81 愛と憎しみのFebruary 2
優季と華恋のココアクッキーがオーブンにセットされると、美女井家の大チョコ菓子制作大会の全工程がようやく終わった。
あとは冷やして、ラッピングをするだけ。
全員で洗い物をしたり、片づけを済ませて、女だらけのお疲れティーパーティーが開催された。
「よう子さんはなにを作ったんですか?」
「トリュフよ。素敵なものが作れてすごく嬉しいわ。これも、ビューティのお母様のおかげね」
「マーサはハートのチョコをいっぱい作ったんだよー!」
小学生は特に技術が必要ない、ただ単に溶かして固めなおしただけのトランスフォーム菓子を作り上げたようだ。
「華恋ちゃん、なにか買い物してきたの?」
「別に、ブラブラしただけ。お父さんに会ったけど」
「あらそう。パパ、仕事中はカッコイイでしょう?」
母のフワフワとした幸せ発言に、少女は心の中で「ケッ!」と叫んだ。
優季とよう子は、夫婦仲がいいなんて素敵、とほほ笑んでいる。
余計なことを言われそうな気がして、祐午と会った件については話さなかった。
演劇部のエースは、お母さんと一緒に歩いていた。
良彦の言ったとおり、溺愛されているんだろうな、と華恋は思う。
芸能界で揉まれた過去があるから、可愛い息子を守りたい気持ちが強いのかもしれない。
そもそもあんなに屈託なくなんでもしゃべってしまう天然なのだから、見守りたくなるのも当然なのかもしれなかった。
「ビューティ、どうしたの? お出かけ中になにかあった?」
「え、いや、別にないですよ」
「梅干みたいな顔になってるわよ」
よう子の毒針に、母も妹も優季も笑っている。
この美女軍団め! と叫んで家を飛び出したい気持ちを、華恋はぐっと抑えた。
「よう子さん、ビューティって呼ぶのやめてもらえません?」
「なによ、いまさら。いいじゃない。素敵よ?」
「ビューティってどういう意味?」
こちらも今更な質問を正子がぶつけてきて、これには優季が答えてくれた。
「みめ、だよ、マーサちゃん」
「みめ?」
「みめいの、みめ、の部分がビューティなの」
どうやら意味がわからなかったらしく、正子はうーんと顔を斜めに傾けたまま困った顔をしている。
しかし、さらに詳しい解説をしてくれる優しいお姉さんはいない。
お茶を飲み終わると、仕上げのラッピングタイムがスタートした。
母の用意した可愛らしい袋や包み紙、リボンが並べられているのを見て、華恋はボウリング大会の時に自分のプレゼントが最後まで残ってしまった理由がわかった気がした。
「これ、使っていいですか?」
「もちろんいいわよ」
金色に輝く袋を手に取って、よう子が嬉しそうに微笑んでいる。
「派手だね、よう子ちゃん」
「サンダーですもの。ゴールドで決めなくっちゃ」
よう子とサンダーについて、中学生と平気で付き合っちゃう大学生のボンボンの仲はどんなもんなんだろうと考えてしまう。
しかし、突っ込んだ話を聞くのは少し怖い気がするし、デリカシーに欠けているように思えて結局なにも言えないままだ。
隣では優季が、一生懸命青い包み紙で箱を巻いていた。
ところどころ、正子が押さえてサポートしている。
その正子も、できあがった小さなハートを銀とメタリックピンクのストライプの袋に詰め込んでいる。
焼きあがったクッキーはまだ少し熱を持っていて、包むにはまだ早い。
「ゆうちゃん、クッキーはあとちょっとかかるよ」
「それは華恋ちゃんの分だから、全部ちゃんと包んでよね」
「はあ?」
華恋が眉間にしわをぎゅぎゅーっと寄せると、優季はゲラゲラと笑い出した。
「ちょっ、顔ヤバ……!」
「全部って?」
「華恋ちゃんもなんだかんだ誰かにあげるかなって思ったから、用意しておいたんだよ。私の分はもうちゃんと全部できたからね」
謀ったな!
と叫びそうになったが、華恋は堪えた。
そこまで怒るほどのことではない。素直になれない中学一年生女子への、暖かい心遣いだ。余計なお世話ではあるけれど。
網の上で冷めるのを待っているクッキーの量に、華恋は小さくため息をついた。
誰にあげたらいいのやら。
いや、悩む必要なんてない。無理なく渡せるメンツははっきり固定されている。
たくさん置かれたラッピングの袋の中から濃いめのグリーンの紙袋を選ぶと、少女は鼻からふんと息を出してクッキーの前に戻った。
「いやー、甘いなあ」
夕方帰ってくるなり、良彦はこう感想を漏らした。
片付けはもうとっくに終わっているのに、リビングにはまだチョコレートの香りが漂っている。
「よう子さん、ちゃんとできたの?」
「おかげさまで、ばっちりできたわ」
「俺にもある?」
「私は本命以外にはあげない主義よ」
良彦は残念そうに肩をすくめている。
しかし、すぐに笑顔を浮かべると、姉の方に近づいていった。
「姉ちゃんもなんか作った?」
「うん。頑張っちゃった」
気の利くマーサの力添えもあってか、ラッピングはうまくできたようだ。
青い包装紙はピシっと巻かれて、上には銀色のシールが貼られている。
「マーサちゃんは?」
「うん。バッチリ!」
「渡す相手がいないけど?」
正子がムスっと口を尖らせると、良彦はいつもの調子でケラケラ笑った。
そして、華恋には特になにもコメントをしてこない。
こいつが作るわけねー! と思われているに違いない。
自分もついさっきまでそう思っていたのに、ここまで鮮やかにスルーされるとさすがにモヤモヤしてしまって、華恋は四角い顔を少しだけ曇らせている。
美女井家と藤田ブラザーズ、ついでに本日はよう子も参加して、夕食はにぎやかになった。
夕食の支度ができた頃にはもうチョコ臭はさすがに駆逐されて、本日のメインディッシュであるクリームシチューとオマケのバターロールが食卓を支配している。
「美味しいわ!」
喜ぶよう子の口からブロッコリーのかけらが飛び出す。
「よう子ちゃん、出た出た」
「しふへい」
こんなやりとりに笑いながら全員でスプーンを動かしていく。
朗らかな夕餉の中、父も笑顔で話しだす。
「華恋、今日はホントに偶然だったなあ」
「え?」
「お昼に会っただろう? ちょうど休憩しようってところだったんだぞ」
「そうなんだ」
とはいえ、一緒にお茶を飲んだわけでもない。
これ以上話は膨らまないかと思いきや、父の言葉は続いた。
「高野君なあ、華恋のこと、隙がなくてしっかりしてそうだって褒めてたぞ」
絶妙すぎる褒めポイントに、藤田ブラザーズがすかさず笑い出す。
「確かに! お前には隙がねえよ!」
「……そいつはどーも」
「転校してきた時も思ったもんな。ガードが固そうな奴だなってさ!」
ひょっとしたら褒め言葉ではないのかもと疑問がわいてきて、華恋はじっとりとした目で良彦を見つめた。
良彦は華恋の視線などお構いなしなようで、楽しそうににこにこ笑いながら続けた。
「脇がしまってるもんなあ、ミメイって。安心できるよ。こいつなら絶対大丈夫だってさ」
「なにが大丈夫なの?」
「多少パンチ浴びてもダウンしないだろうって」
それであんなに失礼な言葉をバンバンと浴びせてきたのだろうか。
ひどく遠く感じられた。あの、ふざけた呼びかけをしてきた転校二日目の朝のことが。
「ミメイはなにか武術でもやったらいいのかもしれないぞ。即、免許皆伝!」
「やんないし」
「レオさんとこの空手道場はどう? レオさんちの父ちゃん、すげえらしいぞ」
隙がない上、地味顔、武術の達人になってしまったら、本当にモテない条件を満たして一生ビューティと呼ばれてしまうかもしれない。
最後にはムキムキのマッチョ女になって……。
それはそれで、特定の層にモテるようになるのだろうか?
夕食が終わって部屋に戻ると、机の上に並べられているバレンタイン用のクッキー軍団が目に入った。
これを渡したら、みんなどんな反応をするだろう。
祐午はいい。多分、わあ、ありがとう! くらいだろう。
礼音も同じような反応じゃないかと思う。
号田にはなにを言われてもかまわない。どういう風の吹き回しだ? とかなんとか言ってくるだろうが、男子中学生を本命で狙っている変態が言うことなのだから、一言一句のすべてを気にしない。
要するに、問題は良彦だ。
ミメイが俺にクッキーを? わははは、似合わねー! 明日地球が滅びたって俺は驚かないぜ!
くらいか。
音声がはっきりと脳内で再生されて、ムカムカしてしまう。
しかし、用意した以上あげないというのもおかしい。
正子から演劇部男子たちへ、ちゃんと渡してね、とチョコレートを託されている。
良彦だけ対応を変えるというのは、さすがにどうかと思えた。
むしろ、一人だけ違う扱いなんて、もしかして逆に好きなんじゃない? なんて勘ぐられたりしたら最低最悪だ。
こんな思考になるなんて。
これこそ、バレンタインの呪いなんだろう。
華恋はため息をついて布団をかぶると、うっすらと漂うクッキーの香りに包まれながら眠った。