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62 本番直前の演劇部リポート 1

 舞台を明日に控えた女優に、副顧問が寄って来ていきなり顔をしかめた。


「おいビューティ、髪の手入れがなってないぞ」

「え? あー、ああ、そうかもね」


 ここのところすっかりお疲れで、お湯に浸かれば「ぐはあ」と唸るばかりのお風呂タイムを過ごしている。

 確かに。髪にかかっていた号田マジックが少しずつ解けてきて、なつかしのバリカタヘアが復活しようとスタンバイを始めているような気配がしていた。


「いかんな。このあと来れるか? 速効補修トリートメントをするぞ」


 舞台の特訓が終わってからでは、遅い時間になってしまうだろう。

 そう考えて、華恋はふうとため息をついた。


「疲れてるんだよね」

「これじゃあ明日、頭がキマらないぞ? 可愛さが八割減になっていいのか?」

「駄目だ!」


 かわりに答えたのは辻出教諭だった。

 愛用の竹刀で右肩をパンパンと叩きながら、二人にゆっくり近づいてくる。


 鬼のまりこは目を閉じて、一人で何度も頷き、カっと目を見開いて華恋へ告げた。


「今日は早めにあがって、ちゃんとしてこい」

「いいんですか?」

「武川、お前も行くんだ! 号田、頼んだぞっ!」

「はい!」

 祐午は華恋へむけて、にっこりと微笑んでいる。

「明日に備えて今日はもともと早く終わるつもりだったみたいだよ、まりこ先生は」

「そうなんだ」

「僕も髪がちょっと伸びてたから、ちょうどいいよ」


 この日は、体育館で本番を想定した通し稽古をしていた。

 照明役の良彦も上手く仕事をしていて、大道具係の礼音の配置と撤収は素早く、よう子の芝居の前の挨拶も卒がない。

 号田もちゃんと幕を開けたり閉じたりして、桐絵は台本を持って舞台袖でスタンバイしている。

 部長の役目はもしセリフをド忘れした時などに助け舟を出す救世主の係だ。


 一〇分弱のクリスマスの奇跡を、何回も何回も練習した。

 華恋のセリフは少ない。なんとか全部、どのタイミングで言うか覚えている。

 少しぎこちない演技に演劇の修羅は不満そうなオーラを放っているが、ひどい文句や苦情を言われることはなかった。


 そして祐午だ。


 やはり俳優になりたい少年の演技は一味違っていて、声はよく通り、その動作は指先まで美しく、なによりも芝居ができる喜びに満ち溢れていた。

 哀しいセリフも、喜びの表情も、切なげに胸を押さえるその動きも輝いて見える。

 舞台の奥を見やれば、桐絵の目がうるんで涙が光っていた。


 見に来た観客も、部長と同じような心情になるのではないだろうか。

 舞台上で向かい合いながら、華恋はそんな風に考えた。

 そんな風に考えていると、ツキカゲ棒がバシンと体育館の冷たい床に振り下ろされてしまう。


「ミメーイッ!」


 そのシャウトに背筋をピンと伸ばして、素人女優は必死になって芝居に集中した。



「なになに、ゴーさんに髪切ってもらうって?」

「うん。ビューティは緊急トリートメントするんだ」

「そっかー。俺も切ってもらおうかなあ」

 良彦のこの言葉に、もちろん号田は光のごとき速さで反応する。

「行こう。一緒に行こう。藤田君の髪なら五時間は触っていられる!」

「きもちわりい~!」


 大好きな少年に顔をしかめられても、へっちゃらなようだ。

 モグリの理容師はニコニコの笑顔で帰り支度を始めている。


「車で来てるから、三人とも乗りなさい。助手席は藤田君だぞ、ビューティともう一人は後ろだ!」


 ふいに視線を感じた。

 この鋭さはきっと部長で、華恋は振り向かないように、そそくさと帰る支度を進めた。



 ご機嫌な赤い軽自動車に乗せられて、演劇部一年生御一行様は時ノ浦駅前にたどり着いていた。

 GOD・A店内に客の姿はない。

 ヒマそうにスポーツ新聞を読んでいた号田・父が扉が開いて嬉しそうに顔を上げたが、お客が自分目当てではないことにすぐに気がついてシュンと寂しそうな様子になる。


「剛、おかえり」

「親父、シャンプーの用意! 三人前だ、頼む」


 着ていたコートをかっこよく脱ぐとポイと待合スペースのソファに放り投げて、楽しげにシャツをまくりながらモグリの理容師は奥へ進んで手を洗い始めた。

 そして、ぱっと顔をあげて、父親にむかって叫ぶ。


「一番小さい子は俺が洗う!」

「わかってるよ。藤田君、こっちへどうぞ」


 案内されたシャンプー台の、一番奥の席だけフカフカのクッションが設置されていく。

 こんなあからさまな贔屓に対しても苦情を言わないお利口な二人は椅子に座って、順番にタオルや洗髪用のケープをかけてもらった。

 しかし不安はあったようで、祐午は振り返り、理容師親子にこう問いかけている。


「あの、僕の髪を切るのはどっちですか?」

「俺が切るから安心しろ!」

「私は?」

「お前もだ」


 どうやら腕の悪い父の出番はほぼないらしい。

 お茶を入れたり、道具を用意したり、完全に素人のはずの息子のアシストに励んでいる。

 寂しげなバーコード状のボーダーヘッドに、華恋は少し同情してしまう。


「安心しろ。親父はシャンプーだけは得意なんだ」

「そのわりにご自身は」

「祐午君! 祐午君はいつもどこの床屋さんに行ってるの!?」

 攻撃力高めのNGワードの予感に、華恋は慌てて大きく声をあげる。

「僕はいつもお母さんに切ってもらってるんだ」

「え? そうなんだ。上手なんだね、切るの」

 褒めつつも、なんとなく漂ってきたマザコンの香りに少し、焦りも感じていた。

「いいなあ。お母さんカットとか超憧れる~」

 VIP席でくつろいでいる良彦のセリフには、うまくコメントができない。


 三人で並んで頭を洗われ、生意気にも揃ってトリートメントをされながらお茶を振舞われた。

 自分の客ではないどころか、売り上げには一切貢献しない中学生の集団にも、店主である号田篤の態度は優しく紳士的だ。


 では、VIP席に招いている可愛い男子生徒を、自分の息子が変な感じで狙っていることについては知っているのだろうか。

 頭にしっとり成分を浸透させられながら、華恋はハラハラした気分だった。


「よーし、じゃあ、武川からいくか」

「はい、お母さん以外に切ってもらうの、初めてです」

「……そうか」


 勝手に切ったら怒られないか、号田に軽く確認され、祐午は明るい顔で多分平気です! と答えている。

 気が削がれたのか、号田のハサミは以前見た軽快さがないように思えた。

 目立たないようにちょっとだけ切っちゃおう的な、日和った対応でごまかすつもりのようだ。


 仲間の散髪が終わるまで、華恋と良彦はヒマだ。

 なので、気になるトピックスについて聞いてみようと決める。


「藤田はいっつもゴーさんに切ってもらってるの?」

「そんなわけないだろ? 今日だってミメイとユーゴが一緒だから来たんだぜ。確かに何回かやってもらったけど、毎回よう子さんと一緒に来てるから。俺だけでなんて、そんな真似するわけないし」

 祐午の髪をシャキシャキと切りながら、変態理容師はじっとりと良彦を見つめている。

「先生、よそ見はやめてください」

「よそ見じゃない! むしろ見るべきところを見ている!」

「やめなよゴーさん。祐午君の頭がおかしな仕上がりになったら、まりこ先生がどうなるかわからないよ」

「うぐぐ」


 同僚相手にも平気で竹刀を振りまくる鬼の姿を想像したようで、号田の視線は本当に見るべきところに戻った。


「いつもは適当な床屋とか美容院とか、あっちこっち行ってるんだ」

「そうなんだ」

「そうなのか!?」

「先生、よそ見はやめてください!」


 悔しそうに今対峙すべき後ろ頭を睨みながら、号田はブツブツ呟いている。


「俺じゃない奴が藤田君の髪をカットしてるなんて……」


 絶賛狙われ中の可愛い少年は呆れ顔だ。


「その前に理容師の免許取りなよ」

「取るぞ! 講師の仕事が終わったら取るともう決めてる! 藤田君は永遠にタダにするからここに通ってくれ!」


 GOD・A店内が静寂に包まれる。


 もちろん、店主である号田父は長年望み続けていた息子の覚醒に飛び上がって喜びたい気持ちだ。

 一方で、今のプロポーズのようなセリフはなんだろうと頭が混乱してしまっている。


 良彦はケラケラ笑いながら気持ちわりい! といつも通りのコメントを吐き出し、華恋はああやっぱりとんだド変態だと思いつつ、これ以上今は言ってはいけないとノーコメントに徹していた。


 こういう時に頼りになるのは、やはり天然で空気の読めない美少年と決まっている。

 彼はこの瞬間、なんの脈絡もなく、重大な事実を思い出して右手をあげて叫んだ。


「先生! 僕、財布の中に二八〇円しか入ってないんです」


 そこに篤が歩み寄ってきて、祐午の肩をポンと叩いた。


「今日はいいんだよ。サービスするからね」

「わあ。ありがとうございます」


 美少年がにっこり笑ってお辞儀をしたおかげで、場の雰囲気は一気に和んだ。

 

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