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65 お疲れ、華恋 1

 礼音がパワフルに舞台用のセットを運ぶ姿を、華恋は舞台袖から見ていた。


 緊張している。

 体がやけに固くなっているように感じられて、うまく動かない。


「ビューティ、顔がヤバいわよ!」

 いつの間にやってきたのか、よう子は女優の頬をツンツンとつついて笑っている。

「よっしーならこう言うでしょ」


 良彦は照明係なので、体育館の後方二階にスタンバイしている。

 華恋が眉間に皺を寄せて先輩を振り返ると、隣には桐絵もやってきていた。


「美女井さん、大丈夫。観客の半分はカボチャで、残りはズッキーニだから」


 それは部長流のジョークだったのだろうか。

 これが本当なら客席は緑に染まっているだろう。

 華恋が小さく笑って、二人の先輩たちも安心したように微笑んでいる。


「きっと出産よりはラクなはずだから! やれるわ、美女井さん!」


 桐絵の冗談のセンスはヤバいかも、と華恋が呆れていると、役目を終えた副部長もやって来た。

 大荷物を運んだせいなのか、呼吸が少し乱れているし、額には大粒の汗が浮かんでいる。


「ビューティ」

 礼音はポケットからなにかを取り出すと、勝手に華恋の右手を取って、中指にぐいぐいと指輪をはめた。

「昨日できた」

 赤いラインストーンが美しく整列した指輪がキラリと輝いている。

「青だと衣装と合わないから」


 小道具の良い仕事に、よう子と桐絵も満足そうだ。

 先輩たち全員を独り占めしていることに気がついて、華恋は口を開いた。


「祐午君は?」

「一人がいいみたいよ」


 上手(かみて)だったか下手(しもて)だったか、祐午は反対側の舞台袖に控えている。

 ブルーの衣装に身を包んだハンサムな主演俳優は、今どんな気分でいるのだろう。

 部室で最後に見た姿は、笑えるくらい男前が強調されていた。


「よし、配置につけ!」


 奥の暗がりから響いた魔将ツジーデの号令に、華恋は顔を強張らせている。

 目の前の三人の先輩は力強く頷いて、にっこり笑う。


「行ってらっしゃい、ビューティ。あなたは鬼のしごきに耐えたんだもの、大丈夫よ」

  

 緊張で潰れそうな胸の中に、ふっと良彦の言葉が浮かびあがった。


  せっかく生まれたんだから、楽しく行こうぜ!


 そうだ。思い切って飛び込む。今更緊張したって始まらない。

 先輩たちに笑みを返して、華恋は足を踏み出して所定の位置についた。


 幕が開き、舞台が始まった時点で、華恋は舞台の端の奥で後ろ向きに立っている。

 そして祐午が現れ、声をかけられてふりむくのだ。


 雪のかかった木のセットをじっと見つめながら、セリフを反芻していく。

 わずか一〇分。セリフだってたくさんあるわけではない。

 大丈夫。思い切って冒険して、新しい世界に飛び込んで、短い旅を楽しむんだ。


 人という字を手のひらに書いた後パーンと思いっきり叩くと、「コラっ!」と鬼から怒られてしまった。


 暗闇の中に赤く輝く瞳が二つ浮かんでいる。

 しかし「パーン」が合図になったのか、マイクのスイッチが入ってよう子の挨拶が始まった。

 舞台の奥の方でスタンバイしていた副顧問が一生懸命ロープを引いて、幕が開く。


 静かな空気の中、少しして足音が舞台上に響いてきた。

 鮮やかなブルーの衣装に身を包んだ祐午が出てきて、キャアっと女子生徒の歓声が上がる。

 しかしそれもすぐに収まって、再び体育館の中は静かになった。


 ゆっくりと歩いてきた祐午が、舞台中央に来たところで、まず最初のセリフを口にする。


「君は……?」

 

 出番だ。

 出番だ。


 おんなじことを思わず二回考えて、華恋はゆっくりと振り返った。

 そして、少しだけ後悔した。

 前回の放課後エンタテイメントを見に行くなり、今日ちょっと早めにいくなりして客席の様子を確認しておくべきだったと。


 せいぜい二、三〇人程度しかいないだろうなんて考えていた体育館内には、人がぎっしり詰まっている。

 暗がりに浮かび上がる人の顔の行列に圧倒され、体がまた少し固くなる。

 事前に何回も本番を想定した練習をしていたけれど、客が入っているだけでこんなに違うとは。


 やっぱり人間はカボチャやらズッキーニには見えなきゃ緑色でもないし、当てられている照明もやたらと眩しく感じられるし、ついでにあんまりにも意識しすぎて、客席に母と優季がいるのをうっかり発見してしまった。

 緊張マシマシコンボが決まって、意識までカチコチに固まっていく。

 

「やっぱり。どうして、ここにいるの?」


 祐午に答えるはずの、言うべきせりふが頭に浮かんでいる。

 「誰かに、呼ばれた気がしたの」だ。

 けれど、口からは出てこない。

 焦りで強張る女優の顔に、舞台袖にいた顧問の鬼やら二年生たちの表情も暗くなっている。

 セリフを大きく書き出したスケッチブックを部長が慌てて取り出したところで、舞台は動いた。


「わかった。君も、なんとなく来たんだね。僕もそうなんだ。誰かに呼ばれたような気がしたんだよ」


 自分を優しい微笑みで見つめる祐午のアドリブに、華恋の意識もようやく目覚めた。

 女優が大きく頷くと、祐午はその手を取って舞台の中心へと引っ張っていく。


「君にずっと会いたかった。どうしてあの日別れてしまったのか……長い間ずっと、考えていた」

 

 この芝居の登場人物の二人に、名前は与えられていない。

 しかしその名のない恋人の姿を、目の前の若い俳優は華恋の中に見出している。

 真剣に輝く瞳の力に押されて、華恋もようやく口を開いた。


「私も同じことをずっと考えていた」


 少しペースが速い。声も小さい。でも、なんとか言えた。

 祐午がそれに特上の笑顔を浮かべて、華恋はそれにマジで照れそうになってしまう。


「すごい。これって、奇跡なのかな?」


 本当に奇跡が起きたのかもしれない。

 華恋の緊張はこれですっかり溶けて、思いっきり笑顔を浮かべると、続きのセリフを口にした。




 幕が閉まって、華恋はへなへなーっと舞台のど真ん中に座り込んでいる。

 幕の向こうからは大きな拍手が聞こえていた。

 良彦と号田以外の演劇部一同が駆け寄ってきて、鬼の顧問に丸めた台本で頭をこつんと叩かれる。


「ミメイ、立てい!」

「へ?」

「アンコールよ、ビューティ。頑張って、立って」


 そいつはいかんと、女優はあわあわと立ち上がった。

 目の前に手を差し伸べられたので、素直に掴む。

 しまったこれ祐午君の手じゃんかと思いつつ振り返ると、部長は目に涙を浮かべて二人に拍手を送っていた。

 それに安心したら足の震えが止まって、華恋が無事に立ち上がり、また幕が開いていく。


 辻出教諭が一歩前に出て深々とお辞儀をしてから、主演の二人の手を取って前に引っ張り、つないだ手を高々と挙げる。

 拍手が大きくなって、みんなで礼をして、一歩下がって、閉幕。


 こうして演劇部の本当に久しぶりの舞台は、終わった。



 部室でメイクを落とし、制服に着替てついたての陰から出ると、演劇部一同が大きな拍手で華恋を迎えてくれた。


「よくやったわね、美女井さん!」


 みんなの優しい顔に、照れてしまう。

 珍しく頬を赤く染めながら、華恋はゆっくりと前に進んで、小さく頭を下げた。


「いえ、なんか緊張しちゃって、最初のセリフ言えませんでした」

「仕方ないわ、初めてだったんだから」


 どうやら指導をしていない状態だと、魔将は封印され天使のまりこに戻るらしい。

 穏やかな笑顔の中に瞳を少し潤ませて、うんうんと大きく頷いている。


「逆に! 逆に初々しくて良かったわ! 先生感動しちゃった」


 辻出教諭は感極まったのか泣き出して、その隣では祐午がスッキリした笑顔を浮かべている。


「ビューティ、声もちゃんと出てたし、最初以外はバッチリだったよ。初めてでここまで出来たんだからすごいよ!」

「いやいや……、祐午君がいなかったら危なかった。ホントありがとう」

「ありがとうはこっちのセリフだよ。ねえ、部長!」

「はうん?」


 突然意中の少年に笑顔を向けられ、おかしな返事が桐絵の口から飛び出す。

 それによう子がうふふと笑ってくるりと回った。


「さ、乾杯しましょ!」


 テーブルの上にはジュースが用意されている。

 全員で紙コップを手にとったものの、肝心の顧問の先生は号泣したままだ。

 それを様子に祐午が小さく笑って、こう提案した。


「部長、乾杯の音頭をお願いします!」

「あー、はー」


 緊張と照れでわけのわからない応答をしたものの、すぐに気を取り直し、眼鏡をちょいとなおすと桐絵が乾杯と大きな声をあげ、演劇部の面々は初めての舞台の成功を全員で祝った。

 

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