03 ヤツの名は藤田良彦 2
「なあ、ミメイ!」
昼休みが始まってすぐに、明るい声がすぐ隣から飛んできた。
もっと小さな声で充分聞こえるというのに。華恋はそう考えながら、良彦に鋭い視線を向けた。
「なに」
「お前さ、モデルやらねえ?」
「あん!?」
朝思う存分キレたおかげで、もう言葉を選ぶ必要はなくなっている。
「まだ私を笑い者にする気か、藤田良彦っ!」
本当は嫌だったイロモノキャラクターへの路線変更をさせられてしまって、華恋の心中は穏やかではない。ムカつきの塊、不機嫌の権化になっている。
「いやだねー! 被害妄想ってやつ?」
良彦の態度はまったく変わらなくて、愛らしい笑顔のまま、嬉しそうにズイっと身を乗り出してくる。
「お前、名前と顔のギャップに悩んでるんだろ? 俺が解決してやるよ。だから協力してくれないかな」
返事のかわりに歯をギリギリと鳴らして、華恋は隣の席の男子をにらみつけた。
可愛い子犬君にはまったく通用しないらしく、良彦はニッコニコでこんなご提案を口にする。
「放課後、俺の家に来てくんないかな。お前の家の道路挟んで向かいのところ、あの並びにあるんだけど」
「……誰が行くかっつーの」
びっくりするほど低い声で華恋が答えると、良彦はようやく笑顔を引っ込め、かわりにふうとため息をついた。
「お前の幸せってさ、きっとその苗字からの解放だろ? そんな調子じゃ一生来ないぜ、その時は」
「はあ?」
「顔もイマイチで口も悪くて被害妄想のスーパーネガティブなんて、恋人にしたくない条件オールスターそろい踏みじゃん。このままじゃ怪しげなブローカーに偽装結婚頼むしかないよ」
「……言葉を選ぶ気はさらさらねーんだな、オマエ」
あまりのストレートさにかえって怒りが鎮まってきて、華恋の声はだいぶ小さくなっている。
そんな少女にまた笑顔を向けて、良彦は机の上に立ち上がると高らかに叫んだ。
「だからさ、変えようぜ、自分を! ユーキャンチェーンジ! ユーキャンチェーンジ!!」
楽しげに繰り返されるキーワードはまたなぜかクラス中に広まっていって、可哀想な転校生は「You Can Change」の大合唱に包まれてしまった。
みんな右手をブンブン上下に振って、誰が音頭を取ったわけでもないのに、いつのまにやら華恋の周りで輪になってグルグルまわっている。
「わかった! わかった!! 行くから全員黙れーっ!!」
華恋が叫び、一瞬の沈黙が訪れた後、再び大爆笑。
一年D組はどこまでも朗らかな空気に包まれていき、愉快な一日が過ぎていった。
放課後になり、良彦は即座に帰り支度を済ませると、転校生の前に立った。
「よっしゃ、行こうぜミメイ!」
「……ホントに行くの?」
「行くって言ったじゃないか。一回帰ってもいいぜ? 制服汚したら困るもんな」
その言葉に、華恋はまた眉間の皺を深くしている。
「制服が汚れるようなことすんの?」
「汚れないようにはするよ。だけどまあ、制服よりは私服の方がいいんじゃないかなあ」
「なにする気?」
「お、興味わいてきたんだな! 若者はそうでなくっちゃ」
おめえも同い年じゃねえのか?
なんて汚い言葉を頭に浮かべつつ、結局良彦と一緒に学校を出て道を進む。
アドバイス通り一度家に戻って私服に着替え、華恋は忙しそうに家の片づけをしている母親に出かけると告げた。
「華恋ちゃん、お出かけって、どこに?」
「ちょっと、クラスの子の家」
その答えに、華恋の母、美女井美奈子は両手で口を押さえて震え出している。
「華恋ちゃんにお友達ができたなんて……!」
娘の心の中には、ウザウザの嵐が吹き荒れていく。
「良かったわね! なんていう子なの? お菓子持って行かなくちゃいけないわ。ママ買って来る! ケーキがいいかしら? クッキー? パンナコッタ? ちょっと待っててね、今すぐにダッシュで行ってくるから!」
「いい! いらない! もう行くから!」
華恋と違って名前に負けない美人ママの美奈子は、可愛いけれど天然で大袈裟な性格をしていて、思春期真っ只中の女子にはとにかく面倒くさい存在だった。
今外に出られては、家の前で待っている良彦と遭遇してしまう。
お友達が男の子だなんてわかったら、そんなのは娘の人生初の快挙だと号泣した挙句、お小遣いを二千円くらい渡してしまうかもしれない。
華恋は急いで家から出て、待っているクラスメイトと合流した。
「ミメイ、早いなやっぱり。お前は着替えが早いタイプだと思ってた」
どういう理由でそう思ったのかは理解できなかったが、どうもほめ言葉ではない気がして、華恋はムスっと黙ったまま良彦について歩いた。
少し歩いて、横断歩道を渡ってすぐの、小さな平屋建て。
「俺んち、ここ」
美女井家からほんとうにすぐそこだった古びた家には、ぎりぎり「藤田」と読み取れるプレートがついている。
「誰もいないから、遠慮しなくていいよ」
誰もいない家に、中学生の男女が二人。
「なんだミメイ、誰もお前におかしな真似なんかしねーから安心しろ!」
その言葉にやたらめったらムカムカして、華恋は顔の中心部分に力を入れたまま中へと足を踏み入れた。
ふすまがガタガタと開いて、廊下の奥の部屋へ通される。
勉強机に、ベッドに、本棚、小さいテーブル、ざぶとん、パソコン。
以上が、可愛い系超絶失礼男子中学生の部屋の家具のラインナップだった。
「案外キレイにしてるんだね」
「当たり前だろー? いつ彼女が来てもいいように、普段から心がけとかないとな」
「どうせいないくせに」
華恋が呟くと、良彦はニカっと明るく笑ってみせた。
「そうなんだよ。俺、チビだろ? モテないんだよな。これからに期待だよな」
どんだけポジティブなんだ、こいつは。
そう考えながら勧められた座布団の上にゆっくりと座り、華恋は目の前のご機嫌な顔に質問を投げかけていく。
「で、モデルってどういう話?」
「おう、ちょっと待ってな」
ブカブカの学ランを脱ぐと、良彦はそれをポイっとベッドの上に放り投げた。
中のワイシャツも大きいらしく、長い袖をクルクルとめくっていく。
次に押入れの中から大きな箱を取り出してきて、エプロンを出してつけると、更に箱の中から妙に色っぽいコーラルピンクのツヤツヤしたボックスを取り出してきた。
「なにそれ?」
メイクボックスのように見えるそれが、開けられる。
中は、意外にも予想通りでメイク道具がぎっしり入っていた。
「よし、始めるか」
「……なにを?」
「メイクを」
「はあ?」
流れがちっとも理解できず、華恋はブルドッグのような顔で唸った。
「これで化粧しろってこと?」
「いや、違うよ。俺がお前をメイクすんの」
今度は意味がわからなくて、口がぽっかりと開いてしまう。
「俺、メイクアップアーティスト目指してんだよね。だから練習台になって欲しいんだ」
「モデルって、そういうことなの?」
「そ! いいだろ!」
華恋の脳裏に、芸人が物まねやコントの時にするような、雑な加工がされた顔が浮かんでいく。
セロテープとか、マジックとか。
眉間と鼻の辺りに力をいっぱいいれて顔をしかめると、良彦から笑顔が消えてしまった。
「なんて顔してるんだよお前……。ひどすぎるだろ、いくらなんでもそれは」
あれだけなんでも明るく笑い飛ばしてくる男がこんなにシリアスな顔をするなんて。
さすがに不安になって、華恋は顔からそっと力を抜いた。
「ああ、良かった。だいぶマシだぜ」
それにしても、本当に藤田良彦は口が悪いらしい。
ビジュアルと口調と、メイクボックス、すべてがミスマッチだと華恋は思った。
「メイクアップアーティストって、本当の? あんたメイクなんかしたことあるの?」
「あるよ。見る?」
「見る?」
良彦は立ち上がって机の前に移動すると、パソコンの電源を入れた。
「……あんたのパソコンはなんて名前なの?」
「パソコンに名前なんてつけるのか?」
どうやら名前をつけるのは一般的ではなかったようだ。
恥ずかしい気分をこらえて、華恋はしばらく、名もないパソコンが立ち上がるのを待った。