36 目覚めの刻 2
「ねえねえ、美女井さん。なんか髪が先週と違わない?」
朝の教室で、華恋は女子生徒に囲まれていた。皆、興味津々の目が爛々だ。
「あー、なんか、トリートメントってやつをやった」
「そうなのー? すっごいサラサラだよー」
「ツヤツヤー!」
周囲は大騒ぎな上、揃って勝手に髪に触れてくる。
こんな経験は初めてで、華恋はそわそわ落ち着かない。
「どこの美容院でやったの?」
確かハザマなんとかという名前の女子が、目をキラキラさせて質問してくる。
華恋はどう答えたものか考える。
もう号田は教師として赴任してきているので、GOD・Aで合言葉を言うと出てくるなんて、問題になるかもしれない。
学校の先生にタダでやってもらったなんて話もマズい。
困った挙句隣に視線を向けると、良彦が目を丸くした。丸くしたが、助け舟を出してくれた。
「おうちトリートメントだよ。知り合いの床屋さんがくれたやつでやったんだぜ」
その言葉に、女子たちのザワザワは更に大きくなっていく。
「えー、なになに!? 藤田君はなんでそんなこと知ってるのー?」
「やっぱり付き合ってるんじゃなーい?」
キャッキャと騒ぐ十二歳と十三歳の女子軍団に対して、良彦はふうと息をつき、肩をすくめてみせる。
「俺はね、ミメイのお父さんにお世話になってんのよ。だから恩返しにちょっと針金ヘアーを改造する手伝いをしただけ」
お父さんにお世話になっているという説明では疑惑を完全に払拭するのは無理だったようで、一部の女子は更にヒートアップしていった。
「お父さんってなにー?」
「もう家族ぐるみの付き合いなのー?」
ギャアギャアと騒ぐクラスメイトたちの声を聞きながら、まあ、家族ぐるみのつきあいだわな、なんて華恋は考える。
その冷めた表情から、どうやらセンセーショナルな話題には発展しないらしいようだと見切りをつけた女子軍団のボス、間美羽は、新しい話題を投下して盛り上がることを決めた。
「そういえば三年の英語の新しい講師の先生、見た?」
「かっこいいよねー!」
朝の朝礼で新しくやってきたイケメン講師が紹介され、本日学校中の女子の噂の的になっているが、その正体はとんでもない変態だ。
重大な秘密を知っている二人は、笑いをこらえるのに必死になっている。
「一年生の授業もやって欲しいよねえ」
「ホントホントー!」
朝礼台に登った号田は、七三に伊達眼鏡のフレームをキラリと輝かせて、「趣味はアウトドアです!」などととんでもない詐欺発言をしていた。
「アウトドアだったら、なにか部活の顧問とかしないかなあ」
「えー、アウトドア部なんかあったっけ?」
ひたすらワイワイ騒いでいる女子たちの言葉の合間に、華恋の呟きがスルリと入り込んだ。
「演劇部の副顧問だよ」
とたんになぜか、すべての騒音が収まってしまった。
あまりにもピタっとやんでしまった女子たちの様子に驚いて、華恋はクラスメイトたちの顔をキョロキョロと見回してしまう。
「あれ、なにかおかしなこと言ったかな?」
「え……、別に、そんなことないよね」
「うん。そっかそっか、演劇部なんだあ」
白々しい空気が流れていく。
しばらく沈黙が続き、やたらと気まずい雰囲気になった教室に救いのチャイムが響いた。
「演劇部ってどんだけ色物扱いなの?」
隣の良彦に向けて、華恋はひそひそと質問を飛ばす。
「知らないよ。俺が入った頃にはもう既に色物だったんだから」
色物に色物呼ばわりされる部活に入って、馴染む自分もまた色物か。
そんなことを考えて、華恋はふっと笑うと次の社会の授業の教科書を机から取り出した。
「ちょっとユーゴ、これ、着てみてちょうだい」
放課後の演劇部の部室で、よう子は笑顔を浮かべている。
「例の舞台用の、もうできたんですか?」
「いいえ違うわ。文化祭の案内用よ。昨日お兄様の服をちょっとリメイクしてみたの」
どうやら布地はまだ手に入っていないらしい。
でも華恋は気になって、その会話に加わっていった。
「リメイク?」
「ええ。冴えない普通の服に一工夫して、新しく生まれ変わらせるのよ。舞台の上で使うものではないから、あんまりド派手にしないようにと思ってね」
なるほど。至近距離から見るのと、舞台上で見るのとでは造りも違うのだろう。
どんな衣装なのか完全に見えなかったが、シンプルなジャケットとパンツに改造が施されているようだ。
礼音の席の近くのついたての陰に隠れて着替え終わると、祐午が姿を現した。
グレーのジャケットにスラックス、中にはオシャレなドレスシャツにループタイをつけている。
「カッコイイ」
「そうでしょう? ユーゴにサイズをあわせて、スマートなシルエットにしたのよ」
さらっと言っているが、普通の服をすぐにそんな風に作りなおせるなんてたいした腕前だなと華恋は大いに感心させられている。
「ユーゴはもとが良いから、あんまりゴテゴテしなくても決まるんだな」
良彦が褒めると、よう子は満足げにふふんと笑った。
「素材を活かすのもコーディネートのうちよ」
よう子が自慢げにくるりと回る。
回転が終わると同時に、ガターンと大きな椅子の倒れる音が部屋中に響いた。
音のした方向では、桐絵が立ち上がって、わなわなと震えている。
「 ウ ォ ー タ ー !!!」
両手を力いっぱい上に伸ばしてそう叫ぶと、立ったまま猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
紙とペンがこすれ合う音をしばし、全員で聞く。
「やった。文学の神、また来たみたいだぜ」
「本当ね。これはかなりの確率でいいのができるわよ」
「本当ですか?」
どうもよう子の断言はいい加減な気がする。
華恋が疑ってかかると、鼻でフンと笑われてしまった。
「桐絵とは長い付き合いなのよ。あれはホンモノ。キテるわよ」
「ウォーターって言うのは……」
「ヘレン・ケラーね」
なんじゃそりゃ以外の感想は、出てきそうにない。
「よーう、諸君! さあ部活を始めよう!」
今度は部室のドアが開いて、噂の七三野郎が笑顔で入ってきた。
伊達眼鏡を外してカッコよく胸ポケットに入れると、肩からかけていたカバンを机に置き、早速中身を取り出している。
「もうとっくに始まってるよ」
「始まりは主役が来てからと相場は決まっている」
中学校の部活動なんだから、主役は生徒のはずだ。
主役たちから向けられた冷ややかな視線を物ともせず、新人講師は取り出したシザーケースを腰に装着して、ニヤリと笑った。
「ビューティの前に、整えてやりたい奴がいるな」
視線の先には着替えを終えた祐午が立っている。
自分が狙われているのだと気がついて、イケメン中学生は眉をひそめた。
「お前! せっかくの衣装に合わせた髪型にしてくれる! そこに座れ!」
「よっしー、どうしよう」
「大丈夫だよ、別に、髪型キメてくれるだけだって」
「本当に……?」
どうやら矛先が自分に向くとは思っていなかったようだ。
変態の称号を持つモグリに狙われて、美少年は怯えた様子を見せている。
「なんだお前は。俺の情熱が向けられるのはスピリットだけだぞ! ちょっと顔がいいからって調子に乗るな!」
「どんなんだよ……」
華恋も呆れたが、もう一人、アホな教師を諌める者がいた。
「号田先生、やかましいんですけどっ!」
原稿用紙を撒き散らしながら台本を書いていたはずの桐絵が、冷たい瞳で副顧問を睨んでいる。
「すまん」
迫力に押されたのか、号田は素直に謝り、再び祐午に向き直った。
「かっこよくしてやるから座りなさい」
むしろ今のセリフの方が変態っぽい。
そして次は、そんなことを考えていた華恋に号田の視線が向いた。
「お前もさっさと衣装に着替えるんだな。完璧なクリスマスガールを降臨させてやる!」
その言葉に、良彦とよう子も笑顔を見せている。
そして華恋はこう思った。
楽しい部活じゃないか。
口の端に笑みを浮かべて立ち上がると、少女は礼音の隣にあるついたてに向かって、歩いた。