10 演劇部へようこそ! 3
「まりこせんせーい!」
大きな声に、奥にいた女性教師が振り返る。
「おい、藤田、うるさいぞ!」
入ってすぐのところに立っていた男性教師に注意を飛ばされ、良彦は「すいませーん」と軽々しく受け流していく。
「藤田君、どうしたの?」
「演劇部の入部届け、持ってきたんだ」
まりこ先生には見覚えがあった。
体育担当の女性教師で、華恋はこれまでに二回、授業を受けている。
「まあ、転校生の美女井さんよね。演劇部に入るの?」
「うん!」
華恋は一言も発していないのに、体育担当の辻出麻利子はにっこり笑っている。
「すごいわ。もうこれ以上部員が増えるわけないと思っていたのに。あなたもきっと変わり者なのね」
「……いや、そんなことはないですけども」
こんな反応をされると、嫌な予感しかしない。
辻出教諭は良彦から入部届けを受け取ると、顧問の欄に自分の名前を書き、はんこを押してしまった。
「あなたはなにが得意なのかしら?」
「ミメイはみんなに改造される担当なんだ」
「改造? まさか、機械の体になったりするの?」
案の定だいぶズレた感性の持ち主だとわかって、華恋は小さくため息をついている。
「名前にふさわしい美女にするんだ。で、ユーゴと一緒に劇をやるって!」
「あら、劇をやるの? じゃあ武川君は嬉しいわね。とうとう演劇部らしい感じになってきたじゃない。先生嬉しいわ」
辻出教諭は、スラっとしたボディにほんわかした可愛らしい顔の持ち主だった。
そういえば部長の紺野桐絵は、地味ではあるが整った顔立ちをしていた。
副部長の不破礼音も、ガタイのよさばかりに目が行くが、きりりとした男らしい顔をしている。
衣装の北島よう子は、失礼な言動がなければ最上級に目を引く美少女。
藤田良彦も森の妖精に変身できるほどの愛らしさ。
武川祐午は文句のつけようのないイケメンであり――。
「ねえ、なんかさ、私、演劇部に必要なくない?」
「ん? なんでだ。ミメイ、いいじゃないか。きっと楽しくなるぜ」
「だって、みんな美男美女揃いじゃない。私抜きで舞台にあがれば、それだけでなんか成立しそうな気がするけど」
「そうかあ? ユーゴ以外みんな舞台なんか立つ気ないんだから、無理だと思うぜ」
「私もないんだけど」
この自分の基本的な意見を、全員揃いも揃って無視して勝手に入部させたんじゃないか、と華恋は今更ながらしみじみと考える。
「いやいやミメイ、これは自分を変えるチャンスだぞ。初日のお前、ひどかったもんな。なに言われても無視して、仏頂面で、全然面白くなさそうだった」
「おめえのせいだろうがっ!」
いつも通りのつっこみをいれたのに、良彦は真剣な表情を崩さない。おかげで調子が狂ってしまう。
「転校してきた次の日、ものすごくハジけただろ? 今の方が楽しくない? 生きてる感じがするんじゃないかなあ」
お前が言うか、を、今はとりあえず置いといて。
確かに。心を殺して黙り続けているのは自分をひたすら守るためで、得るものはない。
それどころか、得られなくなるものも多い。
「せっかく生まれたんだから楽しく行こうぜ! 俺たちと一緒に人生変えよう、ミメイ!」
「すっごくいい話! 先生感動しちゃったわっ!」
辻出教諭が突然泣き出す。
この学校の演劇部には、変人を吸い寄せる見えない力が働いているのかもしれなかった。
「なあミメイ、芝居なんかって思ってるかもしれないけど、有名な美人女優って、インタビュー受けるとよくこう言うんだぜ。『引っ込み思案な自分を変えようと思って、芸能界に入ってみました』って。引っ込み思案なのに芸能界って、思い切り良すぎだろって思うけど、そのくらい思い切って冒険したら、絶対新しい世界が待ってるって話だよ」
「なんか調子いいこと言ってるけど、あんたはメイクの練習台がほしいだけでしょ?」
「まあそうなんだけど、そういうことにしておかないか? その方がお互い、気分がいいだろ」
図々しい結論に、あきれる。あきれるが、心を動かされる言葉でもあった。
いつまでも自分の名前に不満たらたらで、心を閉ざし続けていても、いいことなんてない。
いつか良彦の言った通り、お金の力で偽装結婚する羽目になるかもしれない。
「私、変われるのかな?」
「あったりまえだろー? 俺のメイクテク、見て感心してくれたじゃないか。よう子さんの衣装のセンスもすげえんだぞ。レオ先輩の小道具もきっと驚く」
「素敵ね、これが青春なのね……!」
良彦がまぶしい笑顔で話す横で、辻出教諭の涙はまだ止まらない。
「わかった。演劇部に入る」
「もう入ってるって! 今日から『美女井華恋改造計画』のスタートだな。ワクワクするぜ!」
良彦の大声に、職員室にいる全員の視線が集まっていた。
「藤田、うるさいぞ!」
二回目の注意にも、反省の色はない。
「よし、部室に戻ってミーティングだ。行こうぜ、ミメイ」
おいおいと泣き続ける顧問の教師は置き去りにして、良彦と華恋は再び部室へと戻ってきた。
「部長! ミメイは正式に入部しました!」
「そう。嬉しいわ、仲間が増えて」
そう嬉しそうでもない感じで、桐絵が口の端だけあげて微笑む。
「私もすっごく嬉しい! さあ、採寸しましょ」
よう子はメジャーを勢いよく伸ばして、満面の笑みを浮かべた。
「二人芝居かあ。ワクワクするね、美女井さん!」
祐午が言うと、良彦が「おっ」と声を上げた。
「ミメイ、お前にもニックネームが必要だな」
「はあ? いいよ、そんなの。ミメイでいい」
「なんだよ、そんなこと言うなって。より早く打ち解けるためにも、愉快な呼び名を考えようぜ」
愉快ってなんだよと華恋が顔をしかめると、よう子がクルリと回って顔を近づけてきた。
「ビューティ、でどうかしら」
「はあ?」
それだけは絶対ありえない。噴飯モノだし、顰蹙モノのニックネームだ。
「わはははは! それはいいよ、よう子さん。すっげーシャレがきいてる!」
「こら、藤田、このやろう! 黙ってりゃ好き勝手言いやがって!」
怒って正直な気持ちを口にする華恋に、部長が釘をさしてくる。
「そんな汚い言葉遣い、やめてもらいたいものね」
「そうよビューティ、いけないわ、もっとエレガントに!」
「うるせー! おめえもだよ! 先輩だと思って黙ってたら、失礼なことばっかり言いやがって!!」
思わずよう子にも怒鳴り散らしたところで、奥から笑い声が響きだした。
「うはははははは!!!」
「レオちゃんが笑っているわ!」
よう子は両手で口を押さえて、驚いた顔をしている。
「初めて見たわね」
部長もめがねをちょいとあげて、コメントを残す。
「これはきっと、なにかきっといいことがあるわよ。レオちゃんがあんな風に笑うなんて、きっと十年に一度の珍事だもの!」
すっかり力が抜けて、華恋は文句を切り上げ、口をへの字に曲げる。
礼音はよっぽど楽しかったのか、笑いながらやってきて、新入部員の背中をバンバンと叩いた。
その手のパワーはすさまじく、華恋はドアの方へ勢いよく吹っ飛ばされてしまった。