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02 ヤツの名は藤田良彦 1

 最悪の気分で帰宅した華恋は、母親の用意したおやつには目もくれず、自室にこもってパソコンの電源を入れた。


 新居のオマケに与えられた自分だけのマシン。華恋はそのノートパソコンに「アンソニー」と名をつけていた。

 アンソニーが音を立ててパスワード入力画面をモニターに映しだし、華恋はそこにカタカタと、慣れないタッチで秘密の合言葉を打ち込んでいく。


 あの藤田とかいう無法者が来るまでの一時間。


 浮かれた自分がバカだった。世間は厳しくて、無情だし無常だ。知っていたはずなのに。思春期の少年少女がどれだけ残酷なものか。いや、大人にだって子供にだって動物にだって、世界は残酷で過酷なんだ。

 ぼんやりしていては、生き残れるわけがない。


 華恋は一週間前に作った自分のブログのページを呼び出し、今日起きた悲劇について書きこみ始めた。

 


  白い翼は、穢れてしまった。

  私の心を壊すのは、誰?

  あなたたちの黒い闇が、すべてを蝕む。

  それでも私は負けない。

  翼は生え変わり、また絶対の白を取り戻す日が必ずやってくる・・・・・・



 他人が見たら意味のわからないポエムでしかない文章に華恋はなんとなく満足し、「全体に公開する」ボタンをクリックした。

 

 自分に起きた出来事をすべてあからさまに文章にするのは、愚かな行為だ。ぶっちゃけまくるなんて行為には、まるで美学を感じられない。それゆえに、日記のスタイルはポエム一択。


 なにが起きたのか普通の人間にはわからないが、感傷的な部類の誰かは悲しみを感じ取ってコメントを寄せてくれる。

 わかってくれる人が一人でもいると思えば、少女の心はほんの少し、軽くなった。



 次の日の朝の洗面所。

 鏡の中の自分と見つめ合い、華恋は頬を二回叩いて気合を入れていた。

 もしかしたら今日もまた教室は戦場になるかもしれない。

 負けてなるものか。

 そう強く心の中で呟いて、しっかり朝御飯を食べると、少女は学校へ向かうべく家を出た。


「あれ? もしかしてミメイじゃねー? おーい! おーい、ミ、メ、イーー!!」


 門から出るなり、ものすごくよく通る大きな声が響いた。

 明らかに自分を呼んでいるそれを、華恋は一瞬立ち止まったものの、無視すると決める。

 その声が昨日、自分をどん底に陥れた犯人、藤田良彦のものに思えたからだ。


「おーい! ビジョイー! カレンちゃーん! こっちだよこっちー!!」


 声はますます大きくなっていく。


「みめいかれんさーん!! そこの、色白のっぽの、ミス名前負け日本代表ー!」


 さすがに声をした方へ振り向くと、隣の席の悪魔は道路の向こうにいて、笑顔で手を振っている。

 少し前方にある横断歩道が青に変わると、良彦は子犬のような可愛らしさで華恋のもとへ駆け寄って来た。


「おはよう! お前の家ってそこなんだな、ちょうど出てきたところが見えたよ」


 華恋は返事もせず、ひたすら早足で学校へ向かって歩く。

 良彦は転校生の機嫌の悪そうな顔はまるで気にしない様子で、隣でペラペラと話し続けている。


「一昨日だったかなー、親父が、『近所にとんでもない美女の一家が引っ越してきたぞ』って言ってたんだけど、もしかしてお前ん家だったんだな? とんでもない美女の一家じゃなくて、美女井っていうとんでもない珍名の一家だった! あはははは!」


 若人の朗らかな笑いが通学路に響き渡る。

 学校までは、ゆったりとした徒歩であと三分ほど。

 イライラパワーでスピードアップしている華恋のペースだと、あと一分まで短縮される。


「ガッカリだよなあ、美女の一家のはずがさあ。親父に言っておくよ。美女じゃなかったって。あれ、お前の母ちゃんってどうなの? もしかして美人だったりする?」


 華恋の中に怒りのエネルギーが満ち満ちていく。

 それを、必死の思いで抑えた。感情にまかせて怒りをぶちまけるなんて、愚かな行為だ。

 フールで、フーリッシュで、愚の骨頂だ!

 心の中でそう唱えながら、校門を通り過ぎる。隣の無礼者には一言も発していないが、立っている教師にだけはちゃんと挨拶をした。


 教室についても、もちろん悪魔はついてくる。なにせ同じクラスの隣の席なのだから。

「ミメイって無口だなあ。なあ、部活はどこに入るつもり? 前の学校では何部だったわけ?」

 カバンの中から教科書を取り出して机にしまっている間も、良彦の口が閉じる気配はない。

「みんな、なにかしらクラブに参加しないといけないんだよ。お前のその仏頂面からすると……、インドア系かな。漫研とかPC部とか」


 ムカムカがどうしても我慢できなくなり、華恋はチラリと隣に視線を向けた。

 その反応になぜか良彦は笑顔を浮かべている。


「図星か! パソコンとかさ、小説とかゲームとか、そういうの好きなんじゃない? だってすっげー暗そうだもん。一人で、あんまり明るくないところでそーっとやるのが好きそう」


 これだけ完全に無視されているのに、まだしゃべり続ける相手というのは初めてだった。あまりの反応の無さに、誰もがみんな途中で黙って去っていったのに。しかもずっと笑顔だ。

 思わずじっと、顔を見てしまう。


「なんだよ、機嫌悪そうだな。そんな顔してると不幸がじゃんじゃん寄ってくるぞ。笑う角には福来るって言うだろ?」

 

 お前のせいだろうがっ!


 口に出さずにいた怒りが心からはみ出してきて、眉間に皺が寄り、華恋の顔はひさしぶりにムカムカをアピールし始めていた。


「おほほっ、お前、ブッサイクだなー! そんな顔したら、ますますひどいぜ?」

 妙に嬉しそうに言う良彦に、華恋はとうとう殺意まで感じ始めている。

「ビジョイなんだろ? 美女でも、JOYでもないじゃんか。どこまで名前負けなんだよっ」


 ずっと大声で話している良彦につられて、転校生の周囲にはクラスメイトが集まっていた。

 今の発言に同意しているようで、みんな笑っている。

 ある者はゲラゲラと遠慮なく。ある者は、ちょっと申し訳なさそうに。


「ビジョイ! どーしたんだよっ、スマイルスマイル!」


「うるさいっ! このドチビがあっ!!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れた。

 これまで耐えに耐えた二年半ほどの日々。

 美女に華に恋。華恋のビジュアルから程遠いネーミングであるとみんなが気付き始めたあの頃から溜まっていた怒りが、とうとう爆発した。


「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって! お前みたいな平々凡々のなんの特徴もない名前のヤツになにがわかるって言うんだこのスットコドッコイ! しかも男のくせに妙に可愛らしい顔しやがって! 私の気持ちの一パーセントでも理解できるのか! ああ? 好きでこんな名前になったんじゃあ ね え ん だ よっ! わかるだろ! 自分でつけたんじゃねーっつうのっ! 生まれた時になんて苗字の家にするかなんて選べねーんだよ! アタシだってなあ! そこでぼんやり突っ立ってる、山田ゆうこ! お前だよ! お前みたいになんの特徴もない、スーパー平民な名前に生まれてきたかったよっ! できることならな! 自分で責任取れないところにいちいちいちいちいちいちいちいちケチつけられちゃ、たーまんーねーんだよーーーー!!」


 昨日良彦に遠慮なく「美女井」という苗字を勝手に紹介したゆっちへのリベンジも盛り込んで、華恋は一気にこんな風に叫んだ。

 静まり返った教室にはもう担任の風巻が入ってきていて、あっけに取られた顔で無口だったはずの転校生を見ている。


 それに気がついて、少女は椅子に乗せていた足をそっと下ろした。


 クラスメイトたちも担任同様、ポカーンと口をあけたままフリーズしている。


 やってしまった。


 華恋は後頭部にヒンヤリとしたものを感じていた。


 これで、学園生活はオシマイだ。

 変な名前な上に、根暗で怒りっぽくて、口が悪い転校生。どんなステータスなんだか。


 努力して会得したはずの「無の境地」も、まるで意味がない。こんな風に怒鳴り散らさないようにするために頑張ってきたのに。

 

 ひたすら、反省に尽きる。じっと床のタイルの隙間部分を見つめて、華恋は「タイムマシンがあったら」と真剣に考え始めた。もちろんその場合は生まれる前まで行く。なんとしてでも、下の名前だけは堅実なものに変えてもらおう。たとえばそうだな、孝子とか。そういう感じのがいい。

 

「……ははははは!!」


 静寂を切り裂く軽快な笑い声に、下を向いたまま思わず眉を寄せる。

 ゆっくり顔を上げると、良彦が涙まで浮かべて、机をバンバン叩いて笑っていた。


「ミメイ、おもしれー! 最高じゃん! あっははははは! たーまんねーんだよーーー!!!」


 そのポジティブな笑い声はみるみる伝染していって、クラス中がなぜか笑いに包まれていった。

 華恋があっけに取られているうちにいつのまにか風巻教諭もゲラゲラ笑っていて、五分後にようやく出席の確認が始まり、平和な学園生活がスタートしていった。

 

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