67 お疲れ、華恋 3
基本が元気な若者の回復は結構早くて、華恋の熱は次の日にはもう平熱まで下がり、朝食をもりもり食べている。
「すっかり元気じゃんか。お前って頑丈そうだもんなあ」
「ほめてくだすってありがとうございます」
華恋がニヤリと歯を出して笑ってみせたら、案の定良彦はゲラゲラと笑った。
十二月も下旬に突入し、もうあと何日かで冬休みがやってくる。
吐いた息が白く広がり、街路樹の葉がほとんど落ちて景色は寒々しい。
すっかり冬がやってきた通学路を、今日も二人は歩いている。
「なあミメイ、お前の家って年末年始の予定はどうなってんの?」
隣の席から飛んできた質問に、華恋は眉間に皺を寄せた。
今のペースだとお正月もちゃっかり我が家の子になりきって、お年玉でももらうのかもしれない。
しかし、それがダメとかイヤとかそういうわけではない。
それよりも藤田家の父とはどうなっているのか、気になっていた。
「帰省とかする?」
「いや、しないよ。お父さん方もお母さん方も、実家は県内だから。毎年お正月は両方顔を出してるけど、今年……じゃなくて来年か、新築になったからうちに集まるとかなんとか、お父さんが言ってたよ」
「そうなのか」
ふんふんと頷いている表情からは、どうするつもりなのか読み取れない。
しかし、正月の親類の集まりにもすんなり溶け込んでしまうだろう。
どちらの祖父母も気難しいタイプではないし、むしろこんな可愛い坊ちゃんが現れたら喜びそうな気がしていた。
結論がどうなるのかしばらく待ったが、良彦はなにか考えているような顔で黙ったままだ。
そっちはどうするの? なんて言ってしまうと、うちには来るなよという牽制になってしまいそうな気がして、華恋も口をつぐんで授業の始まりのチャイムをじっと待った。
この日から午後の授業はもうなくて、部活に参加する者だけが弁当持参で活動するようになっている。
「部室で食おうぜ、ミメイ!」
「そうだね」
教室の暖房はあっさりと切られて冷えるので、二人はこの日も母の愛情弁当をぶら下げて別校舎へと向かった。
途中でよう子と礼音に会い、挨拶を交わして一緒に歩く。
「ビューティ、疲れは取れた?」
「取れました」
「こいつ、風邪ひいて一日寝込んでたんだぜ」
よう子が、まあ、と口に手を当てる。
「でもやっぱすぐ治ったみたい。なにせ栄養状態がいいから!」
良彦が勝手にした説明に、礼音が笑う。
どうやらツボに入ったらしく、いつまでもいつまでも腹を押さえて笑いをこらえながら歩いている。
「そんなにおかしいですかね」
「……いや」
くっくっくと細かく震える巨体の後ろから、桐絵が現れた。
演劇部の扉が開かれてみんなで中に入ると祐午もすぐにやってきて、楽しいランチタイムが始まった。
「次の放課後エンターテイメントは二月の中旬よ。あんまり時間がないから、急いで準備しないといけないわ」
どうやら二年生の三人は早食いらしい。
よう子が相変わらずぶっちぎりで早かったが、礼音と桐絵もあっという間に食べ終わっていて、まだもぐもぐしている一年生にはお構いなしなようだ。
「次のシナリオはできてるの? 桐絵」
「まだよ」
まだ顧問も副顧問もやってこない中で、お次はどうしようか、話し合いがスタートしていた。
「二月なら、バレンタインをテーマにするとか?」
おかずのブリの照り焼きをかみしめながら、華恋はぐへえ、と心の中で唸った。
あのクリスマスだってこっぱずかしいの最上級だったというのに、それを上回るであろうラブアンドファンタジー、バレンタインがテーマだなんて。
「ハードSFはどうなったの?」
一方、良彦は忘れていなかった。革のライダースーツというこれまた無茶な話題について。
「ハードSFって?」
「ミメイはクール系のファッションが似合うかなって思ってさ」
桐絵が細い目を「一」にしている。
華恋は次に出てくるであろうセリフを予想していた。
藤田君、そんなのは無理よ、バカなことを言わないで、とかが妥当か。
「それはいいわね」
「えーっ」
甘辛いタレの絡んだ魚のカケラが、口から飛び出していく。
「どうしたのかしら、ミメイさん」
「いえ、なんか意外で」
「いいじゃない、ハードSF。スパイと未来警察がお互いのプライドを賭けてぶつかり合い、いつの間か二人は恋に落ちる……?」
一になっていたはずの部長の瞳がカッっと開いたと同時、容赦ないツッコミが入った。
「桐絵、一〇分なのよ? あんまり凝った設定だと伝わらないわ」
「それもそうね」
あっさりと自分の非を認めて、桐絵はちょいとめがねをあげている。
「一〇分なら、わかりやすい王道の話がいいんじゃないだろうか」
副部長が建設的な意見を出して、二年生たちはどんな設定がいいか検討をし始めた。
一年生の弁当はあと少しで片が付く。
そこで扉が開いて、つまようじをくわえた号田が現れた。
「よう、みんな。揃ってるな」
「ゴーさんなに食べたの?」
「出前のラーメンだ!」
冬場堂々とホカホカメニューを食べられるのは先生の特権であり、辻出教諭はいつまで経っても現れない。
「まりこ先生来ないね」
「演技の指導がない時は現れないわよ」
よう子が教えてくれた真実に、華恋は納得したが、同時に呆れてため息をついた。
「徹底してるなあ」
号田がやってきたのは、演劇部にとっていいことだったのかもしれない。
部員の一人を狙ってはいるが、一応責任が取れる存在が常駐してはいるのだから。
「部長、今まで書いたものの中から、良いシーンだけ抜粋してアレンジしてみたらどうですか?」
食事を終えた祐午が、早速会議に参加してにっこり笑っている。
「今から新しく書いたら時間がかかるかもしれないし、部長のシナリオは長くなりがちですし」
「……そうね」
両手の人差し指をツンツンつき合わせながら、モジモジと桐絵が答える。
恋する女子の部分があからさまに前面に出てきてしまっているようだ。
「前に書き溜めていたシナリオの中で、僕、いいなと思ってるものがあるんです。使えるシーンがないか見てみましょう」
芝居への情熱あふれる少年のキラキラ粒子に、部長はあっさりとしてやられてしまったらしい。
二人は他の部員そっちのけで、シナリオを保管してあるダンボールの山へ移動していく。
「やる気だねえ、祐午君」
「止めるなら今だぜ、ミメイ」
「止めるって、なんで?」
「シナリオが早くあがれば、その分しごかれるわよ」
「なるほど……」
叫んだり走ったり竹刀を振り回されたりした日々を思い出すと、確かに短い方が嬉しいな、なんて気持ちになってくる。
しかしそれがイヤだからと言って、シナリオ探しをジャマするのは邪道ではないのか。仮にもここは、演劇部なのだから、とかなんとか。
「まあいいよ。レオ先輩もいいシナリオがたくさんあるって言ってたし。日の目を見せてあげられた方がいいんじゃないの」
「マジか。お前、本当に女優になったんだな……」
しみじみと言ってくる良彦に向かって、華恋はそーでもないよ、と肩をすくめてみせた。
「それより、入部希望者とか来ないのかな?」
「そうだよなあ、舞台もやったし。ん-、でも、部活やってるかどうか、演劇部って外から見てもわかんないよな」
なるほど、廊下の一番奥の閉ざされた扉の中に引っ込んでいたら、活動中かどうかはわからないだろう。
顧問の教師が職員室にずっといるんじゃ、休みと思われても仕方ないとも思える。
「正子みたいに祐午君と一緒似舞台に立ちたい! って子が来るかもしれないよね」
「そうだなあ。まあ、ゼロではないか。ユーゴかっこよかったもんな」
しみじみと男子をほめる良彦に、号田の表情が珍妙な形に歪んでいく。
「だったら、今まで書いたものから探した方がいいよね。人数が変わっても調整しやすい方が良さそうじゃない?」
しかし、この華恋のセリフに同調する者はいなかった。
「まりこ先生の伝説を甘く見ちゃダメよ、ビューティ」
なんじゃそりゃと言いたくなる反応に顔をしかめてしまう。
「よし、じゃあ今日は遊ぼうぜ」
良彦が声をあげて、この提案は即採用される。
華恋はメイク、衣装、小道具とヘアメイクの四人に散々楽しく改造されて、一日を過ごした。