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どうしようもない神様と振り回される人間のお話

終わりの聖女は世界の平和を願いました

作者: 佐倉 百
掲載日:2026/10/30

 いつ、この世界に神様がいると知ったのかステファンは覚えていない。物心ついた頃には両親と一緒に教会へ行って、神様へ祈りを捧げていた。


 神様は常に人間を見守っているらしい。家族も神父も神様の存在を信じている。ステファンは神様の存在を感じたことはないけれど、知らない間に助けてもらったことがあるかもしれないと思っていた。自分はこの世界の全てを知っているわけではない。見えない存在がいても不思議ではないのだ。


 ステファンは鼻歌を歌いながら大聖堂へ続く大通りを歩いていた。


 今日は記念すべき日だ。百年に一度、神様が人間の願いを叶えてくれる。その日がとうとうやってきたのだ。


 だが、神様は全ての人間の願いを聞いてくれるわけではない。たった一つだけ叶えてくれる。だから人間は代表を決めて、神様へ願いを伝えていた。その代表が聖女だった。


「聖女様はどんな願いをされるのかしら」

「きっと、世界中の病をなくしてくださるのよ」

「いや、豊作だろう。神様なら、どんな荒地だって緑豊かな土地に変えられるぞ」

「砂漠が一夜にして巨大な湖になったらしいわ」


 大聖堂への道は、朝から人であふれている。あちらこちらから聞こえてくる人々の会話は、やはり神様と聖女に関することだった。


「金持ちになりたいって願ったら、どうなるんだろうな」

「そりゃあ金貨が空から降ってくるんじゃないか?」


 笑っている男たちの話を聞いて、ステファンも笑いそうになった。ただし彼らとは違う意味の笑いだ。


 神の力は強大だ。それに人間と言葉が通じても物事の判断基準が違う。軽い気持ちでお願いをすると、手に負えないものが返ってくるらしい。


 昔、ある国の王が「水が欲しい」と願い、神はその願いを正確に叶えてくれたことがある。王国の中心には巨大な湖が生まれ、国中の水不足は解消された。だが水不足が解消されても、湖は大きく成長し続けた。その結果、城も町も村も、すべて水の底に沈んだという。


 曖昧な願いは危険だ。いつ、何を、どのように、どれくらい――具体的にお願いをしなければならないと神父が教えてくれた。


「今の聖女様なら大丈夫さ。お優しい人だからねぇ」


 市場の前を通りがかったとき、老婆たちが店先で話しているのが聞こえた。


「ええ。貧しい人のために食事を振る舞っているんですって」

「じゃあ、あたしらの生活が良くなるように願ってくれるかもしれないね」


 どこへ行っても、人々の話題は聖女が願う内容についてだった。


 聖女は生まれてすぐに教会へ引き取られたという噂だ。外界から切り離すことで、どこかの国や集団に肩入れせず、世界を公平な目で見られるように教育しているらしい。


 清廉で慎ましく、慈愛の心を持つ聖女。誰に対しても優しく接し、名前も知らない誰かの死に涙を浮かべ、追悼の祈りを捧げてくれる。


 そんな聖女の話を聞いたとき、ステファンは作り話だと思った。だが聖女に会った者は皆、彼女は素晴らしいと褒め称える。一人二人ならともかく、誰も聖女を悪く言わない。次第にステファンも、聖女が架空の存在とは思えなくなった。


「仕事しなくても生きていられたらいいのにな」

「そりゃぁ無理だろ。植物みたいに水と日光だけで生きられるならともかく」

「飢えない世の中になってほしいわ。凶作なんてもう嫌よ」

「あたし、戦争も嫌だわ」


 ステファンは皆の願いに心の中で同意しながら、黙々と歩いていた。


 ステファンの家は貧しい。父親は家具工房で働いていたが、体を壊してから収入が半分になった。母親はステファンが子供の頃に流行病で亡くなっている。幼い妹や弟が内職をしているものの、収入なんてたかが知れている。今年からステファンが印刷工房の見習いから職人になれたことで、ようやくまともな食事にありつけるようになった。


 ようやく生活が上向いてきたと思っていたら、今年は川が氾濫して農作物に被害が出た。そのせいで食料品の値段が上がっている。


 もし聖女が「貧しい者がいなくなりますように」とか「誰も苦しまずに暮らせますように」と願ってくれたなら、冬になっても飢えとは無縁でいられるかもしれない。


 ――聖女様はきっと、みんなにとって一番良い願い事をしてくれるはず。


 大昔の人間は加減が分からず、願い事で失敗をした。今の方法になってからは、大きな災害には至っていないらしい。前回のお願いは死の病を一つ根絶してもらったそうだ。


 ステファンは聖女に期待しながら、大聖堂への門をくぐった。


***


「抽選で選ばれた方はこちらへ」


 大聖堂へ入ってすぐ、神父の声が聞こえてきた。大扉の左右に平民が集められている。彼らは神父に手のひらほどの大きさをした札を見せていた。


 聖女が神様へ願いを伝える儀式は、身分に関係なく公開する決まりになっている。だが全ての人間が儀式に参加をするのは不可能だ。そのため教会が抽選をして大聖堂へ入る者を決めていた。


 過去に二回ほど王侯貴族と教会の者だけで行おうとしたところ、聖女がいくら訴えても神様は姿を現さなかったらしい。それどころか儀式を独占しようとした王や教皇に不幸が訪れたため、昔ながらのやり方に反対する権力者はいなくなった。


 ステファンは上着の内側から札を取り出した。上質な紙の縁に金色の絵の具で模様が描かれている。その中央には教会の真っ黒なインクで教会のシンボルと「幸運な信徒へ」と書いてあった。昨夜、唐突に家へ神父がやってきてステファンへ渡してきた札だ。


 ――この札を持っていることは、内密に。


 人目を忍んで訪れた神父は、そうステファンに伝えた。儀式を見学したい者は大勢いる。殺してでも札を奪いたい者が現れても不思議ではない。急に怖くなったステファンは、家族にすら言えずに札を服の中へ隠した。


 ステファンは札を神父へ見せた。神父は札に手をかざし、小さな声で呪文を唱える。すると札に書かれた文字が虹色に光り、小さな魔法陣が現れた。どうやらインクは魔法で反応する特殊なものだったようだ。偽造防止のためだろう。


「……本物のようですね。こちらへどうぞ」


 札を点検した神父はステファンを平民に用意された区画へ案内した。大聖堂の一番後ろ、大扉の近くだ。当然と言えば当然だろう。祭壇に近い席は王族や貴族が占拠して、その後ろは富裕層が座る。平民にイスは用意されておらず、壁際で立っているしかない。


 扱いが悪かろうと、ステファンは儀式を見られる幸運で気にならなかった。ここへ来られなかった者のほうが圧倒的に多い。イスに座らせろと騒いだら、大聖堂から追い出されるかもしれないのだ。せっかく掴んだ幸運を短慮な行いで逃すわけにはいかない。


 イスにはまだ誰も座っていなかった。身分が高い者は後からやってくるのだろう。


 ステファンは天井を見上げた。太い柱に支えられた天井が高い。いつも通っている小さな教会とは大違いだ。祭壇の奥にあるステンドグラスは、聖人が神様の力を借りて悪魔を倒した逸話を元にしたものだろう。呼吸を忘れてしまいそうになるほど美しい。


 初めて入った大聖堂の荘厳さに感動していると、入り口付近でちょっとした騒ぎがあった。どうやら札を持っていない平民が侵入しようとしたらしい。すぐに僧兵が駆けつけて、不届き者を大聖堂から排除した。


「入りたい気持ちは分かるよ。でもな、神様に願いを聞いてもらおうって時に侵入するのはなぁ」

「神様はなんでもお見通しなのよ。絶対に見つかるわ。勝手な人のせいで神様が現れなかったら、どう責任をとってくれるのかしら」


 周囲の人々は侵入者に否定的だ。


「神聖な儀式の邪魔をしたあいつは、一生幸運には恵まれないだろうな」


 どこかで嘲笑う声がする。まだ儀式は始まってすらいないが、居合わせた者には誤差の範疇のようだ。


 足に軽い疲れを感じ始めたとき、どこからか歌声が聞こえてきた。男とも女ともつかない。澄んだ声は決して大きくないが、人々の耳に届いていた。


「いったい、どこから……?」


 次第に喋り声が静かになっていっても、歌声の発生源は見つからない。祭壇や大きなパイプオルガンの前は無人だ。天井から歌声が降ってくるようにも聞こえる。


「天使様よ。きっとそう」


 ステファンの隣にいる女性がつぶやいた。


 ――そうかもしれない。


 女性の考えは、ステファンの中へ素直に入ってきた。姿を見せないまま、大聖堂いっぱいに歌声を響かせるなんて、人間にはあり得ない。こんなにも透き通った声の持ち主なのだから、きっと見た目も綺麗だろう。


 入り口からは富豪や貴族が入ってきていたが、歌声に気がついた者から静かに席へつく。王族がいつ入ってきたのか、ステファンは気がつかなかった。


 不思議な歌声に聴き惚れている間に、大聖堂の大扉が閉まった。


「聖女様のご入場です」


 祭壇の近くにある扉から、真っ白な修道服を着た女性が教皇と共に入ってくる。きっと彼女が聖女だろう。祭壇の前でこちらを向いて微笑む顔は穏やかで、慈愛に満ちている。年齢はステファンとそう変わらないように見えた。


 聖女の微笑みを見ていると、優しく抱きしめられている気分になってくる。嬉しいけれど恥ずかしいような、目をそらしたいのか永遠に見つめていたいのか、自分でも分からない。聖女がステファンだけに微笑んでくれるなら、何でもできそうだと思えてくる。


 きっと聖女は自分だけに微笑んでいるに違いない――ステファンが勘違いしそうになる前に、聖女は祭壇へ向かってひざまずいた。


「神よ。どうか私たちの願いを聞いてください」


 いよいよ儀式が始まる。ステファンは夢を見ている心地で見守っていた。


「私たちは平和に暮らしたいのです。誰かの欲望によって、誰かが踏みにじられることのない世界を与えてください」

「待ちなさい。それは打ち合わせとは――」


 聖女が訴え始めてすぐ、教皇が止めた。


「いいえ。同じ内容です。ご心配なく」


 ステファンの位置からは二人の話し声が聞こえてこない。だが教皇は何度か聖女に頷き、最終的には納得して続けなさいと言う。


「神よ。私たちは多くの問題を抱えています。強者が弱者を支配して命までも奪う犯罪が絶えません。安心して暮らせるようにしてください。貧しくて食べ物を盗む人がいます。彼らを裁判にかけるのは心が痛みます。飢えることのない世界にしてください」


 ステファンには他人事ではない内容が出てきた。もし給料が増えなかったら、今頃は食料を盗んでいたかもしれない。


「戦争で亡くなった人や故郷を失った人がいます。似たような悲しみで心が痛いのです。きっかけは、必要以上に豊かさを求める欲望のせいなのです」


 聖女が立ち上がってステンドグラスを見上げた。


「人が欲望だけに突き動かされることなく、理性を重んじて、己の行いを考えることのできる世界になってほしい。他者の自由を尊重して、誰かに尊重されたい。自分の幸せが、誰かの犠牲の上に成り立つものであってはいけないのです」


 家から大聖堂までの路上で聞いたことの全てが、聖女の願いに含まれている気がした。


 もし聖女の訴えを神様が叶えてくれたなら、きっと素晴らしい世界になる。ステファンは心の中で神様に祈った。お金の心配をせず、安穏と暮らせる日々がきてほしい。


「誰にも奪われず、静かに眠れる。そんな秩序ある世界を、私たちは願っています。けれども、強い欲望に突き動かされる人がいるかぎり平穏は訪れません。どうか、神の力で永遠の平穏をお与えください!」


 大聖堂の中が静まり返った。歌声がいつの間にか止んでいる。誰もが沈黙して聖女を見つめていた。


 人々が不安を感じ始めた頃、天井からステンドグラスに光がさした。


「……神様?」


 誰かがつぶやく。


 ステンドグラスの辺りに、人間のような姿が浮かび上がっている。半透明の体は柔らかい布を重ねたような衣をまとい、足元が見えない。長い髪はゆらめき、頭に花の冠をかぶっている。顔は光のせいで見えないが、ステファンはなぜか微笑んでいると感じた。


「神様!」


 聖女の嬉しそうな声で、儀式の成功を確信した。


 ステファンは鳥肌が立った。神様が本当にいる。目の前にいて、聖女の祈りによって姿を現した。百年に一度しかない機会に、とうとう巡り会えたのだ。


 隣にいる名前も知らない女性は、神様を見つめたまま涙を流していた。


 神様がゆっくりと下へ降りてくる。この光景は、居合わせた者のみが見られるのだ。後世の人間は歴史の本でしか知ることができない。今ステファンが感じている気持ちは、文字だけで表現できそうにもなかった。


 ――世界が変わるんだ。もう苦しまなくてもいいなんて。


 胸がいっぱいになって、涙が頬を伝う。もっと早く儀式が行われていたら、母親が亡くなることはなかったのに。幼い弟や妹にひもじい思いをさせたくなくて、自分の食事を我慢することもなかった。


 降りてきた神様は、全てを受け入れるかのように両手を広げた。


「あなたたちの願いを叶えましょう。人間が欲望に突き動かされず、争いを避け、誰かを犠牲にせず、静かに眠れるように。誰もが己の欲望より、秩序を優先する世界へ」


 天井から光る羽が降ってきた。上を見上げれば翼を広げた天使が飛び交って、清らかな声で歌っている。やはり、あの見えない歌い手は天使だったのだ。ステファンが知らない言葉で、同じ言葉を繰り返している。


「これでもう、怖い思いをしなくて済むのかねえ……」


 背後で老婆の声がする。


 ふと、ステファンの胸に言いようのない不安がよぎった。聖女が願って神様が叶える世界は、本当に幸せと言えるのだろうか。


 そもそも、人間の欲望とは。


「あなたたちが願った世界を、ここに」





 この日、世界から人間が姿を消した。

神様へのお願いは慎重かつ細かく設定しないと、本当の願いとは別の形になって現れると聞いて思いついたネタです。

この話を気に入っていただけた人も、そうでない人も、よろしければ評価などお願いします。

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