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07 姉ちゃんを励まして 3

 土曜の昼の適当な食事を済ませると、華恋は着替えを始めた。

 考えていたらどんどん良彦の姉のお見舞いに行く理由はわからなくなっていったが、今更断るわけにもいかない。仕方ないので、無難なファッションに身を包んで用意をしていく。


 二時少し前になると、外から声が聞こえてきた。

「おーい! ミメイー!」

 華恋が慌てて外へ出ると、良彦はいつもの笑顔で立っている。

「あんた、そこにインターホンがあるの、見えないわけ?」

「見えるよ」


 見えるが使わない、ということなのか。

 底抜けに明るい顔を見ていると突っ込む気力はなくなってしまって、追及はナシ。

 二人は揃って病院へ向かって歩き始めていた。


「お姉さん、いつから入院してるの?」

「八月からだよ。暑いとダメらしいんだよね。調子が悪くなっちゃって」


 歩きながら、脳神経がうまく働かなくなる病気なんだと良彦は話した。

 聞き覚えのない病名はすんなりと頭には入ってこなかったが、体が自分の思い通りに動かなくなるというのは相当辛そうだと華恋は考え、心が重く暗くなっていくのを感じていた。


「なんだよ、シケた顔すんなよな。死ぬような病気じゃないんだぜ?」


 お見舞いに行く人間が暗い顔をしていたら、悪いことがあるんじゃないかと心配するだろうというのが良彦の考え方らしかった。

 かといって、なにも考えてないような能天気な態度を取られたらムカつかないだろうか。


 悩んでいるうちに、あっという間に大学病院にたどり着いてしまう。


 

「姉ちゃん! 来たよ」


 女性患者ばかりの大部屋の中、カーテンで仕切られた一角に入る。

 ベッドには、良彦によく似た可愛らしい女の子が座っていた。


「よしくん、声が大きいよ」


 良彦の姉、優季はちょっとけだるそうに弟に注意をして、その後ろについてきた謎の女子中学生について当然の質問をする。


「だあれ?」

「俺のクラスの転校生! ミメイって言うんだ」

「あの、ミメイです。初めまして」


 挨拶しようと前へ進むと、優季の様子がハッキリと目に入った。

 可愛らしい顔なのに、ほっぺがぽんぽんに大きく膨らんでいる。

 ふっくらしているという表現で収めるには不自然で、なるほどこれが副作用というやつなんだろうなと華恋は考える。


「初めまして……」

 戸惑った様子で、優季が呟く。

「お友達連れてくるなんて、初めてだよね」

「こいつ、おもしれえんだよ。姉ちゃんが元気になったらいいなと思ってさ」

 

 あまり歓迎されている雰囲気ではなかった。

 自分に一切関係のない、弟のクラスの転校生なんて。

 歓迎されなくて当たり前だ。


 しかし、だからと言ってすぐに帰りますというのも変だ。来てしまったんだから。


 華恋は考え、そっと良彦の背後に下がると、久しぶりの姉弟の会話を見守ることにした。


「お父さんは元気?」

「元気だよ、相変わらず」


 それ以上は特に優季からの発言はない。良彦はあれこれ父親の様子を話したが、母親の話は出てこなかった。

 姉のリアクションは特にない。それに構わず弟は話し続けて、背負ってきたリュックから小さな箱を取り出している。


「姉ちゃん、メイクしてみない? また新しいテクニックを習得したんだ」

「またそんなこと言って……。そんなの意味ないよ。この顔みたらわかるでしょ? なにやったっておかしいよ。こんなにおっきなぽんぽんの丸顔なんだからさ」


 優季は目を伏せて、寂しげな声で、ささやくように答えた。

 あのぽんぽんがなければ、弟同様とてつもなく可愛い顔をしているに違いないのに。


「そんなことないって。今から俺、こいつにメイクするから。この四角い顔がなんとかなれば、姉ちゃんのそのちょっと可愛い丸顔だってなんとかなるって信じてくれる?」

「なにっ!」


 良彦は言った。「お前以外に頼めない」と。

 その理由がハッキリして、華恋はもちろんムカムカしているが、状況が状況だけに堂々とは怒れない。


「ミメイはすごいんだぜ。俺がメイクアップアーティストになりたいって言ってもほかのやつらみたいに引いたりしないし、写真見てほめてくれたんだからな。度量の大きい女だよ」

「……へえ」


 微妙なほめ言葉にどう反応したらいいかわからないが、優季は関心を持ってくれたようだ。

 こうなるともう協力せざるを得ない。仕方なく、華恋は一人、肚を決める。


 良彦がメイク道具を広げていく。大部屋のベッドの横のスペースは狭いので、ベッドの端にまで大きな鏡や色とりどりの小さなアイテムが置かれていく。


「ねえ、ミメイさん。ごめんね、よしくん、あなたを無理矢理連れてきたんじゃない?」

「……ええ、まあ、そうですけど」

「やっぱりね。ダメだよ、よしくん。あんまり勝手なことしたら」


 メイク道具を広げながら、弟はいつも通り明るい声で答えている。


「いいんだよ。ミメイにも変身しないといけない理由があるんだから」

「はあ?」

「そうなの? なあに、その理由って」


 良彦はニカっと笑うと、カバンからノートとペンを取り出した。

 パラパラとめくって白紙のページを見つけ、華恋の名前(フルネーム)を書き出していく。


「こいつの名前」


 優季はノートをのぞきこんで、目をまあるくしている。


「ミメイさんって、こういう風に書くの」

「ええ、まあ、そうです」


 さっきとほぼ同じ、虚ろなセリフで華恋は答えた。


「下の名前は……、かれんって読むのかな?」

「ええ、まあ。……その通りです」


 すると、急に優季の眉間に皺が寄って、苦しげに歪んでいった。

 気分が悪くなったのかと心配しているうちに、「うっ」と顔を抑えて下を向いてしまう。


 ナースコールというシステムが、病室にはあるはずだ。

 華恋はベッドのまわりをキョロキョロ見回していたが、どうやらその必要はないとすぐにわかった。


「……ふふふふ」 

 優季は上体を細かく震わせて、次の瞬間、顔を上に向けて大きく笑い始めた。

「あはははははははは!」


 笑い声はみるみる大きくなって、たぶん、病室を通り抜けて廊下や隣やそのまた隣の部屋まで響き渡っていった。


「あーはっはっはっはっは! あーははははは!」


 とてつもなく大きく朗らかな笑い声に、華恋はあっけに取られていたが、隣の良彦は満足そうに笑っていた。


「ありえない……。ありえない、名前だよ……。くふふふふ」


 いったん収まったかと思ったら、優季はまた大声で笑い出した。散々笑って、涙をティッシュで拭きながらようやく顔を上げる。


「ミメイさん、名前負けしすぎだよね」

「だろお?」


 嬉しそうに暴言を吐く優季に、ああ、なんだ、やっぱり良彦の姉なんだなと、ガッカリしたような、だけど安心したような気分になって、華恋は答えた。


「ハッキリ言うなあ。こっちは自分で責任とれないこと笑われて最悪の気分だよ」

「あはははは! そうだよねー、ごめんね!」


 強い言葉にもまるでひるまないし、反省もしないらしい。弟と同じく。


「こんな名前だと大変だから、俺がきれいにしてやろうと思って」

「そっかそっか。そうだよね。メイクで変身したら少しはいいかなあ」

「この毒舌姉弟っ……!」


 怒られたはずなのに、藤田ブラザーズはそろってゲラゲラ笑った。


「わかった。よしくん、私も頼むわ。ミメイさんがこんな試練に耐えてるんだから、私も病気なんかでくよくよしてられないよね」

「そうだよ、姉ちゃん」


 失礼極まりない会話をさりげなく交わして、良彦は早速可愛らしいボトルをパフに何回かぽんぽんと押し付けて、用意を済ませるとニッコリ笑った。


「どっちからいく?」

「お姉さん、どうぞ」


 せっかく自分が犠牲になって良くした空気だ。この調子で優季の気分を盛り上げるよう、手伝うしかない。


「そう? ありがとう。じゃあ、お先に」


 まあるい頬を、ぽんぽんとパフがたたいていく。

 次はクリームのようなものが、その次はまた別なものが塗られ……、良彦は真剣な顔で姉の顔に色をのせていく。


 最後に唇が可愛らしいチェリーピンクになって、メイクアップは終了した。


「どう?」


 差し出された鏡をそっと受け取って、一瞬ためらった後にそれを覗き込んだ優季は、幸せそうな笑顔を浮かべた。


「わあ……」


 ファンデーションを何層にも重ねた効果で、頬が少し小さく見える。

 眉毛もきれいにアーチを描き、さりげないゴールドに彩られた目元は華やかで、病室に入ってきてすぐに見た姿とはまるで別人になっていた。


「すごいね、よしくん」

 姉の明るい笑顔に、弟は満足げに頷いている。

「だろ? すごいだろ?」

「うん」


 その次はお前の番だ! と良彦は笑顔を見せたが、メイクをされる前に華恋は逃げ出してしまった。

 他人の眉毛に手を入れるのは初めてなんだ、という言葉とともに向けられた小さなハサミの先がちょっと震えていたから。


 眉毛がなくなったら? という恐怖に駆られて、少女は病室から逃げて家まで走って帰った。


 ちょっと、微笑みながら。

 自分の名前が人の役に立つこともあるんだなと、ちょっと苦笑いしながら、華恋はいつもどおりの顔で帰宅した。

 

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