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80 愛と憎しみのFebruary 1

 芝居前の最後の日曜日、美女井家のキッチンには甘ったるい匂いが充満していた。


 日本全国民が愛の使徒と化す忌々しいイベント、バレンタインデーがやってくるからだ。


 台所では母と正子、優季とよう子がそれぞれチョコレートを溶かしたり、こねくりまわしたり、型に流しいれたりと大忙しの様子で、華恋はひとり、冷めた目でチラ見している。


 自分宛のものが作られているという状況が居づらくさせたのか、良彦は買い物に出かけていた。

 春のメイクアップアイテムが店頭に並び始めたので、チェックしてくるらしい。

 一体どんな顔をして化粧品売り場に紛れ込んでいるのか、想像がつくようなつかないような、おかしな気分でクッキーをかじる。


「おねーちゃんもよっしーとかに作ればいいのに」

「いいって。あげる義理もないし」

「あるじゃん。毎日仲良くずっと一緒にいるのに」


 正子の呆れた声に、華恋は顔をしかめた。


 毎日仲良くずっと一緒?


 本当だ。


「まだチョコはいっぱいあるよー」

「うるさいなあ」


 しょうがない、わかったよなんて言いながら、やれやれ気分で立ち上がり、改めて美女井家の長女もチョコ作りに参戦、なんてするわけがない。


 バレンタインなどという軟弱なイベントへの参加は敗北そのものであり、華恋にとって最大の屈辱なのだ!


 こんな想像を巡らせた自分に、バカだなと華恋は考える。

 そこまで大袈裟にこの浮かれきった風習を憎んでいるわけではない。

 しかし、ようし! 私もよっしーにあげちゃおっ♪ なんてキャラ変は今更できなかった。


「ビューティ、ユーゴにもあげないの?」

「よう子さんまでなんなんですか。誰にもあげないって」

「だって仲良しじゃないの、とっても。ご挨拶代わりよ、バレンタインなんて」

「よう子さんがあげるんだから、私からのなんていりませんよ」

「私はあげないわ。サンダーだけよ」


 自分が用意しない義理チョコを他人に強要するとは、一体どういう了見なのか。

 と思うが、一応先輩相手なので口には出さない。


「友チョコっていうのもあるらしいわよ、華恋ちゃん」


 母の優しい笑顔に、呆れてしまう。

 チョコレート業界はどこまで貪欲なのか。

 そこまでして小中学生から金をむしり取ろうとするなんて、恐ろしい企みがあったものだ。



 チョコ女子軍団がいちいちうるさいので、結局、華恋も家を出ることにした。

 しかし、行くあてがない。

 なんとなく商店街に向かって歩いたが、すぐに後悔させられている。


 肉屋では期間限定でハート型のコロッケが販売中。

 お父さんにプレゼントしよう、なんて手書きのチラシがひらひらと揺れていて、お前は肉を売るのが商売だろうがっ、と心で叫ぶ。

 魚屋ではアジのフライがハート型だよ、なんて無謀なアピールがされていて、魚屋のプライドはないんかい! と怒りが募っていく。


 本屋に入れば、雑誌のコーナーは端から端までバレンタイン特集で、赤とピンクが上下左右に撒き散らされ、踊り狂っている。


 彼のハートを掴む! 本命チョコ作り


とか!


 絶対買いたい、自分へのご褒美チョコ


だの!


 彼からお返しに貰いたい ホワイトデーギフトTOP30


まで!

 

 この、チョコ狂いどもが! 


「ビューティ! お買い物?」


 突然かかった声に顔を上げると、本棚の向こうの窓ガラスに祐午の笑顔が映っていた。

 慌てて平常心を取り戻して振り返ると、そこには部活の仲間だけではなく、もう一人、女性が立っている。


「祐午君、お友達なの?」

「部活で一緒のビューティだよ」


 いつも通りの朗らかな声に、なにとんでもない紹介してんだよ、と華恋は慌てた。


「あの、はじめまして、美女井といいます」

「ミメイさん? 初めまして、祐午の母です」


 全方位にイケメンビームを放つ息子とは対照的な、穏やかな声の控えめなお母さんだった。

 小柄だし、着ているコートも無地のオリーブ色でかなり地味だ。


「いつも祐午がお世話になって」

「いえ、別に特にお世話なんて」

「ビューティにはすごくお世話になってるよ。今度も二人でお芝居するんだから。ね、ビューティ!」


 祐午の口から「ビューティ」が飛び出す度に、お母様は「ん?」っと、疑問のオーラを放っている。


「それに、試験の勉強もビューティの家でしたんだ。おかげで、すごく助かったんだよ」

「まあ、そうだったの。あなたのお家に行ってたのね、どうもありがとう」


 祐午の母の丁寧な口調の中に、華恋は戸惑いを感じていた。


 そりゃそうか。

 かっこいい自慢の息子なんだから、仲良くしている女の子にも華を背負っていてほしいのだろう。


 自分の中に浮かんできたそんな考えに意気消沈して、華恋は武川親子に挨拶すると本屋から出た。

 

 またブラブラと歩き、喉が渇いたな、と今度はファーストフードの店に一人で入る。

 ここでもバレンタインキャンペーンが開催されており、ホットチョコレートが今だけ三十円引きされていた。

 ストイックな少女はもちろん、そんなものを頼まない。


 ブラックのままのコーヒーを両手で持って、外が見えるカウンター席でちょびちょびと飲んでいく。


 結局、十五日になるまでこの赤いハートのディスプレイはなくならない。

 どんなに呪っても、年に一度の愛の記念日はなくならない。

 チョコレートが売れに売れて、この世のすべての食料がハート型になるのを止めることはできない。


 だったら自分も、素直に流されて参加したらいいのだろうか。


 藤田、これ……、義理チョコ。別にっ、そういうんじゃないんだからね! ゆうちゃんや正子が作ってたから、ついでに作っただけなんだからねっっっ! って、バッカじゃねーの頭腐っちゃったんじゃないの自分!?



 はあーっとハリケーン級のため息をついてまた外を眺めると、道路の向こう側に知った顔が見えた。

 華恋に気づき、笑顔で手を振ってくる。実の父である、美女井修だ。


「華恋、どうした、こんなところで」

 早速店内にやってきて声をかけてくる父に、娘はムカついた顔で答えた。

「別に、散歩してるだけ」

「お嬢さんですか?」


 父の背後には二〇代前半とおぼしき男性が立っている。

 高野君だよ、と紹介された青年は短い沈黙の後に愛想笑いを浮かべて、こう言った。


「社長にそっくりですね」


 それに曖昧に頷き、空になったコーヒーのカップを持つともう帰るね、と華恋は席を立った。


 正子だったら、可愛いお嬢さんですね、と言える。

 この地味な顔が相手にも迷惑なんだろうなあと思えて、しょんぼりするやら笑えるやらで中学一年生の女子はすっかり複雑な気分になっていた。


 四角いものは四角い。まずはそれを認めて、イヤならどうにかするしかない。


 良彦に言われた言葉が、心の中に蘇る。

 確かに、この四角い地味な顔はどうにもならない。

 もうちょっと大きくなってお金をいっぱいかけたら、なんとかなるかもしれないが。とりあえず今はこの顔で生きていくしかない。


 だったら、せめて中身だけでも可愛くなったほうがいいのだろうか。

 もしかしたら十四日に、正子からチョコを託されるかもしれない。

 普段仲良くやってる仲間に関係ない妹からのものを渡しておいて、自分は知らないもんね、なんて感じが悪いし、あまりにも可愛げがないように思える。


 悶々としながら、華恋は家に向かって歩いた。

 ひがみ根性丸出しだった本日の思考に反省しつつ、また自らの心の奥底へ問いかけてしまう。


 結局、チョコレートに屈してしまうのか。

 義理チョコなんて悪習を、受け入れてしまうのか?



 答えは出ないまま、逃避にも似た散歩は終わった。

 玄関の扉を開ける前から甘ったるい匂いが漂っていて、チョコレート警報がぎゃあぎゃあと騒ぎ出している。


「あ、華恋ちゃんおかえりー」

 リビングに入って来た仏頂面の華恋を、優季が笑顔で出迎えてくれた。

「ただいま」

「今からクッキー作るんだよ。華恋ちゃんも手伝って!」


 リビングのテーブルの上には、めん棒と、ココア色の生地が乗っている。


「早く、手、洗っておいで」


 弟とよく似た可愛らしい笑顔に促され、華恋は仕方なく洗面所へ向かった。

 ガラガラとうがいをして部屋に戻ると、早速エプロンを手渡されてしまう。


「お散歩、結構早かったね」

「まあね」

 ハイ、と抜き型を渡されて、華恋は顔を思いっきりしかめた。

「違う形のやつ、ある?」

「これでいいじゃない」


 ハート型なんて死んでもゴメンだ。


 華恋はキッチンに移動して、母の抜き型コレクションの中にこっぱずかしくない形のものがないか探した。

 

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