21 世渡り上手にときめいて 2
インターホンを鳴らすと中からドタドタと大きな足音が響いて、すぐにドアが開いた。
「お、ミメイじゃん! なんの用だ?」
「明日お姉さんが退院するんでしょ? 準備しないといけないからって、必要なものを聞きに来た」
土曜日の朝にふさわしく、良彦は黄色い長袖Tシャツに下は黒のスウェットという力の抜けた姿だ。
「今日のうちに買い物に行くから、藤田も一緒にどうかなってお母さんが言ってるんだけど」
「そうか。うん、確かに一緒に行ったほうが早いな。じゃあ用意するから、あがって。ちょっと待っててくれ」
良彦の姿がくるりと回って、家の奥へ駆けていく。
藤田家のリビングはなんとなくあまり使われていないような寂しい空気が漂っていて、照明は点いているのにやけに暗く感じられる。
「しかしあんた、ホントやるよね」
玄関から入ってすぐ、食卓の椅子に腰掛け、華恋は頬杖をついた。
「なにがー?」
廊下を挟んで向かいの自室にいるせいで、良彦の声は大きい。
「世渡り上手ってやつ?」
「なんだそりゃ」
こんなやりとり前にもしたなと考える華恋に、良彦の明るい声が答えた。
「予想通りだった。ミメイはすごくいい奴だから、きっとおじさんとおばさんもいい人だろうって思ってたんだ」
「それであんなお願いしたの?」
「そうだぜ。姉ちゃんはホント、病気になってから落ち込みやすくてさ。一人にしておけないんだ。話をしたいのに時間だから帰るなんて言われて本当に帰られちゃったら、マジでへこむだろ?」
ビジネスなのだから仕方ない話なのだろうが、確かに、心細い時にされると辛そうだと華恋は思う。
「政治家とか社長とかって珍しい苗字の人、多いって思わない?」
「はあ?」
この話は唐突に感じて、華恋の頭にははてなマークが浮かんでいた。
「美女井も珍しいだろ。聞いたことも見たこともなかったもんな」
「それがどうかしたの?」
「珍しい苗字の家って、お金持ちが多いんじゃないかって思ったんだ」
「…………へえ」
意外な切り口から我が家が狙われていたという事実を知って、華恋はそれしか答えられなかった。
実は美女井家は結構裕福な部類で、華恋と正子の個室だってそれぞれ八畳強と結構な広さがある。
「家の感じといい、家具の感じといい、おばさんのおっとり具合といい、余裕があるんじゃないかなって思ったんだよね」
「そんなことまで考えてたわけ?」
「そりゃそうだ。優しさから受け入れてくれる人ならきっと他にもいるだろうけど、迷惑になったら困るからな。俺たちのせいで家族の仲がギスギスしたりっていうのも困るし。だから経済的な要素ももちろん考えないと」
そういえば、雑談の中でさりげなく父に仕事内容なんかも聞いていた。
社長をやっているとハッキリとは言わなかったが、会話からあたりをつけていたのかもしれない。
「ホントはうちの父ちゃんがしっかりしてくれてたらいいんだけどなあ。ダメなんだよ、母ちゃんが死んでからどうも頼りなくって。姉ちゃんの病気も受け止め切れなくて、現実逃避しちゃっててさ。早く現実を見つめてほしいよ」
可愛い顔に似合わないシビアなセリフを言いながら、着替えを終えた良彦は小さな箱を持って部屋から出てきた。
立派なお菓子の詰め合わせが入っていそうな箱を食卓の上に置くとふたをあけて、中から札束を取り出し、数を数えている。
「……なにそれ?」
「現金」
「どうしたの、そんなに」
「ブログのアフィリエイトで稼いだ分だよ。たいした額はないんだけど、ま、緊急時用にね」
パラパラと一万円札を二十枚ほど数えて取り出すと、良彦は簡易金庫のふたをパタンを閉めた。
「親父の稼ぎが悪くってさ。姉ちゃんの入院費は補助があってほとんどかからないから助かるわ」
札束を銀行備え付けの封筒に入れると、いつもの笑顔がぱっと華恋の目の前に現れた。
「よし! ミメイ、行くかー!」
美女井家の大きな七人乗りの車に家族プラス近所の少年で乗り込んで、車で四十分ほどのところにあるショッピングセンターに向かった。
なぜか二列目に並んで座る妹とクラスメイトの後ろに一人で座って、華恋は考える。
ここまでのやり手だとは想像していなかった。藤田良彦、マジで恐るべし……!
あのポジティブシンキング。朗らかと見せかけてのちょっとワケ有りの境遇。
二つのエッセンスを掛け合わせると、けなげで頑張りやの少年が出来上がりだ。
計算高い部分はそっと見せないようにしているところもニクい。
この後たどりついたショッピングセンターでした買い物の清算時に、さきほどパラパラとベテランの銀行員のように数えて封筒に入れていた現金を「父親から預かった」なんて差し出しているところなんか鳥肌ものだ。
どこまでが計算なのか、わからない。考えれば考えるほどわからなかった。
着替えや寝具やクッションなんかを買い込んでランチをご馳走になると、姉のところに行ってくると良彦は一人バスに乗って去っていった。この後、夜にはまた来るらしいが。
新たに子供が二人も増えるような形になった美女井家のリビングで、父の修からこんな質問が長女に投げかけられた。
「よっしー君のお父さんはなにをしてる人なのかな?」
「ああ……。なんだろうね」
どのような仕事をしているのかは知らないが、今日の朝はとりあえずいなかった。
「聞いてないけど、なんかちょっと頼りないんだって言ってたよ」
「そうか」
父がふーむ、と呟く姿を華恋は見つめた。
自分の父親はあてにならないと判断して、よそのお金もってそうなおじさんに思い切って頼む。
結構な度胸が必要そうだ。
なりふり構わず、姉の為に一生懸命行動したら……?
いや、どんな理由があってもきっと「誰にでもできること」じゃないだろう。
「よっしー君はすごいな」
「ほんとだね」
「なにがすごいって、いいよってこっちに言わせちゃうところがすごい。将来大物になるかもな」
良彦のステータスはぶっちゃけ、「詳細のわからない近所の子供」である。
たしかに、いいよと言わせてしまう魅力があるのは、すごい。
「いいよって言っちゃうお父さんもすごいよね」
「そうだろう。ふっふっふ。でも多分よっしー君は、こっちがいいよって言えちゃう人間だって見抜いてるんだな。そこもすごい」
じゃあそれを許しちゃう父はまたさらにすごい、とか言ったら喜ぶだろうか。
父親へのサービスをしようかしないでおこうか悩んで、華恋はコーヒーを淹れて渡すことにした。
次の日の昼、良彦は本当に優季を連れて美女井家を訪れていた。
「藤田優季といいます。すみません、弟がなんだか勝手なお願いしたみたいで……」
以前よりもほんの少しだけ、ほっぺが小さくなっているようだ。
まずはあの失礼極まりないド正直な部分は隠して、優季はこんな風に美女井家の両親に挨拶をした。
「いいのよ。よっしー君のおかげで毎日とっても楽しいもの。優季ちゃんも自分の家だと思って過ごしてちょうだい」
美奈子の優しい微笑みに、藤田姉弟も嬉しそうに笑顔を浮かべている。
優季は車椅子に乗ってやってきた。
杖があればなんとか自力で歩けるものの、長い距離はまだ無理らしい。
お見舞いに行ったときにはずっと座っていたのでわからなかったが、体が不自由な十七歳の様子は痛々しいものだった。
「ミメイの家はバリアフリーなんだよ」
「ホントだ。うちと全然違うね。段差ゼロってすごいフューチャーな感じ!」
華恋のセンチメンタルな気持ちを、こんなちゃっかりした会話が軽く吹き飛ばしていく。
家の設計に関してもリサーチ済みの折込済みだったらしく、トイレに手すりがついていることも絶賛してくる。
「最近の新築のスタンダードなんですね!」
「うん、まあそうかな」
不動産会社経営の修は苦笑しているような顔だ。
玄関からほぼフラットな状態の廊下を歩けば、優季に割り当てられた部屋にたどり着く。
カーテンもベッドにかけられたシーツも、明るいピンク色のものになっていて可愛らしい。
「全然知らない家の子にここまでしてもらえるなんて、ホントにありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる優季の横で、見た目に似合わず頼もしい弟がニッコリと笑った。
「いつか必ずお礼はします。まずは、ミメイをビックリするくらい綺麗にしますから」
このセリフへの両親の反応は微妙なものだった。
二人揃って、黙ったまま華恋へ視線を向けている。
「あ、物理的にですよ! 別に恋して綺麗になるとかじゃないんで」
良彦のセリフに、ますます空気がざわめいていく。
「藤田、余計なこと言わないでよ」
「いやだって勘違いされたら困るだろ? そんな感じに受け取られたみたいだったから一応言っておかないと」
このやりとりに、優季がケラケラと笑い出した。
弟同様笑い声に伝染力があるらしく、美女井家一同も華恋を除いて楽しげに笑った。
「こんなに親切にしてもらったんだから、華恋ちゃんがいい歳になってもどうにもならなかった時にはよしくんがちゃんと責任取りなよ」
「なに言ってんだ!」
さりげなく爆弾を投げ込む優季に、華恋は即座にツッコミを入れる。
「いやー、それはどうかなあ」
姉の提案に対する弟の返答に、一瞬で空気が凍る。
なにを言い出すかと思いきや、良彦の考えはみんなの予想を超えていた。
「ミメイはいい奴だから、すっげえいい男をちゃんと捕まえるんじゃないかな? むしろ今の調子のまんまだとマーサちゃんの方がヤバイよね」
「えっ? なにそれ! よっしーひどくない?」
「いくら可愛くってもダメなもんはダメだよ。中身も魅力的じゃないと。それにマーサちゃん、姉ちゃんは案外やるんだぜ? そのうち見た目でも抜かれるかもよ」
不覚にも、華恋はかなりときめいてしまっていた。
ここまでの失礼な発言の連続に対してのここでのほめほめ攻撃。
落差がある分威力はとてつもなく大きい。
しかもにっくき妹をたったの三十文字ちょっとで完膚なきまでに叩きのめしている。
よっしーカッコイイ。
そんな気持ちを悟られまいとかなりおかしな顔で黙る華恋に、良彦は振り返った。
「ミメイ、来週からはゴーさんまで加わるからな! クリスマスを楽しみにしてろよ!」
夕食後藤田ブラザーズが帰ってから、良彦の発言がどういう意味だったのか家族中から聞かれたが、華恋は答えることができなかった。
嬉しくて、恥ずかしくて、なんとなく悔しくて、そして、楽しくて。
そんな愉快な気分は多分生まれて初めてだ、と少女は思った。