77 少年の夢と選択 1
放課後の部室に、祐午の姿はない。
その理由は、珍しく天使モードの顧問の先生が教えてくれた。
「武川君は結論が出たらまたちゃんと来るからって言ってたわ」
舞台の本番まではあと一ヶ月弱しかなくて、やるのかやらないのか、やるのならどうやってやるのか、建設的な話し合いが必要だった。
演劇部の少ないメンバーは一か所に集まって、みんなで首を傾げ、でもちっともいいアイディアが出てこない。
「レオちゃん、本当にやる?」
大きな副部長は困った顔で黙っている。
大きな右手で顔を半分隠して、チラっと部長の方に目だけ向けたりして落ち着かない様子だ。
「まさかビューティがひとりでやるってわけにもいかないものねえ」
「藤田がやるって案は出ないんですか?」
「やらねえって!」
これだけ大きな声がでるわけなんだから、舞台には向いていそうなものなのに。
しかし、珍しく話し合いに参加している演技指導の顧問からも良彦の起用に対するコメントはなかった。
結局あまり有用な意見は出ない。念のために、とよう子が礼音のサイズを測ったくらいだ。
「いやだ。レオちゃん、あなたの分の衣装を毎回作ったら材料費がかさむわね」
「そうだな」
ジャージも制服も靴も、サイズに関しては毎回面倒な思いをしている副部長が小さく相槌を打つ。そして、観念したようにこう続けた。
「ユーゴが来られないなら、その時は俺がやる」
「不破君」
桐絵が驚いた顔をして、副部長を見上げている。
男気を見せた礼音の肩には手が届かず、かわりに腰のあたりをぽんぽんとよう子が叩いた。
「青春だなあ」
最も責任のない立場の号田は、他人事丸出しでニヤリと笑う。それに、辻出教諭が答えた。
「本当ね! このピンチをみんなで乗り切ろうと頑張ってる! 感動しちゃうわ!」
おいおいと泣き出す顧問の先生の手前で、生徒たちの方が冷静だった。
「全部、祐午君の結論が出てからですもんね」
「そうね」
華恋の言葉に桐絵が頷く。そして、恋する乙女らしく、こんなことを呟いた。
「行くとなったら、その時はみんなで応援しましょう」
部室に姿を見せない主演俳優をただひたすら待って、週が明けて月曜日の昼休み。
一年D組の窓際、一番後ろでふたりが仲良くキャラ弁を広げたところで、とうとう待っていた男が現れた。
「よっしー、ビューティ」
よく通る声に反応して、良彦が勢いよく立ち上がる。
「ユーゴ」
「一緒にいいかな」
「もちろんいいぜ! ちょっと、席譲って」
良彦の前の席の原田君は、えっ? という顔をしている。
よう子にはすんなり席を貸してくれても、野郎に譲る義理はないんだろう。
しかし良彦の強引さが勝って、可哀想な原田君は情けない顔で弁当を持って他の友人の元へ移動していった。
祐午は弁当箱をちょこんと机の上に置くと、背中をシャキっと伸ばしてから友人たちに微笑んで、こう宣言した。
「僕、行かないことに決めたよ」
「えっ?」
華恋と良彦の声がハモる。
「いいのかよ、ユーゴはそれで」
「いいんだよ。すごく悩んで、いっぱい考えて決めたんだ。もちろん、お母さんとも話した」
「なんで行かないって決めた?」
友人の真剣な顔に、祐午は大きく頷いて、にっこりと笑った。
「僕、俳優になるって決めたんだ」
三人の間にしばらく沈黙が続く。
二人の頭上に飛び出す?マークに対する返答がないのに痺れを切らして、良彦がとうとう口を開いた。
「どういう意味?」
「どういう意味って?」
「いや、それじゃわからねーよ。俳優になるって決めたらどうなの?」
呆れた声は耳に入っただろうに、祐午はゆっくりと弁当箱を開いて、ご飯を一口とってぱくっと食べた。
仕方なく、華恋と良彦も箸を進めていく。
半分くらいが胃の中へ入ってから、ようやくスイッチが入ったのか、イケメン少年はご飯をしっかり飲み込み、話し始めた。
「僕ね、『おじいちゃんのバカ!』っていうドラマに出てたんだ。すごく視聴率が良くて、みんなにどんな作品に出てたのって聞かれたら、これだよって答える、有名なドラマ」
「うちのお母さんも見てたよ」
華恋の相槌に、祐午が頷く。
「それが、子役としての最後の仕事だったんだ。赤ちゃんの時からCMとかドラマとかに出てて、これが一〇〇回目っていう記念の仕事だった」
ここまで話すと、祐午はゆっくりとお茶を飲み始めた。
青いチェックの水筒は少し子供っぽくて、お母さんが選んで買ったような雰囲気がある。
空になったコップから湯気がのぼっているところを見ると、中には暖かい飲み物が入ってるようだ。
「僕はドラマに出るのが楽しかった。お芝居って面白いなって、まだ七歳だったけど真剣に考えてたんだよ。……だけど、子役の仕事はそんなに多くないんだ。少ない仕事の奪い合い。お母さんはどうやってでも僕に仕事をさせようとか、有名にしようっていう気持ちがなくて、だけど周りの扱いは違うから、どうしていいかわからなくなちゃってすごく、疲れてて。仕事から帰ったら、泣いたり、怒ったり、ぼーっとするようになっちゃったんだ」
演劇部以外の周囲の生徒たちにもこの話は聞こえていて、みんな箸が止まってしまっている。
初めて聞くスパイシーな話題に、こっそり耳を傾けているようだ。
「お母さんがどうしてそんな風になっちゃったか、僕はようやくわかった。お父さんとお母さんがケンカして、家中の食器が全部壊れてようやくわかったんだ。もう芸能界なんかイヤなんだって。僕が楽しそうだから遠慮して言えなかったんだって。僕は、お芝居の仕事は全部やめるってその時に決めた。仕事はすごく楽しかったけど、お母さんが辛いのは嫌だった。お母さんが泣いてるのは、僕にとってすごく辛かったからね。だから残ってた仕事が終わったら、もうおしまいにすることにしたんだ」
そこで大きく息をついて、祐午はがっくりとうなだれてしまった。
だけどすぐに顔をあげて、にっこり笑うとかっこいい顔をキラリと輝かせた。
「最後の仕事で、梅原昭三って知ってるかな? あの人と仕事をしたんだよ」
梅原昭三は大ベテランの俳優だ。
誰もが知っている、キリリとした顔の昭和屈指の銀幕スターだった人物で、今も重要な役どころでドラマだの映画だのに出続けている。
「最後の仕事だったから、僕はすごく頑張った。これが終わったらお母さんが元気になるって思ったら嬉しかったけど、お芝居ができなくなると考えると寂しかった。頑張ったりしょんぼりしたりしてた僕がおかしかったんだろうね。梅原さんが、僕に話しかけてきたんだ。どうした? って」
「うん」
「だから僕は、もう仕事はおしまいなんですって、話したんだよ」
ここで祐午はまた弁当の続きを食べ始めた。
いつ話が再開されるのか、どうもタイミングがつかめない。
しかし真剣に話してくれているのは間違いないので、二人も天然少年に合わせて弁当箱を空にしていく。
結局話が再開したのは、お昼ご飯が全部片付いてからだった。
祐午はまたお茶をぐいっと飲むと、ポケットからハンカチを出して丁寧に口を拭いて、また話し始めた。
「それでね、先週よっしーに言われてから、思い出したんだ」
「なにを?」
「梅原さんに言われたこと」
ユーゴスマイルがキラリと輝く。
しかし、輝いたっきり続きはない。
「なんて言われたの?」
「へ?」
そこを言わなきゃわからんだろーがーい! と思わず突っ込んでしまう。
華恋の思い切った突っ込みに良彦がゲラゲラ笑い、祐午は驚いた顔をしたものの、すぐにあははと声をあげて笑った。
「そうだよね。僕しか知らないのに、話さなかったらわからないよね」
「ユーゴ最強伝説の始まりだな」
良彦が呆れたところで、昼休み終了のチャイムがなってしまった。
いいところだったのに、ここでまさかのお預けだ。
「ごめん、放課後ちゃんと話すよ」
「今日、部活には来るんだよな?」
「もちろん行くよ! じゃあ後でね、よっしー、ビューティ!」
きれいに包みなおした弁当箱と水筒を持って駆けていく後姿を、二人で見送る。
「ユーゴほど掴みにくいやつはなかなかいないだろうな」
「まったくね」
話の全容はわからなかったが、副部長が代役をする必要はなくなり、衣装に必要な布地も少なく済みそうだ。
きっとこのしらせを聞いたら、みんな喜ぶだろう。
それにしてもいいところで話を打ち切られてしまったので、午後の授業中、二人はやたらそわそわしてしまい、内容がちっとも頭に入ってこなかった。