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88 大切な時間 3

 舞台袖で緊張を感じながら、華恋は出番を待っている。

 隣には真剣な表情の桐絵と、仕事を終えた礼音が立っていた。


「美女井さん、リラックスよ。客席にいるのはそうね……。にんじん。にんじんでいきましょう」

 確かにカボチャやズッキーニの濃い緑色よりは、オレンジ色の方が人類には近いかもしれない。

「もしくはたまねぎ、長ねぎ、万能ねぎ……、きゅうり?」

「大丈夫ですよ、無理して野菜に例えなくても」


 部長ったら緑色が好きなのかな? と考えてふっと笑う。

 女優が笑顔を見せたことに安心したのか、桐絵も顔を綻ばせた。


「美女井さん、ありがとう。お芝居に挑戦してくれて。もし来年度に部員が来なくても、演劇部が滅んでしまっても、前回と今回、私の脚本を演じてもらえて本当に嬉しいわ」

「なんですか、そんな遺言みたいなこと言って。もっとやりましょうよ。引退した後も、受験勉強ほったらかしで放課後エンターテイメント観に来てもらいますからね」


 華恋の言葉に、桐絵は今までに見せたことのない笑顔を浮かべた。

 鋭い目を優しげに細めて、幸せそうに微笑んでいる。

 これが通常の状態になったらモテるに違いないと思わされる顔だ。

 隣の副部長に目をやると、こちらもなんだかやたらめったら優しげな笑顔を浮かべていた。


「楽しみにしてるぞ」

「あれ、言い過ぎたかな。あんまり期待しないでくださいよ」

 調子のいいことを言ってしまったと反省しているところに、とうとう魔将が現れる。

「はじめるぞ!」


 舞台の方へ目を向けると、祐午が背筋をまっすぐに伸ばして立っているのが見えた。

 今日は祐午がまず舞台中央にスタンバイしていて、華恋がゆっくりと近づいていき、最初のセリフを言わなければならない。


「セリフ、覚えているな」

「はい」

 力強く頷く華恋に、辻出教諭もニっと笑顔を浮かべた。

「いい顔してるじゃないか。よし、行こう」


 パチンと指を鳴らす音が響くと、マイクのスイッチが入った音がして、よう子の前説が始まった。

 裏手に隠れている副顧問が頑張って、幕を開けていく。


 最初のセリフだ。

 祐午のところまで歩く途中に、言わなければ。

 しっかり覚えている。

 前回のような失敗はもうしない。

 したくない。


 幕が開き、ゆっくりぶらぶら華恋は歩いた。

 手に持った小道具は卒業証書の入った筒。ちょっと生意気な女子の役だ。普段の華恋と変わらない口調になるよう、部長がセリフを合わせてくれている。


「あれ、なにやってんの? こんなところで」


 言えた。

 反対側を向いていた祐午が振り返り、ちょっとむっとした表情で答える。


「別に。卒業したらもう来ないんだなって思って、校舎見てただけ」


 こちらは普段の彼とはまったく真逆のキャラクターだ。

 素直になれない、ちょっと悪ぶった少年。

 上手に役に入り込んでいて、ボケボケ天然の本人はどこへ行ったのか、捜索願を出したほうがよさそうなほど見当たらない。


「卒業かあ。これでやっと、お前との腐れ縁も終わりだな」

「そうだね。あんたがもっとお勉強できたらまた同じ高校に入れたのに」

「うるせえなあ。お前とまた同じ学校なんて死んでもごめんだよ」


 良彦と二年後にこんな会話を交わしそうな気がして、華恋はふっと笑った。

 成績は向こうの方が良いから、セリフは逆になるのかもしれないけれど。


「ホントは寂しいくせに。素直にいいな」

 華恋が放った脚本になかったセリフに、祐午はなぜかニヤリと笑った。

「寂しいわけあるか。いいとこの坊ちゃんやお嬢様ばっかり通ってる私立高なんて、お前には全然似合わないぜ」


 華麗なアドリブ返しに、驚いてしまう。いや、驚いている場合じゃない。このキャラクターなら、きっと怒る。手に持った筒でぽこんと祐午の頭を叩いて、華恋はくるりと振り返ると脚本通りに、次のセリフを言った。


「楽しみだな、高校生活! 夢に向かうための第一歩が始まるんだと思ったら、すごくワクワクする」




 閉まった幕の向こうから大きな拍手が聞こえる。

 舞台袖に戻って来た女優に満足そうな笑顔を見せて、辻出教諭はすごい勢いで華恋の手を引っ張って舞台中央へと走った。

 桐絵と礼音も慌ててその後を追ってきて、逆サイドから祐午とよう子も出てくる。

 パチンと指がなる音がして、再び幕が開く。全員で手をつないで高くあげ、礼。再びの惜しみない拍手に包まれて、一〇分の短い舞台は無事に終わった。


 みんな笑顔で部室へ戻ると、すぐに打ち上げが始まった。

 紙コップを持ち上げ乾杯して今日の成功を祝う。なぜか華恋の周りにみんな集まってきて、全員でわあわあ騒ぎ始めた。


「ビューティ、いきなりアドリブ入れてくるなんてビックリしたよ」

「本当よ、美女井さん。だけどとても自然で、良かったわ」

「すいません、なんか……つい」

 勝手なツンデレアドリブを怒る者はおらず、華恋はほっと安心していた。

「祐午君も見事だよね。全然焦らないんだからホント、ビックリするよ」


 今回の主役たちがどんな進路をたどるのか、詳細は特に設定されていない。

 あの場で「坊ちゃん嬢ちゃんが通う私立高」なんて単語が飛び出すあたり、祐午の芝居能力はかなり高いのだろうと思われた。

 この頭脳の回転が勉学にも活かされれば問題ないのに、なんて余計な考えもついでに浮かんでくる。



 小さな宴が終わって、衣装を脱いでいく。

 いつもならこの後化粧を落として帰るだけだが、この日はなんとなく気分が違っていた。


「ねえ藤田」


 自前の制服に着替えてついたての陰から出ると、小さなメイクアップアーティストは自分の道具を箱に丁寧にしまっているところだった。


「なんだ、ミメイ」

「今日、ゆうちゃん来てたかな」

「どうかな。今日は人が多くてわかんなかったけど……」

「お父さんは? 観ていったの?」

「わかんないよ。別に俺が舞台に立つわけでもないから、観る必要なんかない気がするけどな。メイク自体はやってるところ、見学できたわけだし」


 母のことだから、きっと見に来ていたのではないかと華恋は思う。

 優季も一緒に来ている可能性は高い。

 さて、どうしようか。

 眉間にしわを寄せて少し悩んで、華恋はよし、と心を決めた。


「どーした。普段よりずっとお美しい顔で悩んでらっしゃるけど、どーしたんだ」

「それ、自分を褒めてるんでしょ」


 鼻からフンっと息を出してみたものの、結局華恋はおかしくなって笑ってしまった。

 部室の中では打ち上げの後片付けも済んで、みんな帰る支度を始めている。


「今日はこのまんま帰るから、ちょっとお直ししてよ」

「……マジか? どうしたんだミメイ。とうとう美に目覚めちゃったのか?」

「前回は舞台用のケバケバメイクだったでしょ。今日は可愛くなったから、正子に見せつけてやろうかと思って」


 華恋がニヤリ笑いかけると、良彦も愉快そうに大きな声をあげた。


「それにおじさんにもだろ? よし、まかせとけ。また号泣させてやるよ。華恋がこんなに可愛くなるなんて……! よっしー君、うちの養子になってくれって言わせてやるぜ!」

「あんたみたいなやかましい弟はいらない」

「なに言ってんだ。ホントは可愛いって思ってるくせに」


 きれいに片付けたメイクボックスを開くと、良彦は思いっきり明るい笑顔でこう叫んだ。


「ゴーさん! ちょっとミメイの髪クルクルにして!」


 可愛い少年の呼びかけに、変態がものすごい勢いで飛んでくる。


「仰せのままに!」

「マーサちゃんが嫉妬で気絶するくらい可愛くセットして」


 この注文にラジャー! と大声で答えると、号田は自分のカバンまでビューンと戻り、シザーケースを腰に装着して、速攻で華恋の頭の改造を始めた。


「楽しそうね、ビューティ」

「よう子さん、今日の私、何点ですかね?」


 眉毛を整えただけの自分は、二十一点だったはずだ。

 では、顔と頭をセットしたらどこまであがるのか。

 愉快な気分で、華恋は美容番長に問いかける。


「七十一点よ! 今までのビューティ史上、最高点ね」

 どうやら満点までの道は、まだまだ遠いらしい。

「ちなみによう子さんは何点なんですか?」

「いやあねえ、それを私に言わせる気?」

「BGは黙ってりゃ九十点くらいなんだがな」


 頭の後ろからふふんと笑う声がする。副部長の楽しげな笑い声も聞こえる。

 よう子は澄ました顔でしらんぷりしていて、桐絵もその隣で微笑んでいる。

 そして演劇部最後の刺客、天然美少年もなぜか参戦してきた。


「よう子さん、僕は何点ですか?」

「ユーゴは……そうねえ、舞台の上では一二〇点ね」

「何点が最高なんでしょう?」

「無限大よ。人の美しさに、限界なんてないもの」

 しれっと話す先輩にみんなで笑う。

 どうやら極上の美女への道は随分遠いようだ。



 楽しい空気の中、華恋は普段の自分の跡形もない可愛い少女に変身させられて、とびきりの笑顔を浮かべて仲間たちと一緒に演劇部の部室を出た。

 

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