73 ゆく年&くる年 3
学生らしく勉学に励んだり、元日に届かなさそうな年賀状を用意したり、藤田家の大掃除を一日がかりでやったりしているうちに、あっという間に大晦日になっていた。
美女井夫妻と優季、華恋が台所にいて、おせち作りが進められている。
良彦は料理に興味がないようで、みかんを食べながら正子と談笑していた。
「よっしーのパパは今日も仕事なの?」
「そうなんだよ。全然休まないの。その割りに稼ぎはイマイチ……。いや、イマイチだから休まないんだね」
小学生に話す内容かと考えながら、華恋は重箱に色々と詰め込んでいく。
すると、横にいる優季が話しかけてきた。
「華恋ちゃん、すごいね、毎年こんなにしっかり作ってるの?」
「うん、まあ、そうだね。お母さんが張り切っちゃうから」
「そうなんだ。うちはおせちなんか何年ぶりかわからないよ」
久しぶりになった理由は述べられず、謎のままだ。
二人の母がいつ亡くなったのか、そんな話も聞いていない。
藤田家に関するエトセトラについて、もしかしたら母は聞いているのかもしれない。
なにせ日中、優季と二人の時間が長いのだから。
病院への付き添いもしているし、買い物にも出かけたりして、ほぼ親子の状態だ。
父も母から事情は聞いているのかもしれない。
むしろ、そう考えるのが自然ではないか。
なんの事情もわからない近所の姉弟をずっと預かり続けるなんて、お人よしにも程があるわけだし。
そこまで考えを巡らせて、華恋は優季に顔を向けて、ニッと笑った。
「えー、なに、そのヤバい笑顔は。ひょっとしてものすごく美味しいの?」
「どうかな」
別に、根掘り葉掘り事情を聞く気はない。
なにもかも全部知りたいわけでもない。
きっとその時が来ればわかるはずだ。自分はそれを待ったらいい。
ヤバい笑顔、の部分にフンっと鼻息を出して、華恋は作業を続けた。
美女井家の大晦日の夕食はすき焼きと決まっている。
近所の姉弟がいても変更はなく、テーブルの上では肉祭りが開催されていた。
「これ、肉が一枚一枚包まれてるけど!」
良彦の目が爛々と輝く。
「今年はいい年だったからね」
父は嬉しそうに、高級ブランド牛を鍋に放り込んでいく。
「引っ越してきて、本当に良かったわ」
母は全員に卵がいるか確認していく。
「はやくおうどん入れようよー」
正子はいつも通り勝手だ。
「うどんは最後だよ」
邪道な提案には華恋が突っ込む。
「あの、おじさん、おばさん……」
じゅうっと湯気をあげる鍋の向こうで、優季は神妙な顔だ。それに、父が答えた。
「優季ちゃん、堅苦しいのはいいよ。今年は本当にいい年だった。引っ越してきて、よっしー君と優季ちゃんと知り合えて良かった。とても良かった。今年はそれに尽きるね」
長女とよく似た四角い顔がニッと笑う。
娘とお揃いのヤバい笑顔に、藤田ブラザーズも顔の力を緩ませて微笑んだ。
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう」
大人はビール、子供はジュースをそれぞれのコップに注いで乾杯する。
さすが高級ブランド牛はとろける美味しさで、鍋を囲んだ六人を幸せな気分にした。
元日になると、美女井家と母の実家である村山家の祖父母が二組やってきた。
オマケに一人、叔母がついて来ている。母の姉である、村山美沙子だ。
「華恋、久しぶりー!」
両家の祖父母たちが、天使のようだ、ママの小さい頃そっくりね、と正子へ愛情を偏らせる中、この伯母だけが華恋をバカみたいに構ってくれる唯一の存在だった。
華恋と正子同様、並べば誰もが姉妹とは思わない、似てない姉妹の可愛くない方という同じ立場で三〇年以上頑張ってる先輩なのである。
「なんか髪がサラサラになってるけど」
「うん。ちょっとね」
「ちょっと華恋、ブサイク姉同盟から抜ける気?」
美沙子伯母さんはブサイクじゃないじゃん、と華恋は思う。
確かに、母とは似ていない。並べば妹は超可愛いのにね、と言われるかもしれないが、ジャンルが違うだけで見た目が悪いわけではない。
しかし幼い頃からずっと横に比較対象がいる状況が二〇年も続けば、それなりに自信喪失に繋がるらしい。
自分はモテない、ブサイクな姉の方、なんて僻み根性を踏み台にして、仕事に情熱を傾けるおひとり様街道を爆走中だ。
「そんなんじゃないよ」
「そう? 好きな男子とか出来たんじゃないの?」
「やだよね、いちいちそういう話に持っていくの、オバサンくさい」
「言うようになったね、華恋。可愛くない」
祖父母たちにおねだりマシンガンをぶっ放す天使のマーサちゃんを囲む輪から離れて、二人で笑い合う。
一年ぶりに会う伯母は、姪の四角い顔から出てくる単語にいちいち驚き続けた。
「演劇部? 華恋が?」
「うん」
「メイク? ダイアン・ジョーに?」
「うん」
「イケメンと舞台!」
「うん」
去年は仏頂面で「なにも面白いことなどない」と言ったきり黙り込んでいた少女のあまりの変わりように、美沙子もただただビックリし続けた。
「すごいわあ、中学入って変わったのね」
「中学っていうか、転校してからかな」
「そうなんだ。なにがあったの?」
華恋は天井を見上げて、伯母になんと答えようか考える。
「えーとね」
良彦のご機嫌な笑顔が脳裏に浮かぶ。
なんだか知らないが毎日、会わない日など今日以外になかった気がする、ほぼ家族の一員と化したあの少年をどう評したものだろう。
「すっごく失礼なやつが隣の席になって」
「ほう」
「そいつに振り回されてたら、いつの間にかこうなってた」
意味不明の説明に、伯母はきょとんとした顔をしている。
「難しいな、今の若者の説明は」
「ごめん。でもホントにそれだけなんだ。全部つき合わされてるうちに色々あって」
「そっか」
美沙子は祖母にそっくりな顔をにっこりさせて、うんうん頷く。
「でも、良かった。去年は死んでるみたいだったから、心配したよ」
「無の境地」に関しては、良彦にも「死んだのか」と言われたことを思い出す。
あの最終奥義は封印して正解だったらしい。二度目の敗北以来、使っていないし、もう必要ないように思える。
「うん」
「ほれ、お年玉」
シブイ柄の青いポチ袋を差し出し、美沙子はヘタなウインクをしてみせた。
「正子には内緒だよ」
「ありがと」
似てない姉妹の可愛くない方同盟を結んだ二人は、意地の悪い笑顔を交わした。
親戚を迎えて騒がしかった元日が去り、二日は約束の初詣の日だ。
朝イチで近所の姉弟が元気よく現れる。
「あけましておはよーございまーす!」
「おはよう、優季ちゃん、よっしー君」
可愛い顔が揃って、新年の挨拶をしている。
前日の酔いが残る父は冴えない顔をして、控え目な中身のポチ袋を二人に渡した。
「よ、ミメイ! 新年早々四角いな!」
「藤田君は今年も可愛い感じで結構なことですね」
「今年もよろしく!」
「ハイハイよろしく」
全員で雑煮を食べながら、華恋は新年の挨拶についてこうケチをつけられた。
「俺、今年は可愛いから卒業して、カッコイイ系になっちゃうから」
「無理じゃない?」
「なんだよ、無理じゃないよ。俺、最近すっげえんだぜ、関節痛が。成長しちゃってんのよね、骨が。骨格がさ!」
「大きくなったとしても、顔はそのまんまなんじゃないの? あと、背も大して高くならなさそうだし」
良彦は雑煮のモチをビローンと伸ばしてもぐもぐした後、首を傾げ、クラスメイトへこう問いかける。
「お前、俺がイケメンになるのがイヤなのか?」
「そんないきなり顔が変わるわけないじゃん。その顔のまんま背ばっかり伸びたら違和感あると思うし、それに……」
「それになんだ?」
ここで華恋は声をひそめて、イヒヒと笑いながら続けた。
「ゴーさんが悲しむでしょ」
「なんだなんだ。今年は四角いだけじゃなくて意地悪キャラに路線変更かよ!」
そう言いつつ、なんだかんだ良彦はいつも通りケラケラ笑った。
優季と良彦、華恋と正子の四人で神社まで歩く。
境内は結構な人数が列を作っていて、お参りするまでには時間がかかった。
五円玉を放り込んで、鈴を鳴らして。
華恋は少し考えてから、こう祈った。
二年生になっても、またこいつと同じクラスになれますように。
神様から返事はない。
参拝客が次々と押し寄せるので、お願いを終えると四人はさっさと移動して、立ち並ぶ屋台をひやかしながら歩いた。