53 憧れの人 1
ベリー・ペリー・モール。
レストラン、ゲームセンター、映画館、ショッピングセンターなど、ここにくればなんでもあるのが売りのこの辺りでは一番大きい複合商業施設で、日曜日は特に多くの人でにぎわう場所だ。
良彦と華恋がたどり着いたのは一階中央にある吹き抜けの広場で、毎週なんらかのイベントが開催されるスペースだった。
このあと三時から、カリスマメイクアップアーティスト、ダイアン・ジョーによる公開メイクアップ講座が開かれると書かれた巨大な看板が置かれ、気の早い若い女性たちが集まってスイーツ片手に既にウキウキしている。
「あと一時間一〇分か! どうしようミメイ。ジョーが来るぞ、ジョーが来るぞー!」
周囲の女性たちよりもずっと浮かれた良彦に、華恋はやれやれと肩をすくめた。
「まだだいぶあるじゃん。お茶でも飲んでようよ」
「そうか。そうだな。落ち着かないと。ジョーのテクニックを見落としたらいけないもんな」
一人で勝手にうんうん頷いて、良彦はにこにこ笑った。
二人は目についたすぐそばのカフェに並んで、コーヒーなんかを飲んでみる。
初めての「男子と二人でお出かけ」なのに、これってもしかしてデート? みたいな浮かれ要素は皆無だった。
興奮した子犬の散歩とか、アホな弟に付き合う姉のような気分で、ムードもへったくれもない。
「自分がメイクしてもらえばいいんじゃない?」
「なに言ってんだ。それじゃテクニックが見られないだろ!」
「でもそんなに好きなんだから、記念になるんじゃない?」
「ああ、そうか。なるほど。いやでも、やっぱ間近で見たいんだよ。見たいじゃんか」
まず最初に否定しないのは、ジョーへの愛が強いのか、それとも良彦の柔軟さ故なのか。
家を出る前にも、わざわざよう子を呼んで服をコーディネートさせ、風呂に入れシャンプーしていけ、ゴーさんを呼んでスタイリングさせようと大騒ぎだった。
最初はやかましいと怒っていたけれど、何回注意されてもまったく改まらない浮かれように最後はもうほほえましいくらいの気持ちにさせられている。
カフェの外側に配置された椅子に座った二人には、イベント用の特設ステージがよく見えた。
椅子がずらっと並べられていて、半端な前の方の列には、イベントにやってきたであろう女性たちが座り始めている。
「そろそろ行こう。一番前の席を取らないと」
「気が早いねえ」
「やらないで後悔したくないんだよ!」
まだ全部空いている一番前の列めがけて走る小型犬を、華恋は後ろからゆっくりと追いかけていった。
メイクアップ講座の一番前の席に座る男子中学生って、結構レアな光景だよな、と華恋は考えている。
時刻は既に三時を過ぎていて、大勢の観客が見つめるステージの中央で緊張して座っている真っ最中だ。
右隣には、同じく幸運にも選ばれたもう一人のメイクされる当選者がいる。こちらはファン層としては妥当であろう二〇代のOL風の女性だった。
「それでは皆さん、お待たせしました。ダイアン・ジョーの登場でーす!」
明るくハッキハキの声の女性司会者の声が響き、会場は拍手で包まれた。
他の人の二倍の速さで猛烈に手を打つ良彦の左側から、とうとう本日の主役であるジョーが片手をあげたポーズでやってくる。
「皆さん、こんにちは。ダイアン・ジョーです。本日はようこそ、僕のメイクアップ講座へいらっしゃいました」
華恋の左斜め前に、ジョーの後姿があった。
公式サイトに載っていた写真と同じく、帽子をかぶって、サングラスをしている。
声はちょっと高めで、ハキハキとした口調で今日やるメイクのポイント、主にこの冬のトレンドについて語り始めて、良彦は瞳を輝かせながらメモしているようだ。
「本日モデルになってくれるお二人。まずは、美女井華恋ちゃん」
紹介されて、華恋はちょこんと頭をさげた。ジョーは口元に笑みを湛えながら質問をしてくる。
「何歳かな?」
「十三歳です」
緊張しながら簡単に答えると、ジョーは背が高いんだね、とか、若いから肌がきれいだとか軽快なトークを繰り広げていった。
それになんとなく、はいとかええとか、ちょこちょこ頷いていく。
隣の女性はさすがに大人だからなのか、ジョーのトークに軽く乗っかって、それほど面白くもない漫才的なやりとりをしていった。
そんな紹介タイムが終わると、さっそくメイクアップ講座が始まった。
まずは華恋からと、視線が一斉に向けられる。
吹き抜けの上の方にもたくさんの人がいて、ステージに注目しているとようやく気が付いて、華恋は思わず顔を強張らせてしまう。
そんな少女に、ジョーは優しく微笑んでサングラスを外した。
「大丈夫、リラックスして」
サングラスを外したジョーの顔は、明らかにいいひとそうな優しさに満ちていた。
近寄りがたいオーラを生んでいたのは黒いメガネだったらしく、細められた目の素朴さに、華恋はほっと息を吐いている。
「そうそう。力が入ってたら、うまくいかないよ」
この冬オススメの、キラキラのラメ入りのファンデーションを使います、なんて説明を入れながらジョーはメイクを始めた。
色の選び方や、どこのメーカーのなんてアイテムが注目だよと、しゃべり続けながら手を動かしている。
時々こんな仕上がりです、とオーディエンスに華恋の顔の途中経過が披露されて、そのたびに良彦のやたらと感心した表情が目に入った。
「次はこちら」
新しいアイテムが出るたびに、ジョーは細かくその良さや使い方を説明していく。
わかりやすいキャッチフレーズを多様したトークは耳にすいすいと入ってくるようで、良彦のペンもリズミカルに走り続けている。
目をキラキラ、口元に笑みを浮かべている良彦の様子に、こんなこっぱずかしい勝手な応募も受け入れてあげて良かったんだな、と華恋は思った。
そう思った瞬間、客の後ろの方に立っているよく知っている顔に気がついた。
顔に力が入ってしまったからか、ジョーの手が止まる。
「どうしたの? 大丈夫かな?」
「あ、いえ。すいません、大丈夫」
華恋は慌てて顔から力を抜いた。しかし気づいてしまった以上、そちらが気になる。
なんでこの組み合わせなんだろう。
号田と礼音。
女性だらけの客の後方で、ニヤニヤ笑う変態講師と大真面目な顔の副部長が並んで立っていた。
「はい、これで完成です!」
ジョーが笑顔で宣言すると、会場は大きな拍手に包まれた。
最前列のど真ん中では良彦が写真をこれでもかというくらいパシャパシャ撮っている。
なにやってんだとツッコみたくなるのをこらえて、華恋はアシスタントの女性から渡された鏡を受け取り、覗き込んだ。
「わあ」
ジョーが優し気な声で問いかける。
「どうかな?」
「ステキです」
華恋が答えると、また大きな拍手が起きた。
今日もちゃんと変身していた。
最新のプロのメイクに彩られた別人のような顔。瞳はキラキラで、頬が妙に赤い。
確かに、新しくて、美しい。
だけど、これは自分に合っていない。
……藤田のメイクの方がすごいや。
華恋は満足気に笑顔を浮かべると、目の前に座っている可愛くて憎たらしいクラスメイトにそうテレパシーを送った。