15 さりげなく馴染んでんじゃねえよ 2
「ミメイはどこの美容室に行ってるんだ?」
顔の近くに指を出してくる良彦の手を払いながら、華恋は答えた。
「ここに来てからはまだ切ってないけど、前は近所の床屋に行ってたよ」
「床屋?」
「うん、近所の床屋」
良彦の眉間に、すっぱそうな梅干が一個出現する。
「それってカット一五〇〇円とか、激安系の?」
「え? いや、そんなことは……」
いくらだったら激安で、いくらからが標準なのだろう。
華恋にはわからなかった。ただ、通っていた床屋のカット料金は学生で一八〇〇円。
ギリギリ、どっちだろう?
「お前のそのかったい髪の毛、なんとかしないとダメだ。どんなにメイクしても、可愛い衣装着ても、髪が針金じゃあなあ」
「針金は言いすぎでしょ」
華恋からの抗議に、返答はなかった。
良彦は珍しく渋い顔で上を向いたり下を向いたり、悩んでいるような様子だ。
「あんたってヘアメイクもできるの?」
「いや、俺はできない」
また、華恋の心に前にも感じた「ある疑問」がわきあがってくる。
「じゃああのブログのあんたは? 誰がやってたの」
腕組みをした姿勢のまま、良彦の動きが止まる。
目だけを華恋の方にむけて、いつもの印象とは真逆の、嫌そうな表情で固まっている。
「そんなに聞かれたくない話なの?」
「いや、まあ、うん、ああ……、そうだな。聞かれたくないし触れられたくないところだ」
こいつが、こんな顔で、こんなことを言うなんて!
「へえ。なにがそんなに嫌なわけ?」
「ミメイ、ものすごく悪い顔になってるぞ。他人の不幸を喜ぶなんて、この世で一番ダメな振舞いだと思うな、俺は」
「人のことは散々こき下ろしといて、なにさ」
なにかとんでもない台詞を返してくると思いきや、返ってきたのは「ふう」という小さなため息だけだった。
「いつものポジティブさは? そんなにイヤなことがあったの?」
「なんだ、心配してくれるのか。やっぱりミメイはいい奴だな!」
そこでようやく笑顔が出たが、いつものような底抜けの明るさはない。
「トリートメントとかで少しはやわらかくなるかなあ。ミメイ、お前のお小遣いっていくら? いや、よう子さんに相談してみるか……」
ブツブツ呟くように言う姿は、あまりにもらしくない。華恋はそう思った。
良彦はしばらくなにかを呟きながらクルクル回っていたが、よう子のもとへ行って、なにやら相談をし始めていた。
それに対し、頼りがいのある先輩は肩をすくめ、呆れた様子で答えている。
「ゴーちゃんに頼めばいいじゃないの」
「よう子さん、そりゃないよ。ゴーさんだけはイヤだよ、話しただろ?」
「あら、たいしたことないと思ったけれど。あの人に頼むのが一番早いでしょう」
「俺がツライのはいいわけ?」
よう子はふう、と口をすぼめて小さくため息をついた。
「ちょっとくらいツラいかもしれないけどね、よっしー。ほら、ビューティの髪をご覧なさい? あれは一筋縄ではいかないわ。ソーストロング、レオちゃんなんか目じゃないくらいのストロンゲストよ!」
そこまで言うかと思いつつ、「ゴーちゃん」とやらの正体のほうが気になって華恋も会話に混じった。
「ゴーちゃんって誰なんですか?」
「ビューティ、あなたはよっしーのブログ、見たことあるの?」
「ええ。見ました」
「じゃあ話が早い。あのよっしーの可愛らしさ、すごかったでしょう? あの写真を撮ったのも、ヘアメイクをしたのもゴーちゃんなのよ」
「へえ……」
あのブログを知っていて、裏事情にも詳しいらしい。
良彦とよう子は随分仲が良さそうだ。
そして肝心の元・森の妖精はすぐ隣で、嫌そうに口をへの字にしている。
「俺もちょっと勉強してみるから、この話はなかったことにしよう」
「よっしー、問題を先送りにしてもいいことなんてないわよ。大体なんともならなかったら大変。ビューティのこの毛質と量じゃ、カツラだってうまくのらないわ」
ここまで言われるなんて、自分の髪がそんなに問題があるのかと華恋はすっかり不安になっている。
「私の髪、そんなにマズイ?」
「針金だもん」
悩み深い顔で良彦がそれだけ言う。よう子もうんうんと大きく頷く。
自分の体から出ているものが針金と認定されては、さすがの華恋も焦ってしまう。
「わかった。サロンにでも行って、相談してみるよ」
「おお。とうとう目が覚めたんだな……ミメイ!」
良彦は嬉しそうだが、それはゴーちゃんとやらに頼まなくてもよくなる可能性が高くなるから、なのか。
無敵の男と思いきや、弱点があるとわかって、華恋は心の隅でほっとしている。
「ところで来週は部活動はなしよ。再来週から、中間試験だから」
後片付けを始めたところで、桐絵が突然そんなお知らせをしてきた。
「試験……」
祐午の顔が苦々しくゆがむ。きっと、勉強は得意じゃないんだろう。
「つまんないよなあ、部活がないとさ」
「本当だよね、よっしー」
一年生男子は揃って、視線を華恋に向ける。
「ビューティは勉強は得意なの?」
「どうかな……。得意ってほどじゃ、ないかもしれないけど」
一〇〇人いたら、大体三〇番目くらいの成績をいつも取ってきた。全然できないわけでもないけど、すごくできるってほどじゃない、標準よりもちょっとだけ上という中途半端な出来具合だ。
「僕は苦手なんだ、試験って。よっしーはよくできるから、うらやましいよ」
「意外!」
祐午の言葉に華恋が反応すると、良彦はようやくいつもの笑顔を浮かべた。
「そうだろそうだろ、案外できるんだよ俺は」
「道徳とか、常識の試験は確実に落第だろうけどね」
「お前もな!」
そんな風に嫌味を言い合う仲なのに、二人は一緒に並んで帰っている。
薄暗い帰り道を辿って美女井家の前に着くと、夕食の匂いが漂っていた。
「すっげーいい匂い。お前の母ちゃんって、もしかして料理得意?」
「どうかな。確かに好きだし、お料理教室にもたまに行ってるよ」
立ち止まっている良彦から、盛大にぐー、と音がする。
「ご馳走になっていってもいい?」
「はあ?」
突然の申し出に、華恋はかなり面食らう。
「俺ん家、母ちゃんいないんだ。随分昔に死んじゃってさ。食事は姉ちゃんの担当だったんだけど、今はいないし、最近ひとりぼっちでホカ弁とかばっかりで、味気なくって」
こんなに寂しいカミングアウトをされてしまっては、いくら華恋でも、相手が良彦であったとしても、うるさいさっさと帰れなんて薄情な言葉は口にできなかった。
「わかった。ちょっと聞いてみるから、待ってて」
確かにそう言った。そのはずなのに、良彦は勝手に笑顔で一緒に家に入りこんでいた。
「お邪魔しまーす!」
突然現れたブカブカ学ランの可愛い少年に、美女井美奈子と正子の母娘は大いに驚いている。
「あら、華恋ちゃん……の、お友達?」
「はい! 華恋さんとは隣の席で、部活も一緒に活動している藤田良彦といいます! 家もすぐ道路の向かいにあるんです!」
ハキハキとした挨拶を愛くるしい笑顔でされて、母の顔には優しい微笑が浮かんだ。
「まあ、まあまあ……。華恋ちゃんにこんな素敵なボーイフレンドが?」
感受性豊かな母の目の端には既に、涙が浮かんでいる。
正子は妙に苦々しい顔をしていたが、その苦々しい顔にも、平等に笑顔が向けられた。
「妹さんだよね。お姉さんとは雰囲気が違って、すごく可愛いね」
「え? ええ、あの、正子です。でも正子じゃなくて、マーサって呼んで」
「マーサちゃんね」
もしかしたら男子に面と向かって褒められたのは初めてなのかもしれない。正子もにっこりと微笑んで、嬉しそうだ。
要領よく女心を掴む様子にあきれながらも、華恋は母を引っ張って台所の奥に移動した。
「あのさ、あいつお母さんがいなくて、家庭の味に飢えてるんだって。夜ご飯余分にあるかな?」
「まあ、そうなの? じゃあパパには駅前でおでんでもつついて帰ってって連絡するわ!」
余分はなかったようだが、父はむしろ喜んで一杯ひっかけるかもしれない。
「藤田君、ぜひご飯食べていってちょうだい! いえ、これからもいつでもいらっしゃい!」
母がノリノリでそう声をかけると、良彦は本当に幸せそうな顔で、ありがとうございます! と笑った。
超可愛い。
不覚にもそう華恋は思ったが、どうやら母と妹も同じだったようだ。
「お母さん、男の子もいたらなって思ってたのよ。なんだか嬉しいわ! さ、座ってちょうだい。すぐに用意するから、華恋ちゃんは着替えてらっしゃい」
早速遠慮なく学ランを脱いで座る様子を横目で見ながら、華恋は自分の部屋へ戻った。
すぐに着替えて戻ってくると、良彦は隣に座る正子と和気藹々で話している。
どうやらこの短い時間であっという間に二人の懐に入り込んだらしく、食卓には和やかで親し気な空気が満ちていた。
「ねえよっしー、部活って何部なの?」
その証拠にもう「よっしー」だ。
「演劇部だよ」
あまりにも意外だったらしく、母娘は驚きの声をあげている。
「演劇部って、華恋ちゃんが!?」
「はい。華恋さんにはこれから看板女優になってもらうんで」
自分がいないちょっとの間に、どれくらい勝手な暴露があっただろう。
そして、自分以外の三人のバランスだった。
見た目の美しさに差がなくて、本当の家族に見える。
そんな風に感じて、華恋はムカムカを感じ始めていた。
「ちょっと藤田、あんまり余計なこと言わないでよ」
「おねーちゃんが演劇部だなんて、意外すぎるよ! 看板女優なんて無理だよ、絶対!」
「マーサちゃん、女の子はみんな舞台の上では女優なんだよ。ビックリするくらいきれいに変身するんだから」
歯が浮く! 歯が浮くってこんな感じか!? と華恋が悶える横で、母はグラタン皿を持って目をうるうるさせている。
「よっしー君……、素敵ね。華恋ちゃんも華麗に変身しちゃうのかしら?」
「もちろん! みんなで力を合わせて、跡形もなく大変身させちゃいますから」
「マーサも変身したいー!」
「マーサちゃんは変身しなくても十分可愛いじゃない」
全員にこきおろされているが、それはいつものことだからいいとする。
それよりも良彦のこの世渡り上手ぶりに脅威を感じていた。
いつもの失礼極まりない態度はどこへやら。
ひょっとして、家庭の味確保のためにポイントを稼いでいるのだろうか?
「藤田、調子がいいね」
「いい調子と言ってくれ」
その言葉の差はどのくらいか、華恋は考える。
しかし「いい調子」のおかげなのか、姉妹のケンカもなく、いつもよりもだいぶ朗らかに美女井家の夕食の時間は過ぎていった。