76 青春は爆発だ! 3
帰り道、良彦はずっと黙っていた。
その横顔が恥ずかしそうにうつむいていたので、華恋も一緒になって黙ったまま、少しだけ後ろを歩いている。
たどり着いた美女井家の前で急に立ち止まると、少年はくるっと振り返った。
「ミメイ」
「……なに?」
良彦はニカっと、いつも通りの笑顔を浮かべてこう答えた。
「サンキュー」
何に対しての礼なのか。
なにも言わなかったことになのか。
そう考えて華恋はちょっとだけ微笑むと、どういたしまして、と返した。
「今日はちょっと早いんじゃない?」
「うん。ちょっとね」
母は目をぱちくりさせていつもより帰りの早い二人を見ている。
スルーしてくれるかと思いきやずっと見つめてくるので、仕方なく娘は事情を説明していった。
「今度また舞台があるんだけど、祐午君がオーディション受けに行っちゃうかもしれなくて」
「え、じゃあ、お芝居やらないの?」
「祐午君が行ったらね」
そこでチラリと良彦の様子を伺うと、華恋の視線に気がついて少年は鼻をぽりぽりとかいた。
「行くだろ。こんなビッグチャンス他にないもん」
「やっぱりそうかな」
「本人だって受けたかったんだからな」
着替えを済ませ、おやつのせんべいをボリボリかじりながら、華恋は他の部員がどう思っているだろうかと思いを巡らせていった。
部長は複雑な気分だろう。せっかく一緒になって選んで作り直した脚本だ。祐午に演じてもらいたいはず。
だけど、好きな男の子にチャンスがやってきたんだから応援したい。
今日のあの時、相当な勇気を振り絞ったに違いないと思う。
よう子はどうだろう。衣装はまだ作っていない。今度は卒業がテーマだから、制服風の衣装を考えてデザイン画を見せてくれた。一番実害がないのはこの人だな、と思うと少しだけ安心できる。
礼音はできたら部を存続させていきたいわけだから、舞台がやれないのはきっと残念なはずだ。
良彦が勝手に言っただけだが、彼が舞台に立つという可能性はどうだろう?
ひょっとしたら、やるかもしれない。あの男気溢れる副部長なら。
そしてまりこ先生だ。せっかく演技指導ができるようになったのに、このままじゃ二度とやれないかもしれない。新入部員がいなければ部の存続自体が危ういわけで。
しかしこの人は自業自得かな、なんて気もする。部を絶滅寸前まで追い込んだ犯人なんだから。
「なにニヤニヤしてんの」
「えっ」
良彦が向かいに座って、せんべいを一枚取る。
それを健康そうな歯でかじると、ふっと笑った。
「ユーゴがグランプリになったとこでも考えてた?」
「違うよ。ニヤニヤしてないし。もし祐午君がオーディションに行っちゃったらどうなるかなって考えてたの」
「ああ」
再びせんべいをかじって、バリバリと音を立てながら良彦は首を斜めに傾けた。
「やっぱレオさんがやるのって無理があるかな」
「まあねえ。もしかしたらやってくれるんじゃないかって気もするけど」
「だろ? レオさんなら、やる時はやるだろ」
「あんたがやればいいじゃんか」
「イヤだよ。ミメイと好き同士の役なんてさ!」
ちょっと心配してたのに。損をしたような気分で、ケラケラ笑う顔を睨んでしまう。
「ゴーさんに抱きしめられてどうだった?」
「うわー、意地悪なお顔! 意地悪で四角いお顔!」
「ゴーさん幸せそうだったなあ。かわい子ちゃんをバックハグできて」
良彦の顔が赤く染まっていく。
それ以上イヤミの応酬は続かず、二人は煎茶をズズっとすすった。
しばらくの沈黙の後、良彦が立ち上がった。
お茶が空になってしまったので、急須にお湯を入れるようだ。
ポットの前に立ち、華恋に背を向けたまま、少年は小さい声で呟く。
「俺、言いすぎたかな」
「……そんなことないんじゃない? 別に、罵ったわけでもないし」
未来ある若者がいつまでもママに遠慮して、やりたいことに挑戦できないなんて、良い状態とはいえないだろう。
夢に向かって一直線の演劇部の面々なら、お母さんがいない寂しさというエッセンスはちゃんと除外して、良彦の気持ちは理解してくれるだろうと思える。
「祐午君だってわかってくれてると思うよ。あんなにお芝居好きなんだし」
「そうかな」
「大体、意見言われてもうじうじするより、そうだよね! って明るく受け止めるタイプでしょ」
ポットから手を離して急須に蓋をすると、良彦はくるりと振り返った。
「そうだよな。ユーゴなら、そうだよな」
食卓のテーブルに戻って自分と華恋の湯飲みにお茶を注ぐと、良彦は椅子に座って、はあっと大きく息を吐くと、話し始めた。
「……俺の母ちゃん、四年前に死んだんだ。すごく突然だった。いっつも口が悪くて、気が強くってパワフルな母ちゃんだったのに、殺しても死なないタイプだなって思ってたのに、病気だってわかって一ヶ月であっという間にいなくなっちゃったんだ」
急にセンチメンタルな気分になってしまうようなことでもあったんだろうか。
珍しく元気のない、うつむいた顔を見ていられず、華恋も湯気をあげている湯飲みに視線を落とした。
彼の心にそっとしまったある寂しさみたいなものを聞いてあげたほうがいいのか、少し悩む。
いつになくしんみりしたムードの中でしばらく考えて、華恋は結局こう返した。
「中身はお母さん似なんだね」
「え? いや、そんなことないよ。母ちゃんは、姉ちゃんも真っ青なレベルでホントすっげえ失礼極まりないとんでもない無礼者なんだぜ」
「アンタもでしょ」
華恋が呆れた顔でつっこむと、良彦は目をあさっての方向に泳がせて呟いた。
「そうかな」
「毎日どれだけの暴言があんたの口から出てるか、量れたらいいのにね。キロあたり一〇〇円くらいで売れたら今頃結構な額になってるわ」
眉間に小さく皺を寄せて、少年はアツアツのお茶を音を立ててすすっている。
ポットで沸かしたお湯は熱い。良彦が慌てている隙に、少女は小さな声でこう言った。
「でもおかげで毎日楽しいから。お母さんに感謝しないとね」
「え? 今なんて言った?」
「なんにも言ってない」
「今、良彦君のおかげで毎日が充実してて超楽しい。私の救世主です素敵! って言ったよな?」
「言ってないし」
「俺には聞こえたぜ。お前の心の声が」
いつものご機嫌な顔に戻って、良彦はせんべいに手を伸ばすとサクっとかじった。
「嬉しいねえ。根暗な転校生を救ったヒーローだな、俺は」
「ホントだね」
華恋ももう一枚せんべいを取ると、フンっと笑った。
夕食前、良彦がトイレ、と立ち上がったので華恋は優季の隣にちょんと座った。
「ゆうちゃん」
「なあに?」
「藤田、なにかあったのかな。お母さんの話をちょっとしてたんだけど」
姉の方の藤田はそっか、と小さく呟き下を向いたが、すぐに顔をあげて答えた。
「昨日、高校に復学することを相談したいってお父さんに話したんだけど、今度休みの時にって言って逃げちゃったんだよね」
優季は情けない顔をしたものの、笑顔を浮かべてこう続ける。
「よしくんは、母ちゃんなら三分で話がつくのに、って怒ってた。だからかな」
「そう」
「こればっかりはおじさんに頼むわけにもいかないからね」
おじさんとは美女井家の父のことだろう。
確かに、ちゃんとした保護者がいるのに全然関係ない近所のおっさんがでしゃしゃりでるのはおかしい。
「大丈夫だよ。ちゃんととっ捕まえて話をつけるから」
優季は弟そっくりの、ニカッとしたご機嫌な笑顔を浮かべた。
頼もしい雰囲気で、初めて会った時の気だるそうな様子とは全然違う。
いつの間にか顔の丸みも随分取れて、輪郭がシャープになっているように見えた。
「ゆうちゃん、あの薬はもう終わったの?」
「あとちょっと。来月にはおさらばできる予定だから」
かわいい女子高生から出てきた古臭い表現に、華恋は吹き出してしまう。
そこに明るい顔の弟も戻ってきて、いつも通り、近所の姉弟と美女井家一同は食卓を囲んで楽しいひと時を過ごした。