16 さりげなく馴染んでんじゃねえよ 3
「華恋ちゃん、これ」
朝食の為に席につくと、母が笑顔で、緑のハンカチに包まれた四角いものを手渡してきた。
「お弁当よ。よっしーの分」
「はあ?」
昨日の夕食の時。
勝手に参加して父の分を食べながら、良彦は美女井家の台所担当、母・美奈子の心をがっちりとキャッチしていた。
スラスラと妹とセットで綺麗ですねとほめ、華恋と仲良く部活動に励んでいる話をし、最後に自分の身の上について寂しそうな様子で話したらはい、出来上がり。
「毎日パンでおなかが持たないって言ってたから」
確かに隣の席では、コンビニで買ったと思われるパンが三個、お昼になると展開されていた。
「迷惑かなあ? ママのお弁当じゃ口に合わないかしら。量も足りないかも。あんなに可愛いけど、男の子なんですもの。いっぱい食べるわよね。アレルギーとかはないかしら? 肉と魚、どっちが好きかな?」
「喜ぶんじゃないの?」
毎日違うパンをかじりながら、ミメイの弁当旨そうだなーと良彦は呟いていた。
昨日の夕食時の反応も考えれば、弁当は間違いなく嬉しいはずで。
華恋は適当なため息まじりの返事をしたが、母は真剣な顔で答えた。
「ちゃんと感想聞いて帰ってね!」
やれやれと心の中で呟きながら華恋が家を出ると、いつものごとく良彦の笑顔が待ち構えていた。
「あんた、私のことそこで待ってるわけ?」
「おはようミメイ! 朝はまず、若者らしい爽やかな挨拶からだろ!」
「……おはよう、藤田君」
「ちょうど時間が合ってるだけ! お前と一緒じゃなきゃイヤなわけじゃねえよ」
このセリフと全開の笑顔は、ちっともマッチしていない。
おかげで良彦が本当のことを言っているのかどうか、まったく想像がつかなかった。
なんだかんだ二人で並んで、毎日一緒に行っているなと考えながら、いつもの早足で華恋は歩く。
道に沿って並んだ銀杏の木から黄色い葉がハラハラと落ちて、二人の足音にカサカサと効果音を付け加えた。
「藤田、今日のお昼ご飯もう買った?」
「ん、なんで?」
「今日、あんたの分のお弁当、お母さんが作ってるから」
「マジで!」
良彦はぱあっと笑顔を浮かべ、飛び上がっている。
「嬉しいな。ミメイの弁当、めちゃくちゃ旨そうだったもん」
「ほら」
華恋はカバンから緑の包みを出して、ほらよ、なんて言いながら良彦に手渡していく。
「うーわっ、でっけえ弁当」
父用のビッグサイズに、良彦は可愛い大きな目を輝かせている。
「多いかな?」
「なに言ってんだ、男子中学生って育ち盛りなんだぜ。このくらいペロリだよ」
その割りにドチビじゃねえの、という台詞は飲み込んで、華恋は校門に立つ先生にサワヤカに挨拶をした。
「お前の母ちゃんは、ビジョイなんだな。マーサちゃんもそっくりだったし、うちの父ちゃんが言ってた話はウソじゃなかったってわけだ」
「なにそれ」
「前に言っただろ? とんでもない美女一家が引っ越してきたって言ったって。お前をのぞけば真実だったってことだ」
あーあーはいはい、と華恋は適当に答えていく。
まったくもって、本当に、こいつは口が悪いことこの上ないと思いながら。
「しかもお前と違ってすっごく優しいし、……不思議だぜ。ミメイに母ちゃんのDNAは一粒たりとも入ってないのかな?」
「真剣な顔でいうこと? ほんとーにうるせえな、藤田は」
面と向かって苦情を言われているのに、良彦は笑顔を崩さない。
「ミメイは見た目がアレなんだから、せめて言葉遣いは丁寧にしたらどうだ?」
「そうでございますね。藤田君はいつも正直で、結構なことでございますわあ」
「きもちわりい!」
ゲラゲラ笑う良彦に、華恋は思わず消しゴムを投げつけてしまった。
見事に額にヒットしたので、少しだけ鬱憤を晴らすのに成功した。
午前の授業が終わると、良彦はウキウキした様子で弁当の包みを開きはじめた。
ふんふんと流行の歌のハミングとともに、ご開帳。
「うおーっ!」
大きな声に、クラスメイトが集まってくる。
「藤田君、なにそれ、すごい!」
「誰に作ってもらったんだ?」
あまりの騒ぎぶりに、華恋も思わず隣の席をのぞいた。
自分のは通常通りの中身だったというのに、いつもは父が使っている大きな弁当箱の中身は完全なキャラ弁に仕上がっているではないか。
海苔と細かな具材で、可愛らしい男の子の笑顔がご飯の上に描かれている。
顔の下には「よっしー★」なんて、こちらも海苔で書かれていて、ハートやら星やら、おかずもやたらと愛らしい形で詰まっていた。
「ミメイの母ちゃんが作ってくれたんだよ」
バカ正直な告白に、周囲のクラスメイトたちが「ヒュワー!」っと盛り上がる。
口笛だったり、歓声だったりそれぞれがあげた音は、全部が「囃し立てる」タイプのものだ。
「いつの間にそんな仲になったの!?」
女子が華恋を、男子が良彦の周りを囲む。
「そんなんじゃないって」
「よく藤田君と付き合えるよね! あんなになんでも正直にズバズバ言われて、よく耐えられるよ!」
「みぽこ」こと、山下未歩のセリフに、さすがに笑ってしまう。
良彦も散々思い思いの勝手な意見をぶつけられている。
クラスメイトたちは思う存分言いたい放題わめきちらして、ようやく静かになっていた。
「俺たち付き合ってます、なんてことはねえ! 当たり前ですけど!」
そんな宣言が隣の席から大声でされて、みんな不満の声を漏らしている。
「ミメイはこんなんだけど、いい奴なんだぜ。そしていい奴の母ちゃんはいい母ちゃん! お料理上手の優しい美人ママ!」
なぜかそこで、クラス中から笑いが起きた。
「なんで笑うかな……」
「お前の母ちゃんが美人なわけないって思ってるんじゃねえ?」
まったく失礼な連中で、華恋はムカムカしながら昼食を食べた。
いいように考えてみれば、いい奴なんだぜの部分が真正面から否定されるよりはマシか。「こんなんだけど」は余計だったとしても。
頑張って良彦風にポジティブに考えたらそんな結論が出てきて、とりあえず怒りを引っ込めると、華恋は母に頼まれたアンケートの集計を始めた。
「それ、美味しい?」
「すっげー旨いよ! でもやっぱり量が多いかも!」
直後、大きなげっぷが鳴り響いて、またクラスが笑いに包まれる。
「俺にもちょうだい!」
良彦のギブアップ&旨い宣言に男子が何人か寄ってきて、弁当箱はあっという間に空になっていった。
「美女井さんのお母さん、本当に美人なの?」
おかずを一口食べた男子が寄ってきて、そんな質問を華恋にぶつけてくる。
そこで少女は、やっと気がついていた。
「ホントだよ。ミメイとは似ても似つかぬ美女だった。ついでに妹はママ似の美少女だった!」
良彦の言葉に、おおーっと歓声を上げているクラスメイトたちの、名前をまったく覚えていない。
いつもいつも失礼な隣からの横槍にブチ切れていてばかりで、他の生徒との交流がほとんどなかった。
最初は友達なんぞいらねえと思っていたが、陰湿ないじめなどがあるような雰囲気ではないのだから、せめて名前くらいは覚えておくべきではなかろうか――。
「サンキュー、ミメイ! 今日も夕食食べに行っていい?」
わざわざ水道で弁当箱を洗ってきて、良彦は大声で話しかけてくる。
「今日も?」
「やっぱり、付き合ってるんじゃん!」
クラスメイトたちはまたノリノリになって、二人の席を囲んだ。
誰かと誰かがフォーリンラブなんて、十二歳か十三歳が一番弱いタイプの話題だ。
「そんなんじゃないよ、あんたたちもこいつの図々しさは知ってるんでしょ?」
華恋がめんどくさそうにコメントすると、全員がそろって「しらなーい」と答えた。
見事なハモリ具合にイラつくが、やいやい言ってくるクラスメイトにいちいち対応していくのは面倒そうなので、さっさと事態を解決させようと華恋は答えた。
「いいんじゃないの? 多分お母さんのことだから、今日はあんたの分までちゃんと作ってると思うわ」
「やった! じゃあ遠慮なく行かせてもらうよ!」
華恋の反応がスーパードライだったせいか、クラスメイトたちはつまらなさそうに少しずつ散っていった。
この調子ではクラスメイトの名前を全員分覚えるのに、まだまだ時間がかかりそうだ。
クラスメイトが散ってようやく静寂が戻り、華恋は昨日の夜の間ずっと考えていたことを隣に向けてぶつけた。
「昨日は見事にお母さんに取り入ってたよね。いつもの毒舌スーパーストレートはどこにいったの?」
「なんだそれ? いつものってなんだよ。そんなものないだろ」
良彦は肩をすくめて、首を横にふるふると振っている。
「大体、綺麗で優しい人に毒舌なんて必要ないじゃないか。俺は正直者だから、思ったことそのまんま言うだけ」
「そうかいそうかい」
「そ。お前の仏頂面は、やっぱりブサイクだからせめて笑顔浮かべておけよ! 笑う角には福来る!」
「それ、前も言ってたよね?」
「俺のモットーだからな! なあビューティ、せめて心は美人でいようぜ。笑顔の方がいいことあるからさ」
にっこり笑った良彦の可愛い顔を、華恋はしばらくの間眺めた。
母が他界し、姉は入院中。それでもこのポジティブシンキング。
人生を楽しむ極意を、この男は知っているのかもしれない。
転入初日のひねくれきった自分を思い出して、華恋は反省していた。
確かに失礼極まりない言葉を随分投げかけられてきたけれど。
これまでに想像もしていなかった方向に人生が向かっているのは確かだ。
それを実りのあるものにできるのかは、自分がこれからどうしていくかにかかっている。
華恋は決心して、ニカっと笑ってみせた。
「ぶあっははははは!」
良彦が案の定ゲラゲラ笑い出し、クラスメイトもつられて、笑いのハーモニーが生まれていく。
最後は華恋もやけくそになって一緒に笑った。
今日も一年D組には、若人の朗らかな笑い声があふれている。