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20 世渡り上手にときめいて 1

「ミメイ、ちょっと先に帰ってて! 俺ちょっと寄るところがあるから」


 良彦はそう言い残して、家とは逆の方向へ走り去っていってしまった。

 なんだなんだ、「先に帰ってて」とは。

 お前の家じゃないだろうが、と考えながら華恋は歩いた。


 華麗な変身はもう終わっていて、いつもの顔で。

 さすがにフルメイクしたまま校内を歩くのはよろしくないだろうと、クレンジングをし、素顔に戻っている。


 銀杏の葉を踏みしめながら、いつもよりも少しゆっくり。

 夕日がもう完全に沈もうとしていて、あたりは薄暗い。

 けれど、少女の心は弾んでいた。

 本当に、変われる。魔法の力で、本当の「美女井華恋」になれる。


 これまでの人生で初めて得られた満足感と共に、華恋は元気良く家の扉を開けた。

「ただいまー!」

「華恋ちゃん、お帰りなさい」

 母のいる台所に顔を出すと、娘のご機嫌な様子に、美女井美奈子は少し驚いたようだ。

「なにかいいことがあったのかしら? なんだかとっても、元気なただいまだったわ」


 まるで幼児に向けられたかのような誉め言葉に、女子中学生の元気メーターはみるみる下がっていく。


「中学生に言う言葉かね、それ」

「だってなんだか嬉しそうだったから。……よっしー君はどうしたの?」

「あとで来るみたいだよ」


 最早家族にとっても良彦がやってくるのは「当然」になっているようだ。

 ヤツと出会って一体何日だろう?

 まだ一ヶ月も経ってないじゃないかと、制服を脱ぎながら華恋は苦笑している。


「ただいまー」

 リビングでのんびり、美女井家の女三人が過ごしていると、父が帰ってきた。

 笑顔で入ってくるその後ろに、最近加入した長男もどきこと、良彦もいる。

「こんばんはー!」

「よっしー君とそこで会ったんだ」


 男子中学生の手には、どこかで買い物をしてきたらしく、大きな紙袋がぶらさがっていた。


「これ、いつもお世話になってるので、お礼です!」

「あら、こんなのいいのに。なあに?」

 中身はゼリーの詰め合わせで、では食後にみんなで食べようと決まる。


 この日の夕食のメニューはクリームシチュー。

 ふうふう冷ましながら、全員で黙々と食べる。

 美女井家の四人は良彦の口から本日はどんな話が飛び出してくるのかと待っていたが、最後まで特に話題は提供されずに全員の皿が綺麗に空になった。

 この二週間のうちに一度もなかった静けさに、美女井家の面々は落ち着かない。


「よっしーくん、なにかあったのかしら?」

「悩みでもあるのかい?」


 朗らかの塊のような近所の男子中学生がやけに神妙な顔をしているのに気がついて、両親がそれぞれ、声をかけていく。


「あの、おじさん、おばさん。美味しい夕ご飯、ごちそうさまでした」

「よっしー君?」

「今日は、お願いがあって来ました!」


 良彦が立ち上がる。

 さっきまでパクパク調子よくご飯を食べてたじゃん、とツッコミを入れたいタイミングではあったものの、急速に広がって来たただならぬ気配に、華恋は口を噤んで、成り行きを見守ろうと決めた。

 

「お願いってなんだい?」

 父の修に穏やかな声で問われて、良彦はピシっと気をつけの姿勢になった。

「俺の姉ちゃんを、この家に置いてくれませんか!?」

「はい?」

 意外な申し出に、両親は揃って首を傾げている。

「あの、置くっていっても、ここに住まわせてくれってわけじゃないんです」


 良彦はまず、姉がいて、病気で体が少し不自由なのだと大人たちに説明した。

 優季は病気そのものは落ち着いた状態になったので、もう退院しなくてはならないらしい。


「左の手足がちょっとまだ動かなくて、一人で家にいさせるのは心配なんです。前にも同じような状況になって、その時はヘルパーさんに来てもらってたんですけど、時間が来たらすぐ帰っちゃうし、一日中頼むとお金もすごくかかるし、それに、相性が悪いと大変で」


 調理は頼めないので、食事を全部作っておくか買い置きしないといけないし、以前頼んだ人は意地が悪いタイプで随分ストレスが溜まってしまったらしい。

 優季の病気に一番よくないのはストレスで、再び病気が悪化する可能性が高まってしまうのだと、良彦はいつになく真剣に話した。


「だけど一人で家にいたらなにかあった時危ないし、それに、自分がなにもできないことにすごく落ち込んじゃうんです。前は家事も全部やってくれてたから、頑張ってやろうとしちゃって」


 母の美奈子はもう既に涙をボロボロ流している。

 父の修も至極まじめな顔をして、若者の訴えに耳を傾けている。


「ミメイのお母さんはすごく優しいし、ご飯も美味しいから、姉ちゃんもこの家にいさせてもらったら安心できると思うんです。俺が学校に行ってる間だけでいいんです。おばさんが用事がある時はちゃんとよその人に頼むようにします。お金も、ちゃんと払います」


 華恋の隣で、正子もうるうるしていた。

 ついでに言うなら華恋もうるうる寸前だった。

 素直でない長女は、なんとか涙を見せまいと歯を食いしばっている状態だ。


「図々しいお願いだってわかってます! だけど俺、姉ちゃんはここにいたらもっと元気になれるって思うんです。ちゃんとリハビリ続けたら、また体は動くようになるはずだから、それまで……」

「わかった!」

 熱っぽく語られる少年の主張は、修の一言で終了した。

「パパ……!」

 あまりにも頼もしい夫の一言に、妻の涙腺は完全に崩壊。

 次女もうわーんと、なぜか大声をあげて泣いている。

「いいんですか?」

「いい。お姉さんはうちで面倒みよう。それで決まりだ」


 あんまりにもあっさりと快諾されて、勢いが空回ってしまったのかもしれない。

 良彦はきょとんとした顔で、また同じセリフを口にした。


「いいんですか?」

「いいよ。断ったら、美奈子さんが一生口を聞いてくれないかもしれないし。一階に部屋が余っているから、ちょうどいいさ」

 お客さん用に空けてある部屋が玄関のすぐ横にある。体が悪いなら、一階に部屋があったら助かるだろう。


 それにしても。

 華恋は、ふうっと息を吐いた。

 母と妹は、わんわん泣きながら「パパありがとー!」なんて言っている。

 良彦は神妙な顔でお礼を言って、父は「これも社会貢献だな」なんてうんうん頷いている。

 なんという展開。なんという藤田良彦。

 交流が始まって、まだ二週間しか経っていないというのに、いつの間に美女井家にここまで入り込んだのだろう。

 まったく末恐ろしい十二歳だった。


 優季はもう明後日の日曜日に退院する予定で、修は胸を張って、送迎もしようなんて申し出ている。

 良彦はそれをほどよく断った挙句、遠慮するな、はいありがとうございます、絶妙なタイミングで中学生らしく大人の好意を受け入れた。

 ここまでくると卒がなさ過ぎて華恋としては泣くどころではない。ただただビックリでしかなかった。


 不躾なお願いへのせめてもの手土産として持ち込まれたゼリーをみんなで食べると、良彦は丁寧に礼を言って家へと帰っていった。

 けなげな愛らしい少年が帰ると、美女井修は息を吐いて、首を横に三往復させてからこう呟いた。


「すごいね、よっしー君は。勇気があるな」

「そう?」

「そうだよ。大体の人はあんなお願い受け入れられないだろうし、断られたらもうその先は来辛いだろう?」

「まあ、確かにそうかも……ね」


 せっかくありつけるようになった家庭の味を放棄する可能性が高かった……というだけではないのだろう。

 ほかにも父は思うところがあるようだったが、それ以上華恋に胸のうちを話すことはなかった。

 母はようやく涙を止めて、明日は準備しなくっちゃと、早速そわそわし始めている。


「おねーちゃん、よっしーのお姉さんには会ったことあるの?」

「あるよ。そっくり姉弟だった」

「じゃあ可愛いんだね」


 ついでにとんでもなく失礼で口が悪いところもそっくりなのだが。

 これから先、入り込んだが最後、悪魔のような本性を露にしてこの家を占領したりしないだろうか。

 いや、口が悪いだけで悪事を働くようなタイプではないか――。


「優季ちゃんっていうのよね。何色が好きかしら? 可愛いお部屋にしてあげないと」


 母は明日、ショッピングセンターに繰り出すと決めたらしい。

 無関係なおねだりマシンガンをぶっ放そうと、マーサもつれてって~なんて妹も騒ぎ始めている。


「華恋ちゃん、よっしー君になにか必要なものがあるか聞かないと。明日、朝のうちにリサーチしに、ううん、一緒に行けばいいのよね! お誘いしてきてちょうだい」

「ええ~?」


 考えてみたら、電話番号も知らないし、藤田家の父はなにをやってんだと疑問が沸いてきた。

 あっさり引き受けちゃって良かったのかよと思いつつ、いや、お父さんがいたところでお姉さんが昼間一人で困るのは変わらないわけだけど、なんて考えてみたり。


 すっかりホームドラマ的展開に巻き込まれて満足している家族に水をさそうかやめようか。

 それは十三歳の少女には難しすぎる問題で、結局解決は次の日へと持ち越されることになった。

 

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