

「よっしー君は本当に上手なのね」

「そうだね」


 娘の答えに満足げに頷くと、母はそれ以上なにも言わず、手を動かし続けた。

 洗いあがったお皿を渡されて、華恋も黙ってそれを拭いていく。


 手伝いが終わって、洗面所でじっと鏡と向かい合う。

 いつもよりも丸い、かわいらしい顔。髪の毛もクルクルと盛り上がり、キラキラと輝いている。

 正子があんなにショックを受けるなんて。

 妹の震える姿を思い出してふふっと笑うと、華恋は母から借りたメイク落としを使って、改造された顔面を元に戻した。


「あれ、おねーちゃん、顔が元に戻ってる」

 リビングに戻ると、正子と父がなんともいえない表情で出迎えてくれた。

「本当だ。もったいない。もうちょっとさっきのままで良かったんじゃないのか?」

「いいんだよ。顔がムズムズするし、二人の態度が変だからちっとも落ち着かないし」


 華恋がソファに座ると、最近少しずつHTを実践できるようになりつつある正子は、しばらくじっと姉の地味な横顔を見つめた。


「いつも通りで落ち着くでしょ?」

「ううん。もったいないって思う。お人形さんみたいにスラーってしてて、かわいくって、なんかビックリした」

「藤田が言ってたでしょ。私も案外やるんだよ」


 華恋が鼻でふんと笑うと、向かいに座る父はおかしくなったのか小さく吹き出している。


「正子もやってもらえばいいよ。もうすぐ春休みだし、藤田に頼んでさ」

「いいの?」

「あいつならやってくれるでしょ。……正子は元がいいから、私なんかよりずっと可愛く仕上がるよ」

「うん!」


 素直すぎる正子の返事に、父と姉は愉快な気分で笑った。



 お風呂を済ませて部屋に戻ると、華恋はアンソニーの電源を入れた。

 この二日間の自分の気持ちを、どこかに書き記しておきたかったから。

 放置気味のブログをチェックしてみると、コメントが一件だけついていた。

 前回宣言していった通り、十六四はちゃんと、あのくだらない憎しみ丸出しの日記を読んでくれたらしい。


  そんなこと言って、

  本当は好きな人にちゃんとあげたんじゃないですか?



 なに言ってやがる! とか、お前もか! と考え、ふふっと笑って、仕方なく義理のクッキーを配りました、と正直に白状しておく。

 今も十六四は自分の夢と現実の挟間で奮闘しているのだろうか。

 早く新しいブログが開設されたらいいのに。

 そう考えながら華恋は新しい記事を作成し、キーを叩いていった。



  昨日、今日とすごく密度の濃い二日間だった。

  今日は部活でイベント。こっちはうまくいって良かった。

  昨日は大切な友達がすごく悲しんでて

  なんとか慰めたくて、一緒に過ごした。

  今日笑顔でやってきたから安心したけど

  本当に心にケリがついているのかまではわからない。

  力になってあげたいけど

  力になってあげられているのか

  私が大人だったら、もっと力になれたのかな?

  それとも、同じ子供だからこそ力になれるのかな。

  難しい。

  でも、これからも一緒に過ごしていこうと思う。

  いないよりは、いた方がちょっとくらいはマシじゃないかと思うから。



 今日、良彦の父が見学にきたのは、きっとすごい前進なんだろうと思う。

 今まで避けてきた親子の密なコミュニケーションをしようと、努力し始めているのだろうから。


 それにしても、見た目はおんなじと言ってもいいくらいなのに、中身は正反対だった。

 容姿の評価にあんなに気を遣われるなんて予想外で、思い出すと少し笑える。

 さんざん悩んだ末の発言で、どう考えてもお世辞としか思えない。


 いや、あの弱気は、良彦の中にもあった。

 昨日の夜見せられた弱さを思い出して、なんだかんだ親子なんだなと華恋は考える。


 今日、藤田家の親子三人はなにを話したのだろう。

 中学一年生の息子がメイク上手というのは、父親からすると褒めにくそうだと思えた。

 うまくいっている親子だったとしても、すごいじゃないか、プロを目指そうなんて、受け入れて応援できるかどうか。

 プロボウラーが稼げる職業かはわからないが、こちらの方がよっぽど良いように思える。


 良彦の将来の選択肢が二つ以上あることに気が付いてほっと安心すると、華恋は布団に入り、すぐにすやすやと眠った。

 

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