52 はみ出せ青春! 3
後片付けを終え、ホームルームに軽く遅刻してクラス全員でお疲れ様と微笑んで、華恋は帰宅した。
もちろん、隣の席のアイツも一緒に。
十二月を目前に控えて、夕方の空はもう真っ暗だった。
二人でわいわい初めての中学校の文化祭について話しながら歩けば、あっという間に家にたどり着く。
「今日は面白かった! おねーちゃん、よっしーありがとう!」
美女井家の玄関では正子が満面の笑顔で待っていて、今日撮影したプリンセスマーサの写真がもうリビングに飾られている。
「マーサもはやく中学生になりたいなあ」
今日の体験から、小学生らしい可愛らしい希望で胸がいっぱいになったのか。
姉はそう思ったが、違っているとすぐにわかった。
「あんなカッコイイ同級生がいっぱいいるなんてどうしよう、みんなマーサを取り合って毎日大喧嘩だよね。やめて、私のためにケンカしないでって言ったら、みんなやめてくれるかな?」
「そんなにイケメンばっかりじゃないし、取り合って大喧嘩なんかしないよ」
姉の冷めた一言に、妹は不敵に笑った。
「それはおねーちゃんがお姫様じゃないからだよね」
「相変わらずだな、マーサちゃんは。HT忘れたらモテないよ? それに、ねーちゃんだってすごいって言ったのに」
「なにがすごいの?」
良彦がなにかを取り出そうとしているのを、華恋は反射的に押さえた。
「それなあに? よっしー見せてよ」
「あとでねーちゃんに頼んでみたら?」
正子はブーブー文句を言っているが、結局、恐らく最後に全員で撮った写真であろうものは見せてもらえずに終わった。
「やっぱり、学校って楽しいよね」
夕食が始まると、優季がこう呟いた。
「私も来年から復学できるように、頑張るよ」
可愛い顔に浮かんだ微笑の力で、食卓には優しい空気が溢れていく。
「来年から?」
「来年度から、四月からね。三学期だけいっても出席日数は足りないし、勉強も絶対ついていけないから。春目指して頑張るよ。とりあえず、一人で学校行けるようになるのを目標にして」
「うん」
姉弟の会話に、美女井家両親はうんうんと頷いている。
優季の病気は回復傾向にあり、リハビリの効果も少しずつ出ているらしい。
今日だって、車椅子は使わずにやってきた。
楽しい文化祭の後には、楽しい夕食。
いつもよりも明るいムードで時が流れて、いつものように藤田ブラザーズが帰宅していく。
「ミメイ、明日、一時に出発するからな!」
良彦はまた、はちきれんばかりの笑顔だ。
明日はとうとうダイアン・ジョーに会える日で、彼の特集が組まれた雑誌にサインをしてもらってくれとしつこく頼まれていた。
「わかってるよ」
「じゃーまた明日!」
食卓の片づけを手伝い、風呂に入って、母の入れてくれたココアをすする。
座った位置からは、澄ましたプリンセスマーサの写真がちょうど正面に見えた。
隣で座ってコーヒーを飲んでいた父が長女が何を見ているかに気がついて、声をかけてくる。
「可愛いな」
「……そうだね」
ちょっと低めの小さい返事に、修はふっと笑う。
「今日見た華恋の写真の方がすごかったぞ」
「そうかな」
華恋はなに言ってんの、くらいの表情を浮かべて、ふうとため息をついている。
「元が良くないから、すごく変わったなっていう錯覚を起こしてるだけなんじゃないの?」
「そんなことないよ。本当に、とても可愛かった。あんな楽しい部活に参加して、あんなに可愛い衣装着てるなんて、そこが可愛い」
「なにそれ」
へたくそな褒め言葉に、背中がむずむずしてしまう。
父と同じ顔をしかめて華恋が肩をすくめると、修は首を横にブンブン振って答えた。
「なにを考えて、どうしたいと思ってるのか、全然わからなかったから。ずっと不安だったんだ」
華恋は視線を父の方に向けて、しばらく顔をじっと見つめた。
自分とよく似た父の顔。
優しげな微笑に、ちょっと照れて今度は目をさっと逸らした。
「明日、よっしー君とでかけるんだろう? 楽しみだな」
「別に。頼まれただけだし」
「それでも友達と出かけるなんていいじゃないか。楽しんでおいで」
娘の肩をポンポンと叩いて、修はカップを持って立ち上がった。
楽しめるかな。カリスマメイクアップアーティストに顔面を改造されるというのに。しかも人前で。
そんなことを考えながら、華恋は自分の部屋に戻った。
机の上には、写真が乗っている。
今日の変身を撮ったものだ。一人のものと、全員で映っているものの二枚。
黒いスーツにちょっと鋭い角度の伊達メガネをした華恋。
クリスマスガール同様、本人の印象はかけらも残っていない変貌振りだ。
確かにこれは正子には無理で、違う土俵で戦うってこういうことかな、なんて気がしてくる。
もう一枚、全員で映っている写真を見ると、まずはロリータに扮しているよう子が目に入った。
格好のせいもあるだろうが、やはり目立つ。
愛らしいフリフリの衣装がなんの問題もなく似合っていて、白いヘッドドレスも長いレースの靴下もすべてが決まっていた。
隣で幽霊のように固い表情で立っている部長も、雰囲気をのぞけば結構な美しさだった。
働きすぎて最後はお疲れだったようだが、いつもと違う体験をできたと微笑んでいたのを思い出す。
ああ、この人もキレイだなと、素直に思った。
父と母は華恋の写真を見て泣いていた。
あんなに喜んでもらえるなんて。
今まできっと、自分の名前と容姿のアンバランスさに気がついたあの日から、ずっと心配をかけていただろうと思う。
ここにきて、なんだか愉快な仲間ができて、楽しい学校生活を送るようになっていた。
ただ可愛く変身した姿に喜んだだけではなく、楽しそうに過ごしている自分を見て安心したんだろう。
今日の両親の涙の意味を、華恋はそう理解していた。しかし。
違う土俵とか、自分に合った戦場とか、視覚効果とか。
変身して、違う自分に。いや、真の「美女井華恋」に。
心の中が、楽しさとモヤモヤでごっちゃになっていた。
確かに変身するのは楽しい。演劇部の面々も皆ユニークだし面白い人間ばかりだ。辻出教諭の訓練は厳しくて大変だが、今まで考えてもみなかった経験をしていて、それは貴重な時間だと思える。
だけどなんだかんだ、家に帰れば元通りの自分だ。
顔と名前がアンバランスな、四角い十三歳。
勉学に励むとか言ってる割に、そうできるわけでもない平均レベルの女子中学生。
たまにどうしても、そんな風に考えてしまう。
ふう、とため息をつくと、写真がほんの少しだけ動いた。
しばらく二枚の写真をじっと見つめて、華恋は机の引き出しから箱を取り出した。
以前いた中学から転校する時に、クラスメイトたちから送られたものだ。
中身は写真立てで、ちょうどL判の写真が二枚入れられるつくりになっている。
箱には小さなメッセージカードがついていて、クラスメイト全員からの一言が書かれていた。
ほとんど話したことのない面々は、なにを思ってこのメッセージを書いたんだろう。
離れても、友達だよ
丸い文字の誰かのメッセージに、華恋はふっと笑った。
散々悩んだ挙句生み出した必殺技、「無の境地」。
友達ができないという重大な副作用を持つ、自ら編み出した奥義。
転校初日に、一人の男によって封印されてしまった。
奥義が使えなくなってから進んだ新しい道。
小さなことで悩んでいても仕方ない。そんなのは笑い飛ばしたらいい。今はそれを、なんとかしてくれる仲間がいる。一緒になって笑い飛ばしてくれる仲間がいる。
それでいいじゃん。
並んで映る仲間の姿をひとりひとり、確認していく。
個性的で、小さなことは気にしない、天才気質のイケてる変人集団。
みんな私の友達だ。
机の上、左隅のよく見える位置に写真を飾ると、華恋は部屋を出て歯を磨いた。
明日はきっと、また新しいことがある。
そう考えて、ヘトヘトの十三歳は微笑みながら眠りについた。