30 トップブリーダー華恋 2
店の奥に入るとそこは号田家の住居になっていて、ちゃぶ台の置かれた和室には限定スペシャル幕の内とのり弁があわせて三つ、並べられていた。
「うふふ。久しぶりだわ、タイムスペシャル幕の内!」
どうやらのり弁は号田のもののようだ。
見るからに値段の差が大きそうな二種類の弁当のうち、よう子は豪華な方を取って食べ始めている。
「SGも食え」
「いや、なんか悪いからいいよ」
華恋は幕の内をそっと号田の前に押し出して、かわりにのり弁を引き寄せる。
「お前、なんていいヤツなんだ。人は見た目に寄らないんだな!」
「そういうこと言うならまた交換するけど」
華恋の冷たい声に、号田は慌てて幕の内弁当を手前に寄せた。
ちゃぶ台の上には、ペットボトルのお茶も三本並んでいる。
「やっぱり限定スペシャルに限るわ」
「よく食べてるんですか?」
「よっしーと写真撮ってた頃にはね」
よう子は不敵な笑みを浮かべているが、キレイな唇の横にご飯粒が二つついている。
その頃も、二人はスペシャルで号田はのり弁という格差があったのだろうか。
「相変わらずがっつくな、BG」
「だって美味しいんですもの」
確かに「いつもエレガント」風なイメージのよう子なのに、食べるのがやたらと早い。
食べながら話すせいで、たまになにかのかけらが口の外へと飛び出していた。
「美味しいといえば、ビューティ、よっしーはあなたの家にどのくらい来ているの?」
「え?」
「そうだ、早く秘蔵の一枚をくれ!」
「ダメよ、まだお手入れ講座が終わってないでしょ? それが無事に済んでからよ」
「くっそう……、やるなBG!」
ギリギリと歯を鳴らしながらも号田はちゃんと限定スペシャルを食べている。
華恋は二人とは違って、口の中の物を全部飲み込んでから答えた。
「最近じゃ毎日来てますよ。お弁当もなんか知らないけどうちのお母さんが作ってますし」
「まあ!」
「それに、お姉さんも一緒に来てるから」
「優季も来てるのね? それじゃああなたのお母様はよっぽどお料理上手なんだわ」
よう子は箸をブンブン振りながら目を輝かせている。
「そうですかねえ」
「絶対そうよ。よっしーは本当にいいものを見抜く力がすごいの。人間も、技術も、品物も、見た目に惑わされずに本物を必ず見抜くんだから」
「はあ……」
「そしていいものが大好きなの。そうじゃなきゃ、こんなデンジャーなお兄さんと付き合うわけないじゃない? まあ、ゴーちゃんはなんだか一線を越えてきそうでさすがにホラーだったみたいだけど」
他にも、メイク道具にいかにこだわりを持っているのか、あのブログの写真も相当な枚数の中から本当に厳しく選別したものしか載せていなかったとか、良彦にまつわるエトセトラがよう子の口からは語られていく。
「そうなんですかねえ」
「そうよ。だから私も今夜、ビューティのおうちにお呼ばれしてもいいかしら?」
「……はい?」
「私も美女井家のお夕食を頂いてみたいわ」
「ははは、出たな、BG! お前の本性が」
号田の顔に容赦のない平手が飛ぶ。
スパーンという見事な効果音がして、モグリのイケメン理容師がフラーっと倒れていった。
「そろそろ髪のお手入れ講座を始めてもらいましょうか」
「まだ食べてるんですけど……」
どうやら早食いだったらしいよう子の弁当箱はきれいに空になっているが、華恋の弁当箱にはまだ魚のフライやらたくあんやら、ご飯も五〇パーセントほどが残っている。
「あら、ごめんなさいね。少し待つわ」
倒れた時と同じく号田がフラーっと起き上がり、奇妙なメンツのランチタイムは再び進んでいった。
「今日からこのシャンプーを使うんだ」
オシャレなデザインの赤いボトルが、ドーンとちゃぶ台に置かれる。
「硬い髪専用のシャンプーだ。サロン専売のな!」
華恋がボトルを手に取りしげしげと眺めると、値段の書かれたシールがちょこんと貼られているのが見えた。
「たっか!」
普段使っているシャンプーの詰め替え用の、一〇倍はする値段に驚いてしまう。
「ええ、これ、なにが入ってるわけ?」
「シャンプーとリンスだ」
「それはわかってるよ」
こんな高いものを、二本も。
そんな心配を、少女は素直に口に出していく。
「さすがにタダでもらうってわけには……」
「なんてこったSG、BGがつれてきたんだから同類だと思っていたんだが、そうじゃなかったんだな」
「なんなんですか、BGって」
「言えないわ」
何の略なのか、華恋は考える。
よう子の雰囲気からいって、こうだと思っていた単語があったのだが。
「Beautiful Girl、じゃなくて?」
その言葉に、号田が激しく大きな声で笑い出している。
「そんなわけあるか!」
「ちょっとゴーちゃん」
「すまん」
ピタっと笑い声がやみ、号田の顔がマジメなものに戻った。
「あの、このシャンプーの代金はさすがに持ってなくって」
「わかった、SGちょっと待ってろ」
号田は立ち上がると勢いよく部屋から飛び出していった。
今度は少し時間がかかって、五分ほどしてから大きなビニール袋をさげて戻ってきた。
「これを使ってくれ」
スーパーマルプクと書かれたレジ袋には、大量の小さな赤いパックが詰まっていた。
よく見ると、お高いシャンプーのロゴが印刷されている。
「試供品?」
「そうだ。店にあるのを全部持ってきた。これならいいだろう」
「……他の客はいいわけ?」
「いいんだ。スピリットの依頼だしな」
号田のニヤリと笑う顔は、やっぱりなかなかの男前だ。
「藤田君にしっかり報告してくれ」
こういうことを言わなければいいのに。華恋はしみじみと、残念に思った。
その後も細かく、シャンプーの後の乾かし方など、ヘアケアに関する講座が続いた。
メモを取るように言われ、GOD・Aのロゴ入りボールペンで広告の裏に注意点を書いていく。
「どうだ。やれるか?」
「やってみるよ」
メモを取っている間も、髪がさらさらと揺れて頬の横で「どう?」と主張してきていた。
今まで肩のちょっと下辺りでまっすぐ揃えられていた後ろ髪は、少し段が入って軽く仕上がっている。
今までは硬く多く重かった髪が、明らかに軽くなっていた。
今までの床屋のオヤジたちはなぜこうしようと提案してこなかったのだろう。
言わなきゃやってもらえないのか、それともこのモグリにしかできない技術なのか。
「ちゃんとやったらこれ、キープできるの?」
「できるさSG。努力は必ず報われる。どんなことでもな」
たまには教師らしいことも言うんだなと、ちょっとしたことで感心させられてしまう。
普段が悪いと些細なことで最高の善行がなされたように思えるギャップを利用した心証アップテクニックだ。
「来てよかったでしょ? ビューティ」
「……そうですね」
「その髪を見たら、きっとよっしーも喜ぶわよ。ますます変身させる甲斐があるってね。勿論、私もよ」
よう子は艶やかに笑ったが、口の端にソースがついている。
残念なような、可愛らしいようなちょうどいいワンポイントだった。
「BG、秘蔵の写真を」
二人の隣で正座する号田が、そわそわしながら切り出す。
鼻息が妙に荒くて、ああやっぱり変態なんだなと、華恋は改めて警戒を強めていく。
「そうね。はい、これがご褒美よ」
よう子がカバンからノートを取り出す。
その中に挟まれていた写真を手渡されて、変態大型犬は目をカッと開いた。
「なんじゃこりゃあ!」
そう叫んだきり微動だにせず固まっているのが気になって、華恋もその写真をそっとのぞいた。
「うおっ!」
先日の、クリスマスガール。
てへっと可愛らしく顔を斜めにして微笑んでいる、華恋の写真だった。
そりゃ、なんじゃこりゃあ、になるだろうな。
華恋はそう思いながら、澄ました顔で笑っている先輩を見つめた。