32 仲良きことは美しき哉 1
「北島よう子です。お世話になります」
リビングで微笑むよう子に、正子と美奈子の母娘はうっとりした表情を浮かべている。
「おねーちゃんの友達ってどうしてみんなこんなに可愛いの?」
「あなたはビューティの妹さんなのね? あなたもとってもキュートよ」
迫力のある美人の先輩に褒められ、小学五年生の美少女は嬉しそうに目を輝かせている。
「もうすぐよっしー君と優季ちゃんも来るのよ。よう子ちゃんも二人とはお友達なのかしら?」
「ええ、もう一〇年来の友人です」
母と妹がなにごとかと出てくるまで、よう子は美女井家の玄関からリビングまで、置かれたあれこれをチェックしては感動の言葉を振りまいていた。
うってかわって、今は落ち着いたエレガントな様子である。
よう子のいつものイメージはこういう感じで、華恋はソファに座って考えていた。
「こんにちはー!」
玄関から元気な声が響いて、母の美奈子がそれに返事をしながら廊下へ出て行った。
しばらくして、優季の歩行を少し手伝ってやりながら戻ってくる。
やってきた失礼ブラザーズの姉の方は満面の笑顔で、久しぶりの再会を早速喜んでいた。
「よう子ちゃん! ひさしぶり」
「優季、よかった、元気そうね」
「華恋ちゃんのおかげでね~」
退院して以来、優季の調子はすごく良くなった、と良彦は嬉しそうに話していた。
安心して過ごせるのと、美味しい食事のおかげだと、週に一度はなにか手土産のようなものを持参してくる。
「お、ミメイ、お前……! ツルッツルじゃねえか!」
優季の後ろからちょこんとのぞいた顔が、大きな声をあげる。
「あ、ホントだ! どうしたのそれ、ヅラ?」
「違うわ!」
即座につっこまれて、優季はケラケラと嬉しそうに笑った。
「お、いいね。笑って細胞活性化だな、姉ちゃん!」
楽しそうな姉に満足し、良彦は嬉しそうな顔で華恋のすぐ後ろにやってきた。
「さっすがゴーさん。ありえない仕上がりだな」
「そう?」
「そりゃそうだ。その辺の床屋じゃこうはならないぜ。っていうか、なっても多分一日で元に戻る」
「そうなんだ」
「お前の髪、強そうだもんな。ま、それは健康な証拠だろうから、いいんだけど」
年頃の女子相手だというのに、遠慮ゼロで良彦は華恋の髪に触った。
「うーん、サラサラ」
「華恋、なんて店に行ったんだ?」
父の修も、どうやら新鮮な驚きを感じているらしい。
「GOD・Aって店だよ」
「へえ、父さんも行ってみようかな」
父の修は、顔だけではなく髪質も華恋とほぼ同じ。
華恋を構成するDNAは、おそらく父からのものが相当なパーセンテージを占めているのだろう。
「やめときなよ、変な合言葉言わなきゃいけないから」
「なんだって?」
「しかも免許なしのモグリだからさ」
娘の言葉に、父の顔は複雑だ。どう捉えていいかわからない。そんな表情だった。
「まあまあ、今日のお夕食はとってもにぎやかね。七人もいるなんて、とっても楽しそう」
母はのんきに笑顔を浮かべている。
良彦と優季はすっかり慣れた様子でくつろぎ、もともと態度が堂々としているよう子もすっかり馴染んでいる。
正子は素敵な先輩たちの訪問がよっぽど嬉しいのか、気を利かせてお茶を用意して運んでくる。
「私の分はないわけ」
「あ、ごめーん」
「いいよいいよ、KYちゃん」
姉の嫌味に、とたんに正子の顔色が変わる。
「ごめん! もって来る!」
藤田ブラザーズの容赦ない攻撃を受けて以来、正子の態度は少し改まってきていた。
溢れ出る「自分が」を抑えようとしていて、良彦の言ったHT――控えめでつつましく――を実践しようと努力中のようだ。
「KYとかHTとか言ってたのって、ゴーさんの影響?」
華恋の髪のつやをじっくり真上から観察している良彦に、華恋は問いかける。
「ん? あー、そうかもな。ゴーさんやたらとアルファベット二文字にしてくるだろ? お前はなんてつけられたんだ」
「最初はSFだったけど……」
「SF? しかくくて、ふまれたみたいにひらべったいかお、か?」
「長い」
「ふまれたみたいにひらべったい、には怒らないんだな! さすがミメイ、器がでかいぜ」
本当だ。怒らなかった。慣れとはなんと恐ろしいものなのだろう。
号田が結構なテクニシャンで、作業中はかっこいいとわかったがやっぱり変態だったとか、よう子のステディーはひらべったいオープンカーに乗っていたとか、スパイシーな話題にことかかない一日ではあったが、家族の団欒の場で話すのは憚られた。
両親や小学生に聞かせたくない単語であふれているので、髪はサラサラになった、シャンプーは試供品をいっぱいもらってラッキーだった、なんて穏やかな話題で食事を進めていく。
しかし全員の注目は、華恋の髪や話よりもよう子に集まっていた。
見目麗しく上品な美少女……、と思っていたのに、食事が始まるとイメージがぐるんと半回転してしまう。
がつがつ口に詰め込んで、時々こぼして落としてしまう。
これでは千年の恋も冷めてしまわないか、サンダーとの未来を心配せずにはいられない。
「よう子ちゃん、もっとゆっくり食べた方がいいわ」
見かねたのだろう、母がおっとりとした口調で切り出した。
「もわい」
食べながら返事をすると、「はい」は「もわい」になるらしい。
「体にも良くないし、よう子ちゃんはとっても素敵なお嬢さんなのに、そんな風に荒々しい食べ方をしたら台無しになってしまうわ」
心底心配している様子の優しいまなざしに、よう子は手を止め、頬を紅く染めている。
「そうですか」
そう呟くように言って、今度は良彦に目を向ける。
「よっしー、私、いつもどうだった?」
「え? えーと、まあ、そうだな。結構早食いだったかな」
どうやら良彦にも、スーパーダイレクトにものを言わない場合があるらしい。
自分相手だったら、きったねーな、ミメイ! なんてすぐに言いそうなものだけど、なんて華恋は思う。
「そう。気を遣ってくれてたのね、ありがとうよっしー」
ナプキンで口を拭くと、よう子はちょっと弱々しく笑った。
そこからは少し静かに食事は進み、最後に母のお手製スイートポテトが出てきて楽しいひと時は終わりを迎えた。
よう子の家は少し遠いと聞いて、父が車で送ることが決まる。
「ねえビューティ、今日はありがとう。いきなり無理を言ったのに」
「いいですよ。藤田なんか突然勝手に家に上がりこみましたからね」
「まあ、そうだったの?」
ころころとよう子が笑う。しかし、いつもよりパワーが少ないように感じられる。
「よう子ちゃん、また来てちょうだい」
「よう子さん、今度そのオシャレな髪型真似していい?」
美奈子からは優しい言葉を、正子からは無邪気な質問を受けて、よう子はにっこり微笑んで家へと帰って行った。
正子が気を利かせて母のお手伝いを始めたので、リビングで我が家のようにくつろぐ良彦の隣へ移動して、華恋はこう切り出した。
「よう子さん、なんか……、どうかしたのかな」
「よう子さんは他人にビシっと指摘されると、ちょっと弱いんだ」
「弱いって?」
「落ち込みやすいんだよね。多分、しばらく続くぞ」
あの豪快で自信に満ちたよう子が、しばらく落ち込む。
いまひとつ、想像のつかない世界だった。
「じゃああんなこと言わない方がよかったのかな」
「いや、言ってあげた方が本人のためになるだろ。俺からはちょっと言いにくくて黙ってたけど、そうなんだよ、よう子さんの良さが台無しになっちゃうんだよな」
華恋は今日あった出来事を思い出していた。
主に、号田の言ったせりふについて。
弁当、シャンプー、そして、BとPはおそらく同じ意味。
「BGってさ」
良彦は警戒したような顔だ。
それを見たらますます、自分の予想が当たっているような気がしてくる。
「まあいいや」
「おっと」
華恋が口ごもり、良彦は大袈裟にずっこけている。
「察しがついたんだろ、ミメイ」
「うん、まあ」
「じゃあぶっちゃけちゃえよ。スッキリするだろうから」
つまり、良彦はBGがなんの略なのか知っているということだ。
別に意味をどうしても知りたいというわけではない。
だけど、せっかく同じ部活に入って、仲良くなってきたところだ。
理解を深めるために、もう一歩、踏み込んでもいいのかもしれない。
「今日、ゴーさんはもうBGって呼ぶなって言われて、かわりにPGにしようかって言ったんだ」
「PGね」
「BGのBって、もしかして、……貧乏のB?」
つまりPは、「Poor」のP。
「その通り。よくわかったな、ミメイ。やっぱお前は只者じゃないぜ」
良彦はそう言うと、ちょっぴり複雑で寂しげな笑顔を浮かべた。