83 You and I 1
「よっしーくん、パパ、これどうぞ」
夕食が終わって、シュガーパウダーをかけられて白く染まり、生クリームまで添えられたガトーショコラが運ばれてきた。
美女井家の母はにっこり微笑み、バレンタインデーのラストに花を添えている。
「えー! うわー、俺もう今日は体がチョコレートになっちゃうかも!」
「マーサも食べたいよ~」
「男の子だけよ」
四十五歳は男の子じゃねーだろ、と思いつつ、華恋は父のデレ顔を見つめた。
これでようやく、甘ったるい一日は終わりだ。
「そうだ、金曜日はお父さんがお休みなんで、家で話し合いしますね」
「じゃあうちには来ないの?」
「うん。よしくんだけ朝ごはん一緒にいいですか? 華恋ちゃんと一緒に学校に行くんで」
別に一緒じゃなくても構わないが? と視線を送ってみたが、良彦はなぜかニカっと笑った。
「もちろんいいわよ。優季ちゃんも、朝ごはんくらい一緒に来たら?」
「いえいえ。もう、朝からしっかりとっ捕まえてじっくり話し合わないと」
姉の方の藤田は力強い笑顔を浮かべている。
どんなお父さんなんだと不思議で仕方ないが、きっと貴重な機会なんだろう。
頑張りやの姉弟に、事情もよく知らないのにつっこむわけにはいかない。
「マーサちゃん、チョコサンキュー! ミメイも、おばさんもみんなありがとー!」
普段より糖度が高くなったであろう良彦は、ご機嫌な笑顔で帰っていった。
「やっぱり美奈子さんのチョコケーキは最高だな」
満足そうな父の隣で、華恋も笑顔を浮かべている。
忌まわしい日が終わり、なんだかんだクッキーを配ることができた。
ココアの配布に満足している自分に、なんとなく悔しい気もしているけれど。
なので少女は部屋に戻ると、このモヤモヤした気分をブログに綴ってやろうとパソコンを立ち上げた。
バレンタインデーが終わった。
なぜかみんな「チョコをあげなきゃ」なんて思ってて
付き合わされて、本当に迷惑極まりない。
いつか法律でバレンタインなんか禁止される日が来ればいい。
バカらしい内容ではあるが、同調してくれる人が大勢できて、世論が動くかもしれないではないか。
壮大な妄想を繰り広げながら「公開」ボタンを押し、アンソニーの電源を切ると華恋は眠った。
毎日厳しい稽古に耐えて、とうとう金曜日。
本番の舞台を明日に控え、部活動はほどほどの内容に抑えられていた。
いつもの半分くらい走り、いつもの半分くらい声を張り、体育館で通しの練習を二回だけやって終わる。
「みんな、明日はとうとう本番ね。しっかり休んで、万全の体調で臨むのよ!」
稽古が終わるなり天使モードにスパっと切り替え、辻出教諭が微笑む。
全員が「ハイ」と若者らしい爽やかな返事をして、この日の演劇部は解散になった。
「お前、今日は早めに寝ろよ。前回みたいになったら大変だから」
「わかってるよ」
今回は髪の手入れについてケチをつけられることもなく、いや、ケチはつかなかったものの家に遊びにおいでよと号田からお誘いはあったが、それに断りを入れて二人は家路についていた。
「小学生も来たら、体育館どうなるんだろうなあ。前回もいっぱいだったのに、もっと客が増えるのかな?」
「そういうこと言わないでくれる?」
「プレッシャー攻撃だ! ほーれほれ、もっと緊張しろ~」
前回眠れなかったというのにこのやろう、と文句を言いながら暗くなってきた道を歩く。
冬の夜の訪れは早いが、二月も後半に入って、ほんの少しずつ春が近づいてきている。
四月に入学する新一年生たちがやってくるし、期末試験も待っていた。
祐午はもう師匠に教わろうと決めているようで、また美女井家のリビングが会場になるのかもしれない。
年度末特有の忙しさと慌しさがしばらく続く予定だが、それも全部、友人たちとの楽しい学校生活なのだと華恋は思った。
去年まではなかった充実のおかげで、冬の夜風も寒くない。
「明日はお前らしい、ツンデレ風のメイクしてやるからな!」
「なにそれ」
二人がケラケラ笑いながら歩いていくと、家の前に人影があるのがわかった。
なにに気がついたのか、良彦の足が止まる。
「藤田、どうかした?」
問いかけながら、華恋も視線の先にいる人物に気がついた。
「あれって……」
返事はない。良彦は立ち止まったまま、動かない。
華恋は少し悩んだものの、留めていた言葉を出していく。
「お父さん?」
しばらくして、ようやく良彦が歩き出し、華恋も慌てて後を追う。
すると、玄関先には優季もいて、二人に気がついて声をあげた。
「よしくん、華恋ちゃん……」
その声で、藤田家の父も二人の方へ振り返った。
そっくりだ。
良彦を本当にそのまま大きくしたような、もちろん多少老けてはいるものの、あまりにも似ていて驚いてしまう。
しかし、印象は違っていた。正反対と言っていいかもしれない。
厳しい表情からは息子の最大の特徴である、スーパーポジティブがかけらも感じられなかった。
「よし」
よし、の意味が華恋には何なのかわからない。が、良彦の返事でわかった。父が息子をこう呼んでいるんだと。
「なにやってんの、親父、こんなところで」
「なにやってんのじゃないだろう」
拡大・縮小で作りましたみたいなよく似た顔が真剣に向かい合っている。そこに、美女井家の母が現れて声をかけた。
「よっしー君、華恋ちゃんおかえりなさい。藤田さん、ここじゃなんですから、中に入ってください」
「いえ、いいんです。よし、もう帰るぞ」
「姉ちゃん、なにしてたの? こんな玄関先でさ」
問われた姉は困った顔で父の背中を見ている。
無視された父は、怒った様子で息子の腕を掴んだ。
「優季から聞いたぞ。このお宅にずっと入り浸って、朝から晩まで世話になってたそうじゃないか」
「なにか悪いのかよ」
「なにかって、迷惑だろう。大体、お父さんに一言も言わないっていうのはどういうわけなんだ」
「いやだねー、こういう時だけ親父ヅラしちゃってさ!」
険悪な親子の間に、美女井家の母が割って入って、ケンカの仲裁をはかっていく。
「藤田さん、迷惑なんかじゃないですよ。それに、私たちもいけませんでした。何回かお邪魔したんですけどいつもお留守だったから……。すっかりご挨拶に行くのを忘れてしまってて」
「とんでもない、うちの子たちが図々しいことをして、本当にすみません」
「親父がいないんだからしょーがないだろ? 姉ちゃんのために俺だっていろいろ考えて最善の方法を取ったんだよ」
「だからってよそ様のお宅に一日中お邪魔してるなんて。何ヶ月も知らせてくれないなんておかしいだろう」
「だから、親父が家にいないからだろ? 姉ちゃんが退院してからどう過ごしてるのかなんて、聞きもしなかったじゃないか!」
「ちょっと、お父さんもよしくんもやめてよ。人の家の前で」
娘も割って入って親子ケンカを諫めようとしたが、父子はそっくりのふくれっつらで睨み合っている。
「姉ちゃんも言ってやれよ。いつまで現実逃避してんだって。どうせ今日だってまともに話なんか聞かねーよ、このヘタレ親父は!」
すごいことを言う、と、さすがに華恋も眉をひそめた。
美女井家の母も不安げに藤田親子を見つめていて、優季は苦い顔をして唇を噛んでいる。
藤田家の父は悲しそうな、怒ったような顔をしてしばらく黙っていたが、最後にいきなり思いっきり手を振り上げて息子の左頬を殴った。
「いってえ!」
小さな体がよろよろっと下がって、良彦は怒った顔を父に向けると口を開いたが、結局なにも言わずに身を翻すとすごい勢いで走り去ってしまった。
「藤田!」
持っていたカバンを母に放り投げ、華恋は良彦の背中を追って走りだす。
後ろから声が聞こえてきたが、なにを言われたのかはわからない。
とにかく、見失ってはならない。
暗い道の向こうに消えようとしている後姿を追って、華恋は全力で走った。