28 GOD・A<ヘアサロン・ゴッダ>への誘い 3
「やあ、君がビューティ? なかなかクールなファッションじゃない」
真っ赤なひらべったい車の運転席の男は、ピンク色のフレームの大きなサングラスをしている。
レンズは紫から緑に変わるグラデーションという派手さで、一方の華恋はグレーのパーカーにデニムスカート、そして下には黒の七分丈のレギンスに黒のスニーカーといういで立ちだ。
どの辺がクールなのか戸惑い、モノトーンでまとまっているところかな、と無理やり答えを出していく。
いや、その前に。
「あの、よう子さん、……この方は?」
「私のステディーのサンダーよ」
成人したくらいの年齢に見えるサンダーは、紹介されると人差し指と中指をビシっと立てて、顔の前で二回振って笑った。
「あの、ミメイです。よろしくお願いします」
「サンダーだ」
「サンダー?」
「サンダーだよ」
「サンダー」
「ごめん、三田村忠です。よう子のステディーやってます」
こんなアホな挨拶を終えると、助手席のよう子はにっこり微笑んでステディーの肩をつついた。
「さ、乗って。行きましょうビューティ」
ご丁寧にサンダーが降りてきて、ドアを開いてエスコートをしてくれる。
車で送るというのがまさかこんなひらべったい車で、しかもサンダーの運転とは。
ひらべったい車の座席の位置は恐ろしく低くて、まるで地面に直接座っているかのような心持ちだ。
「今日は飛ばすぜ!」
中学校の前をブロロとご機嫌に走り出し、すぐに渋滞につかまってしまう。
渋滞にハマったひらべったいオープンカーはすごく目立つ。華恋はこの日、そんな無駄なことを学んだ。
「三田村さんっていくつなんですか?」
「サンダーって呼んでくれよな、ビューティ。そして俺は二十歳。もうすぐ、二十一歳の大学生」
車を運転しているんだから十八歳以上なのは確実ではあった。が、自分より一歳年上の先輩をオープンカーで迎えに来てくれる男が、二十一歳とは。
二人の関係性がわからなくて、華恋は小さく唸る。
「よう子さんの彼氏なんですか?」
「やあね、ステディーよ」
二人は信号待ちの運転席と助手席で見つめ合って、ねー! なんて言っている。
「どこで出会ったんでしょう?」
「どこだったかしら? 友達の友達が紹介してくれたパーティだった?」
「そんな些細なことは気にすることないんだ。出会ったのが運命だった。この世に必要なのは、それだけなのさ」
まーた変なヤツが現れた、と華恋は心の中でハリケーン級のため息をついた。
ドルドル唸るエンジンがうるさく、乗り心地の悪いシートのおかげで乗車三分でもうお尻が痛い。
これ以上二人の事情について聞いても朝っぱらから心がくたびれ果てそうなので、華恋はじっと黙って後部座席の心地悪さに耐えた。
前に座る二人は、よく聞こえないが楽しそうに会話をしている。
車はじわじわと進んで、三〇分ほど経ってようやく渋滞を抜けると、左側に寂れた雰囲気のローカル駅が見えた。
駅舎の上の方には「時ノ浦駅」と書かれていて、華恋はやっと解放されるとほっと息を吐いている。
「ありがとうサンダー、終わったらまた連絡するから迎えに来て」
「オーケーよう子、待ってるよ」
サンダーからの投げキッスを華麗に受け止めて、よう子はにっこりと優雅に微笑んだ。
車から降りたところでようやくわかったが、よう子のファッションは予想外に「普通」だった。
もっとド派手な衣装みたいなものを着ているのかと思いきや、華恋とそう変わらない、ティーンの女子らしいカジュアルな服装で、色も上から白、青、紺、白と無難なコーディネートになっている。
「さ、ビューティ、行きましょ」
スタスタと歩き出す後姿についていく。しかし、尻が痛い。
目指すヘアサロンGOD・Aにはすぐにたどり着いた。
なんとも言えない古びた外観。小汚い壁は十年程度でできあがるものとは思えない。
天井もやけに低いし、中の照明も白ではなく黄色と言ったほうが的確だと思われた。
「ここ?」
こんな店に、あの変態の男前がいるのだろうか。
「ここよ」
簡潔な返事をすると、よう子はドアを引いて中に入っていった。
「おや、おやおやおや? ひさしぶりじゃないかよう子ちゃん!」
まだ薄暗く、開店していない様子の店内に立っていた男がいきなり声をあげる。
頭頂部はバーコード状のボーダー柄で、鼻の下にはちょび髭。
漫画的でコント的ないでたちの中年だ。
「ゴーちゃんは? 呼ばれて来たのよ」
「ああ、一〇時からって言ってたやつか。よう子ちゃんだったのかい?」
「いいえ。こちらのビューティをお願いするわ」
「ビューティさん。こちらは初めて?」
「ええ、はい」
華恋が返事をすると、男は店のレジカウンターの下からごそごそとなにかを取り出してきた。
バインダーに挟まった紙とボールペンをホイ、と少女に差し出してくる。
「はじめてのお客さんには書いてもらうんだ。よろしく」
いわゆるお客様情報を書き込む用紙を、華恋はしばらくじっと見つめた。
なんとかボールペンを持ったものの「氏名」の記入欄とは相性が悪く、にらめっこしたままじっと止まっている。
「どうしたのビューティ?」
「いや……」
どうみても、この男は「美女井華恋」の名をはっきりと笑うタイプだ。
こういうオッサンが一番無遠慮に笑うのだと、華恋はこれまでの経験から知っていた。
カタカナで書いて誤魔化してしまおうか。
駄目ではないが、カタカナ表記は妙に敗北感を感じてしまって気分が悪い。
「おっ! 来たなBG! そしてSF!」
その声に華恋が顔を上げると、号田がニヤリとした笑顔を浮かべて立っていた。
チリチリの長髪を頭の後ろど真ん中でひとつにまとめたスタイルがよく似合っている。
大きな襟を立てた白いシャツも、嫌味なくらい決まっていた。
ピッチリとしたこげ茶色の皮のパンツもカッコイイ。
中身は変態だとわかっているので、ここにいる女子二人には当然、ときめきなどはない。
「SF?」
よう子はBGと呼ばれていたので、SFというアルファベット二文字の略称はおそらく自分を指すんだろう。
華恋が考えて疑問を投げかけると、号田は腕を組んだ姿勢で胸をそらせた。
「Square Face」
「このやろう……」
妙にいい発音にムカムカする華恋の手から、お客様用カルテの用紙がもぎ取られていく。
号田によって氏名の欄には「SF」と書き込まれ、にらみ合いは終わった。
「ゴーちゃん、今日は無料で奉仕してもらうわよ」
「ん? 料金はちゃんと伝えたはずだ。五万円だぞ」
「ダーメ。これはスピリットからの依頼なのよ。ビューティに最上級のヘアをプレゼントしてちょうだい。ちゃんとやってくれたら、秘蔵の写真を一枚あげるわ」
号田の目が怪しく輝く。
「わかった。じゃあ早速始めるか。親父! 今日の俺の客はこいつだけだ。ほかに来ても追い返してくれよ!」
「それじゃ今日の売り上げはどうなるんだ、土曜日なんだぞ」
「知るか! そんなことよりタイム弁当の限定スペシャル幕の内を二つ、十二時ジャストに届けさせてくれ!」
よう子がガッツポーズを決めて、後輩へ笑顔で振り返る。
「ふふ。やったわねビューティ! 一日一〇食限定よ!」
「ちょっとわかんないんですけど」
まったく状況が飲み込めないまま、華恋は古びたシャンプー用の椅子に乗せられていた。
よう子は待合室の椅子に座って、小汚い本棚に並んだ「ゴルゴル81」なんかを読み始めている。
親父、と呼ばれた息子とは似ても似つかぬ号田の父、篤は無駄にパタパタと店内を移動しながら、電話で弁当を注文したり、隣の美容室に行ってくる、と出て行ってすぐに戻ってきたり忙しそうだ。
「さて、始めようか、SF」
「その略称、かっこ悪くない?」
「じゃあ、SGにするか。Square Girl」
「うるせえよ!」
「先生に向かってうるせえとはなんだ?」
「藤田に言いつけるぞ」
よう子の真似をして良彦の名前を出してみると、効果は覿面だった。
「すみませんお嬢さん。今すぐ、御髪を整えさせて頂きます……」
なんてわかりやすい反応だろうか。華恋はおかしくなって、こう答えた。
「うむ。苦しゅうない」
後方の待合室で、よう子が大きな声で笑った。