25 ゴーダといったらタケシかチーズ 3
二人が帰宅すると、美女井家のリビングでは優季と正子が並んでソファに座っていた。
「あ、お帰り、よしくん、華恋ちゃん」
「おかえりー」
優季はすっかり美女井家に馴染んでいる。
華恋は複雑な気分になったものの、考えてみればなんの問題もないな、とすぐに結論を出していた。
馴染んでくつろいで、しっかり回復したらいい。
優季は弟によく似た明るい表情をしていて、病院で初めて会った時よりもずっと元気そうに見える。
「二人でなにやってんの?」
「ビーズのアクセサリを作ってるんだ。マーサちゃんが貸してくれたの」
弟の質問に、姉は笑顔で答えている。
「リハビリになるんだよね、こういうの」
小学生向けの少し大きめのビーズを、優季は震える手で一生懸命糸に通していた。
カーペットにはところどころ、色とりどりの小さな玉が落ちている。
「華恋ちゃんの分も作るからね」
「えー、おねーちゃんはこんなの使わないよ。よっしーにあげよう」
「俺だっていらないよ」
「じゃあお母さんにあげようよ、マーサちゃん」
可愛らしい提案に正子はうん! と嬉しそうに答えた。
着替えて自室から戻ってくると、リビングには可愛らしい顔が三つ並んで、楽しそうに過ごしていた。
華恋があの中に入ったら、みにくいあひるの子よろしく、うちの子じゃない感が出そうな気配がしている。
「嬉しいなあ、私、ずっと妹が欲しかったんだよね」
優季は微笑みを浮かべて、ビーズに糸を通しながら話した。
「マーサも、ゆうちゃんみたいな素敵なお姉さんができて嬉しい!」
「ホント? ありがとう。でもマーサちゃん気をつけないとすっごいKYだよ」
「ケーワイ?」
「価格安い、じゃなくて、空気読めないの略だからね!」
唐突な裏切りの言葉に、正子はショックを受けて、更に隣の良彦から追撃をかまされてしまう。
「ホントだぞー、マーサちゃんはもっとHTにならないと」
「エイチティーって?」
「控えめでつつましい、の略!」
可愛らしくも容赦なしの姉弟の連携プレイに、正子はただただあんぐりと口をあけている。
小学五年生にはパンチが効きすぎているかもしれない。
「ほらね、やっぱりお前は謙虚にならないとダメなんだよ」
けれど、かわいそうの前にちょっとだけざまあみろの気持ちが出て、華恋は正子に止めをさした。
「うう……、おねーちゃんひどいよ」
「おいおいミメイ、マーサちゃんをいじめるなよ」
自分たちのことは棚にあげてなにを言っとるんじゃいと怒ると、藤田ブラザーズはいつものように朗らかに笑った。
六人で囲んだ楽しい夕食が終わると、お礼を言って姉弟は家へ帰って行った。
見送ってから戻ったリビングにキラキラ光るものが落ちていて、華恋はテーブルの周りに散らばるビーズを拾い集めた。
「なんだ、それは」
「ビーズだよ。正子とゆうちゃんでアクセサリ作ってたんだって」
父の質問に答えて、集めた玉を正子にホイと手渡す。
「おねーちゃん、マーサどこが悪いのかな?」
「お? もしかして自分を省みる気になった?」
「だっておねーちゃんばっかりいっぱい友達できてるんだもん。マーサは全然だよ? 一生懸命話してるのに、みんな仲間に入れてくれないんだ」
実は姉にもさほど「友達」はできていない。
しかし、良彦からの評価は驚くほど高く、堂々と人前で褒められるというかつてない華恋の姿は、妹にとって大きな衝撃だった。
「ケンキョってどうしたらいいのかな?」
「そんなの簡単だよ。自分で自分のこと可愛いって言うのやめたらいい」
「ええ? だって可愛いのは事実じゃん。なんでホントのこと言ったらダメなの?」
こりゃダメだ、と姉が諦めかけた時、父の修がかわりに娘に答えを示した。
「正子、可愛いかどうかっていうのはみんなそれぞれに基準があって、どう思うかはひとそれぞれなんだよ。だから、私は可愛いからこうしてくれ、ああしてくれっていうのは単にお前の押し付けになっちゃうんだ。正子だって他人からたくさん注文つけられたらイヤだろう?」
「うーん」
「いっつも自分の話ばかりされるのも、相手にとってはイヤなものだ。自分が普段どんなことを人に話しているか、少し考えてごらん」
自慢のクルクルのツインテールを揺らしながら、正子はシュンとした様子で自分の部屋へ戻っていった。
黙って自分を見つめる長女に気がついて、父はニヤリと笑う。
「正子が性格までよくなったら、世界最高の美少女になっちゃうな」
「自分の娘によく言うよ」
華恋が答えると、父と娘は同じ顔を並べて楽しそうに笑った。
「いやー、しかしさ、昨日帰ってからじっくり考えたけど、いきなり講師になってるってスゴイな」
次の日の朝の教室で、良彦からこんなセリフが飛び出していた。
「あの、ゴーさんとかいう変態の話?」
「そう。確かに学校で演劇部の手伝いをしてほしいって頼んだけど、こんなに素早く教師としてもぐりこむって異常だな」
興奮して早口になった良彦に、華恋はなんじゃそりゃと唸る。
「気持ち悪いって昨日散々言ったでしょ」
「ホントだな。さすがの俺もちょっと現実を直視できてなかったかもしれない」
「可愛い顔して計算高い十二歳」がキャッチフレーズの良彦としては、大いに反省すべき失態だったようだ。
腕組みをして考え込む隣の男子に、華恋はニヤリと笑った。
「よっぽどアンタのことが好きなんだね」
「俺じゃなくて、スピリットだよ」
「同じでしょ」
同じじゃねーよ、と良彦が答えたところでチャイムが鳴った。
授業が始まり、弁当の時間には美女井家の母の力作のキャラ弁を並んでたいらげ、午後の眠たい時間が過ぎて放課後になる。
そして二人で部室へと歩く。
いつの間にか、これが普通になってるな。
すっかり馴染んでいるのは自分も同じだったようだと華恋は思った。
どんなレベルの無礼者なんだと怒っていたのに。
なんで一緒にお見舞いに行くんだろうと悩んだのに。
メイクなんかいらないと思っていたのに。
演劇部なんか入部を考えたことなどなかったのに。
「ふんっ」
なんとなく笑いがこみあげて、鼻から大きな息が出た。
「なんだ、どうかしたのか?」
「別に」
だいぶ訳のわからない展開だったが、悪くない。
一ヶ月前、転校直前のダーク極まりない気分だった自分に会って、一言教えてやりたいくらいだ。
ここから先は案外、いい感じだよと。
「おはようございまーす!」
部室のドアを良彦が開けて、大きな声で挨拶をする。
「スピリットォー!!」
中にいたのは、噂のド変態が一人だけ。
「うわっ、ゴーさんなんでいるの?」
「副顧問だから!」
「来週からじゃないの?」
その質問には特に答えず、号田はそれはそれは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「さあ、頼みを聞こうか。さっさと済ませて、スピリットに会いに行こう。またいっぱい写真を撮ろう! BGはまだか? 最高の衣装を用意してもらわないとな! それから……」
マシンガンのようにしゃべり続ける男前に、華恋はただただ圧倒されている。
「ゴーさん、待て!」
「ワン!」
良彦の命令が鋭く響くと、とたんにおしゃべりは止まり、号田はその場で正座している。
「うわ」
それまでの暴走も不気味だし、すぐに正座するよう、いつ調教されたのか。
「勝手に部室に入ったらダメだろ? まだ働き出してないんだから。ちゃんと勤務が始まってからくるんだ!」
「ウーッ」
「ウーじゃない! それに、学校で働くのにその髪形はないんじゃないの? ちゃんとしてきなよ。七三とかにしてさ。あとあんまり大きい声でスピリットって言わない! 通報するぞ!」
号田がみるみる小さくしぼんでいく。
可愛い少年と、獰猛だけど従順な大型犬。
二人の間柄はこんな表現ができそうだが、それで収まるかどうかはまだわからない。
「ゴーさん、ハウス!」
「なあスピリット、もう少し、もう少しだけ、いいだろう?」
「ダメ、帰りな!」
号田はしょんぼりと立ち上がって、とぼとぼと出口に向かう途中、華恋の横で突然立ち止まった。
「おい、お前」
「はあ?」
「なんだその髪は! 許せんな!」
「ゴーさん、ホーム!」
「ワン!」
部室の扉が開き、ワイルドな顔の大型変態犬は去って行った。
「おい、ミメイ。反応があったぜ。お前の髪絶対サラサラになるな」
「それ以前に色々突っ込みどころ多すぎだろ?」
自信満々に笑う良彦に、華恋は呆れながらなんとかそれだけ返した。