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60 緊張の糸で紡ぐ日々 2

 演劇部一年生の三人組は家に帰る前にファーストフード店に繰り出して、約束どおり祝杯をあげた。

 コーラとウーロン茶とメロンソーダ。

 試験の結果に笑顔を浮かべ、明日からやってくるであろう辻出教諭の地獄の特訓にちょっとだけビビりながら、家へ帰った。



「紺野はどうしたー!」


 次の日の放課後、演劇部の部室にはこんな声が響いている。


「すみません。ちょっと、英語と社会が足りなかったようで」

「はあーん?」


 よう子の言葉にツキカゲ棒がブンブン振られて、罪のない床がバシバシと叩かれる。


「理科と数学じゃなかったのかっ」

「そっちに力を入れたら、他にしわ寄せがきてしまったみたいで」


 辻出教諭は、動物園でたまに見かける落ち着きのないクマのように部室内を行ったり来たり、散々往復してからどデカいため息をひとつ吐いて、顔を上げた。


「仕方ない。あいつがいなくても芝居は成り立つ! まあいいだろう!」

 ほっとして息を吐き出す六人を、再びツキカゲ棒の起こした風が襲う。

「ふう、じゃない!」

「はいっ!」

 全員直立でいい返事。十二月の放課後エンターテイメントまではあと一〇日しかない。

 ここからはラストスパートと、芝居の稽古が始められていく。


「はいりはいりふれはいりほー!」


 まず最初は発声練習からスタート。は行までいったところで、またツキカゲ棒がブウンと空を切った。

「藤田っ!」

「はいっ」

「お前はいい!」


 喉がガラガラの少年に無理はさせない。

 鬼の中にも優しい天使のまりこが潜んでいたのだと、部員たちの心が温まる。

 のんきにメイク道具の手入れを始めた良彦の前で、関係ない三人を含めた五人はまだ発声を続けていった。


「やきそばゆきりでぶちまける!?」

「こらっ! マジメにやれっ!」

「すいませーん」


 誰が考えたのかわからない謎の文言に噴き出しかけた号田に、ツキカゲ棒が容赦なく襲い掛かる。

 脱力してもやむなし、なんて思う華恋の隣で、祐午だけが至極マジメな顔で声を上げていた。

 マジメどころか、瞳をいつも以上にキラッキラと輝かせて、イケメンオーラの放出を最大限まであげているようだ。


 その後も散々大声を出して、華恋とよう子は息を切らせている。

 祐午と礼音は平気そうで、号田は途中から可愛い生徒を心配するフリをして、まんまと離脱して良彦のそばに隠れている。

 長く続いた発声練習はとうとう終わり。

 鬼顧問はツキカゲ棒を振った挙句、最後はくるくるとまわしてパシンと脇に挟んだ。


「ではここからは、舞台を想定して動きながらやっていくぞ!」

 辻出教諭の嬉々とした声が響く。


 華恋はひとり、息をのんでいる。


 とうとうこの時が来てしまった、と。


 来るのはわかってはいたが、本当に自分が舞台に立って祐午と二人芝居するという現実を、華恋は実のところ、ほぼ一〇〇パーセントくらい受け止め切れていない。

 大声で復唱していればいいだけの発声や、ギリギリくらいついていけばいいだけのランニングをやっている間は気が楽だった。


 ビニールテープでマークされた立ち位置にスタンバイして、新人女優は緊張のあまり台本をぎゅうっと握り締め、顔をしかめている。


「ビューティ、リラックス、リラックス」


 カッチカチの顔を動かすと、もうひとつの立ち位置に、スラリと長い影が見えた。

 祐午はこれ以上なく優しげ、かつ頼もしい自信に満ちた笑みを浮かべていて、華恋はこの場に部長がいなくて良かったな、なんて考えてしまう。


「ミメイ、顔がヤバいぞ!」

「うるせーよっ!」

 

 すかさずかかったヤジを、華恋は素早く打ち返す。

 反射的に出てしまった乱暴な返事に、号田はぷりぷりしているようだ。


 そういえば。

 どうして、こんな展開になってしまったのか。

 華恋は記憶を探って、ここまでの道のりを思い出していく。

 そう、藤田良彦、因縁のご近所でお隣の席の究極無礼者の勝手な思いつきのせいだ。


 この中学校に来て、二ヶ月。

 たった二ヶ月というのが疑わしいほど、随分な環境の変化だった。


 考えながら、華恋は大きく息を吐いていく。

 今更あのツキカゲ棒から逃れる術はない。

 できません、なんて弱音が認められるかは怪しいが、自分が逃げ出せば祐午も辻出教諭も、桐絵もみんな悲しむだろうと思える。

 あの部長なら、夜な夜な森に出かけては、華恋の似顔絵入りわら人形に五寸釘を打ち始めるかもしれない。


 そんな呪いにはかかりたくない。

 人生を変える新しい挑戦の為にも、ここで腹を決めなくてはならなかった。


 心を鎮めて、華恋は目を開いた。

 少し離れたところに立つ祐午と、視線がぶつかる。

 イケメンがにっこり微笑んで、華恋も大きく、力強く頷いてみせた。


 ほんの一〇分のお芝居なのだから。

 ちゃんと、マジメにやろう。

 みんなのために。自分のために。

 台本を開いて、華恋はまだうろ覚えだったせりふを確認し、鼻から大きく息をフンと出した。




 こんな生活が一週間続いて、毎日へとへとになって帰宅する日々。


「華恋ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫です。まったく大丈夫です」


 役柄の口調が半端にうつってしまって、家族からやたらと心配されている。

 一方余裕の良彦は、華恋に起きた珍現象を面白がっているらしい。

「もうあと三日かあ。楽しみだよな!」

 無責任な笑顔を浮かべる良彦の声はまだガラガラしている。

「まだ治りませんの、その声」

「まだだぜ!」


 華恋の口調がおかしいのか、良彦は苦しそうな声でケラケラ笑っている。

 それに、父・修がはっと気がついたように言った。


「よっしー君、もしかして変声期じゃなんじゃないか?」

「変声期?」

 優季が大きな目を丸くして、その弟も同じように目を丸くすると嬉しそうにぴょんと跳ねた。

「マージーで!?」

「いや、わからないよ。だけどただの風邪にしては長いかなと思って」

「やった! これで俺も大人になっちゃうんだな! スネとかワキとかボーボーになっちゃうんだな!」


 正子がイヤそうに顔をしかめている。

 夢見る乙女にとっての「大人の男」は、素敵なスーツの着こなしとかレディをさりげなくエスコートできるとか、バーで一杯おごってくれるなどのエッセンスでできていて、スネ毛とかワキ毛とか胸毛とか……、とにかく毛ではない。

 優季も複雑な表情を浮かべて黙ってしまい、華恋も同様にこいつの足がモジャモジャとかどうなんだという心持になっている。


 そんな女子たちにはおかまいなしに、良彦は嬉しそうな顔ではしゃいでいた。

 そんな弟に聞こえないように、姉がそっと呟く。


「ねえ華恋ちゃん、よしくん、今月誕生日なんだ」

「ああ」


 華恋は少し前に本人から、十二月が誕生日だと聞いていた。


「何日なの?」

「二十五日だよ」


 そいつはお似合いだ、と華恋はしみじみ思った。

 なんだかやけにめでたくて、良彦の誕生日として説得力のある日付だ。


「でね、ケーキを作ってあげたいんだけど、手伝ってもらってもいいかな? この時期って普通の誕生日ケーキ、あんまり売ってなくって」

「もちろんいいよ。お母さんにも言っておくね」

「ありがとう」


 にっこり笑った優季の顔は、弟と本当によく似ていた。

 男子の第二次性徴がガンガン進んだら、いつか違う印象になってしまうのだろうか。

 華恋は、疲れた頭で考える。


 演劇部の変態副顧問先生が悲しむかな。

 愛しのスピリットちゃんが巨大化したり、無駄な毛でボーボーになったらイヤだろう。

 もしそうなったら、お次の美少年を探し始めてしまうのか。

 あのモグリがそこまでのド変態か、それとも藤田だけが特別なのか……。



「おい、ミメイ。大丈夫か? ボーっとしちゃって。お疲れなんだろ、やっぱ、まりこ先生すげえよな」

「ええ、はい。すごいんです本当に」

「重症だな。役と一体化しすぎだ、お前。あったかくして早く寝ろよ?」

「はい、ありがとうございます。そういたします」

「誰か! この中にお医者様はいらっしゃいませんか!?」


 やり取りを聞いていた母が温かいココアを持ってきて、娘に渡す。

 おかげでほっと一息ついて、華恋は苦笑いを浮かべた。


「確かになんかひきずられてるかも」

「あれだけシゴかれりゃ仕方ないだろ。ユーゴもめちゃめちゃ燃えてるもんなあ」


 辻出教諭が張り切ると、祐午にも火がついてしまう。

 ボーボーと燃え上がる二人が飛ばす火の粉は、すべて華恋の上に降りそそぐ。

 それに耐えるには、同じ炎にならなければいけない。

 同じ色の情熱を持って臨むしかないと、華恋は歯を食いしばっている。


「二人とも楽しそうだもん。わたしも頑張るよ」

 華恋がそう答えると、良彦はニカっと笑った。

「お前、ホントいい奴だな!」


 ソファの脇に置いた自分の鞄に駆け寄ると、少年はなにかを取り出して頑張りやのクラスメイトの手にホイと渡した。


「なあに、これ」

「リップクリームだよ。ちゃんと唇のケアしとけよ」

 可愛い笑顔が、パチンとウインクを飛ばしてくる。

「女優なんだから」


 それにふっと笑うと、華恋は良彦にサンキュー、と小さくお礼を言った。

 

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