05 姉ちゃんを励まして 1
「ミメイ、おっはよー!」
家を出た瞬間、明るい声が辺りに響き渡った。
もちろん、昨日頬を殴ってしまったクラスメイトのもので間違いない。
子犬系の男子中学生はご機嫌な笑顔で横断歩道を渡ってくると、当然のように華恋の隣を歩きだしている。
「昨日はごめんなあ。いくらお前でも、さすがに気を悪くするよな」
「気を使って言ってるんだとしたら、今の発言もないんじゃないの?」
「どこが?」
まんまとこきおろす言葉が入ってるじゃねーか、と考えながら、華恋はまた早足で学校へ歩いた。
しかし、早足程度で同じ学校へ行くクラスの仲間を撒けるはずもない。
「なあ、モデルの話なんだけどさ、ダメかな? お前は変身のさせがいがありそうで、ぜひとも頼みたいんだけど」
「まーたそんな風に人を悪く言う!」
道の途中で足を止めて、華恋は怒った。
「あんたのその口の悪さ、直したほうがいいと思うけど!」
「なんだよ、お前だって悪いじゃねえか」
キョトンとした顔で返されて、こりゃダメだな、と少女は諦めて再び通学路を歩き始める。
昼休みに担任の風巻に呼ばれて、華恋はどの部活に参加したいか質問された。
この学校では必ずいずれかの部活動に参加しなくてはならないと、昨日良彦にされた話をまた聞かされる。
前の学校では、文芸部に所属していた。
みんな好き勝手に読書していればいいだけのクラブで、華恋はここぞとばかりに幽霊部員として活躍したものだった。
今回もそんなにやる気のない、ちょうどよく時間を潰せる部活があればいい。
そんな風に考えていたが、残念ながらそうはいかなかった。
放課後、まず体育会系のものは無理そうだと伝えると、風巻教諭は嬉しそうに文化系のクラブをいちいち訪問しに連れて行ってくれた。
どのクラブもみんな溌剌と活動していて、幽霊部員になったらすぐに「どうやって美女井さんを参加させるか」なんて話し合われそうな雰囲気だ。
PC研究会は少しダラダラとしていたが、男子生徒しかいない。
漫画研究会は逆に女子しかいなかったが、部屋の隅に詰まれた段ボールの全てに「無断開封厳禁!」と書かれていて、妙に禍々しいオーラを感じてしまう。
「どうだろう、興味のあるところはあったかな?」
「いえ……、あの、もうちょっと考えてもいいですか?」
「もちろん、美女井の好きなところでいいぞ」
いつまでに決めたらいいのか質問すると、来週の末くらいまでには、と返答があった。
体育系の部活に、大会などを目指さないマイナースポーツみたいなものはないだろうかと考えたが、どのクラブの案内もそう感じさせる要素はなかった。
どこも部員の数は一定数以上いて、遠征の予定がどうのこうのと忙しそうだ。
華恋はため息をひとつつくと、とりあえず今日はもういいやと考えて家路に着いた。
「よー、ミメイ! 明日ヒマか?」
次の日の朝も、良彦の全開の笑顔でスタートしていた。
家から出た途端可愛い顔が目の前に現れて、焦ってしまう。
「ちょっと……おねーちゃん、誰?」
一緒に家を出ようとした妹から、鋭い声がかかる。
「クラスのやつだよ」
「どういう仲なの?」
小学校五年生で、華恋より二歳年下の妹の声は厳しい。
咎めるような視線で、姉と新キャラを順番に見ている。
「クラスのやつだって言ってるじゃん。藤田、さっさと行くよ!」
いつもの早足で歩いていくと、良彦もスピードを合わせて、華恋の隣に並んだ。
「さっきのってお前の妹?」
「そうだけど」
「全然似てねーんだな。あの子はビジョイで大丈夫な顔だ。ミメイはなんだ、親父似? お袋似?」
失礼丸出しの質問に怒った顔を向けるだけの返事をして、通学路をズンズン進んでいく。
妹は母に似て、美人だった。
華恋にとって母と妹と三人で並ぶのはほぼ拷問に等しい。
妹や母を見た人間の反応は、ホントに親子? ホントに姉妹? なんて失礼な質問を散々飛ばしてくるのがこれまでのスタンダードだったが、良彦はそうではなかったようだ。
「まあいいや、明日ヒマ? どうせなんの用もないんだろ。一緒に行ってほしいところがあるんだけど」
「なんでヒマって決め付けてんの?」
「ヒマじゃないのか?」
まだ新生活始めたてホヤホヤの華恋に、予定はない。
「俺の姉ちゃんが入院中でさ、一緒にお見舞いに行ってくれないかな」
「え?」
思ってもみない話に、華恋の歩く速度が落ちていく。
「お姉さんが入院してるの?」
「うん。明日はちょっと、久しぶりに行くんだ。だから、一緒に行ってくれない?」
「なんで私が……」
まだ会って四日目の転校生、たまたま隣の席になっただけでまだトモダチと言えるかどうかわからない程度の間柄のひねくれ女子中学生に、家族のお見舞いの同行を頼む理由がわからない。
「姉ちゃんは今ちょっと、友達が来たりするのがイヤなんだ。会いたくないからさ。だけど、同じような年代の女子と話したらやっぱり楽しいと思うんだよね。だったら、あんまり知らない間柄くらいならちょうどいいかと思って」
そんな話をしているうちに、学校についてしまった。
そして席についても、良彦の話はまだ続いている。
「今は、オシャレとか可愛い感じとか、そういう話題は姉ちゃんはNGなんだ。質実剛健って感じのお前だったら、少しは安心して話せるかなって思うんだよ」
「なんでNGなの?」
「薬の副作用で、ちょっと見た目がね。変わっちゃってるんだ」
「そんな……」
そんな苦しい思いをしている人のところに自分が行って、楽しい気持ちにさせることができるのか。
華恋は真剣に考えたが、愉快なトークができる自信はまったくない。
「無理じゃない? 私が一緒に行っても、楽しくないと思うけど」
「いやいや、お前じゃないと無理なんだって。マジで頼むよ。な、お願い! 隣の席だし、近所のよしみで頼むよ! もうホントに、一生のお願い!」
散々コケにされ続けているだけの間柄なんだけどな。
そんな風に考えたが、いきなり真剣に頼んでくる姿が心に引っかかってしまって、華恋は応じようと決めた。どうせ、予定だってない。
「わかった。いいよ」
「本当か? ミメイ~、お前、やっぱりいいやつだな! あれだな、世の中の常識の基礎部分がしっかりしてるんだ。貴重な人材だぜ、こんな世知辛い世の中でさ、女子中学生がよく知らない病人のお見舞いを受け入れてくれるなんて」
ほめられたんだかなんだかわからないが、大きな声で言われるのは恥ずかしい。
周りのクラスメイトがザワザワし始めて、華恋は良彦に声を小さくするように頼んだ。
「土曜日の面会は、午前からOKなんだけど。……それじゃ早いから、二時くらいでいいかな?」
「病院ってどこなの?」
「篤浦大学病院だよ。ここからだと、歩いて二十分くらいなんだ」
家の前の大きな道路で、確かそんな名前の病院行きのバスを見たような。
そんな気がして、華恋はこくこくと頷いた。
「わかった。いいよ。お姉さんって何歳?」
「十七。高校生なんだけど、今は休学中」
「そう……」
十七歳の女子高校生が病気で落ち込んでいて、見た目が変わる副作用に苦しんでいるなんて、想像するとだいぶかわいそうな気がする。華恋はそう考えて、隣に座る良彦に目を向けた。
「あ、食べ物と花は持って行っちゃダメなんだ。だから、手ぶらでいいよ」
悲劇の姉を持つ男子中学生は、いつも通りのニカっとした明るい笑顔を浮かべている。
「ダメなんだ」
「大部屋だから」
食事制限の必要な患者やアレルギーを持った患者が同じ部屋にいたらいけないので、食べ物や花は持ち込み禁止なのだと説明がされていく。
「お姉さん、なんて名前なの? なんて呼んだらいいのかな」
「名前はユウキだよ。優しいに、季節の季。ゆうちゃんとかでいいと思うけど」
「わかった」
趣味はなにかと尋ねると、本当はオシャレなんだけどね、と少しだけ寂しい声が返ってくる。
じゃあどんな話題をふったらいいのだろうかと、華恋は授業の間中ずっと考えていたが、いいアイディアは浮かばなかった。