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時速120キロの叫び

掲載日:2026/07/14

 

「そりゃあ、1トンの鉄が動いてるんだから、音ぐらいしますよ」


 あまりのしつこさに、整備士は思わず中っ腹になった。


「そりゃあそうだけど、なにか故障があるんじゃないかと言ってるんだよ」


 カーディーラーを訪れた名部なぶ さとしは、何度目かの主張をした。


「どこも悪くない車にかまってるヒマはないんですよ」


 整備士がピットを指すと、整備中の車が並んでいる。

 憮然ぶぜんとしながらも、名部はディーラーを後にした。


 ◇


 ──ぶつぶつ言いながら帰宅すると、妻が出迎える。


「おかえりなさい。車、どうだったの?」


「……どこも悪くないってさ」


「そうでしょ。気のせいよ、気のせい」


「でもね、確かに異音がするんだよ、走ってるとね。カチカチ、コトコトとさ」


「私は聞いたことないわよ?」


「うーん。ディーラーに行くと、音がしないんだよ」


「でも、故障じゃなかったんでしょ?」


「そうだけど、音がするってことは、何かあるはずだよ。もし、走っているときに何か不具合がでたら、困るだろう」


「ロードサービスを呼べばいいじゃない」


「それですめばいいけど、事故でも起こしたら大変じゃないか……」


 ──名部なぶは、リビングのソファーにもたれかかった。

 不安そうな夫の顔を見て、妻が口を開いた。


雑田ざつたさんの旦那さんなんか、車に傷がついても気にしないそうよ」


「……雑田くんはズボラすぎるんだよ。あいつの車はボロボロだよ?」



 ──名部は、腕を組んでしばらく天井をにらんでいた。



「……ひょっとすると、『グレムリン』の仕業かもね」


 名部は冗談ぽく笑った。


「グレムリン? なにそれ」



 ──グレムリンとは、機械に取り憑いて不調にする妖精の一種だ。

 妻にそう説明した。



「ああ……昔、映画で観たことあるわ。かわいいやつよね」


「そんなんじゃないんだ。あれは、機械、たとえば飛行機のエンジンに入り込むとする。で、不調を起こせば墜落してしまうかもしれないだろう? 妖精というより悪魔みたいなもんだ」


「それが車に住み着いてるっていうの? 子供みたいなこと言って……」


「だって、他に原因が考えられないじゃないか」


 いくら話してもらちが明かない。会話はそれで終わりだった。



 ◇  ◇  ◇



「じゃあ、行ってくるよ」


 ──翌日、名部なぶは車に乗り込むと、妻に見送られ、出張先に向かった。


 運転中、じっと耳を澄ます。

 車内には、エンジン音とロードノイズ、カーラジオが流れている。


「ずいぶん雑音が多いな」


 ラジオの声が聞き取りにくい。名部はチューニングをいじったが、変わらない。


 ……ふと、何か車内に聞こえる。


 カチャカチャ、カチャカチャという、リズミカルな異音だ。


(……やっぱりだ)


 名部が1人で乗っていると聞こえてくるのだ。


「……サスペンションが原因なのかな?」


 考えながら走っていると、また異音が聞こえる。

 今度はカタカタ、カタカタという音だ。


「まただ……! くそ」


 音をごまかすために、名部はカーラジオのボリュームを上げた。

 パーソナリティの声が雑音とともに流れてくる。


『……ザザー、それでは次のお便り。ラジオネーム「ドン・カーン」さんから。「私の彼氏は、車から異音が聞こえてくると、いつも気にしています……」』


 名部は思わずラジオに耳を傾けた。


「……ふーん。やっぱり、世の中には俺と似たような人もいるじゃないか」


『それでは、次です。「私の夫は、車から異音が聞こえると言ってる変な人です」』


「……あれ? またか……?」


『次のお便りです。「うちの部下の名部は、車から異音が聞こえると言っているクレイジーなやつです」』


「え? これ、俺のことか? でも、職場で話した覚えはないぞ」


『……では、次です。いい加減に気づけよ、このウスノロ!』


「な、なんだ!?」


『お前だよ、名部なぶ さとし。お前!』


「俺のことを言っているのか!?」


『他に誰がいるんだよ! スカタン』


「だ、誰だ! 誰がしゃべってるんだ?」


『お前、オレのことを言ってたじゃないか。オレだよ、オレ。グレムリンだよ』


「グレムリン? あれは冗談だ。そんなものが本当にいるわけがない。……異音だけじゃなく、とうとう幻聴まで聞こえるようになったのか? 俺は」


『幻聴じゃねえよ、ヘニャチン野郎。オレはここにいるよ』


「そんなはずがない。幻聴だ、幻聴に決まっている」


 名部はラジオの周波数を変えた。


『幻聴じゃねえってば!』


 それでも聞こえてくるスピーカーからの声を無視して、名部はオーディオのスイッチをでたらめにいじる。


『……それにしても、最近の車は壊れにくくって面白くねえよな』


「な、なんの話だ?」


 名部はつい口を利いてしまった。


『昔の車は壊れやすくって良かったんだ。オレは、お前ら人間の「不安」をエネルギーにして生きているからな』


「不安を……?」


『そうだよ。オレは、ちょっと音を出すくらいの力しかなかったけど、それをお前が不安がってくれたおかげで、ずいぶん成長できたぞ』


「……それじゃあ、異音の原因はお前で、それで俺が不安になっている感情を食っていたと言うのか?」


『そうだ。食って力をつけて、機械を操れる。だからこうやってオーディオも鳴らせるようになったわけだ。もっとすげえ事もできるぜ?』


 グレムリンがそう言うと、車が加速しだした。


「な、なんだ? 勝手にスピードが!」


 名部はあわててブレーキを踏んだが、速度は下がらない。


「お、おい! 車を止めろ!」


『あー、いいね。その不安。たまんねえご馳走だ』


 グレムリンがそう言うと、ブレーキがかかった。

 減速したが、前の車との車間はぎりぎりだ。


「危ない! 追突するとこだったじゃないか。お、お前、まさか、車を暴走させて俺を殺す気か……!?」


『ウヒヒ……そんなことはしねえよ。……今はな(・・・)


「だったら、何が目的だ」


『言ったろ、マヌケ。オレはお前の不安が欲しいんだ。いつ暴走するかわからない車に乗っているって、不安だろ?』


「なんだと……!」


『まあまあ、早く取引先へ行きなよ。まあ、オレは車を故障させることもできるけどな。そしたら遅刻だぜ?』


 ──名部は考えた。


 こいつはこうやって脅して不安を煽り、それをエネルギーにしているのか?


 だとすれば、恐れるのは却ってこいつの思うつぼだ。

 そうだ、恐れなければ、こいつのエネルギーはなくなるかもしれない。


『……それから、こんなこともできるぜ』


 車に、急ブレーキがかかった。名部は前のめりになり、シートベルトが食い込む。後ろを走っているトラックがクラクションを鳴らした。


「よ、よせ。追突されるじゃないか!」


『オレを見くびるなよ。お前、さっきちょっと安心しただろう? オレは安心が嫌いなんだ。だから言っておく。オレはいつでも事故を起こせるんだぞ』


(こいつ……はったりじゃないな)


 名部は気付いた。

 こいつ(・・・)はいつでも自分を破滅させられると。


(なんとかしなければ……。だが、どうやって?)


 いっそ、車をどこかにぶつけてスクラップにしてやろうか。

そうすればこいつは消える。


そんな考えが頭をよぎった。


(……まてよ。確か、この先に……)


「……おい、グレムリン」


『何だよ、ダメオヤジ』


「この車から出て行くんだ」


『やだね』


「俺はな、車がいつ止まっちまうかって心配するのが、いちばん嫌いなんだよ」


『それがオレの大好物なんだよ。オレはお前みたいなやつが大好きなのさ』


「じゃあ、嫌いなやつもいるのか?」


『いるぜ。でも、それは教えてやんねーよ』


「車から離れたほうがいいぞ?」


『やだっつってんだろ』


「ほんとにいいのか?」


『しつけえよ、バカ』


「……だったら、勝手にしろ!」


 名部はハンドルを切り、道路沿いにある解体工場に入った。

 車を止めて降りると、近くにいる従業員を捕まえて喚いた。


「この車をスクラップにしてくれ! 今すぐだ」


 従業員は、名部の迫力に呆気あっけに取られている。


「早く、プレス機でもギロチンでも、なんでもいいからこの車をバラバラにしてくれ!」


「お、お客さん、廃車ですか?」


「そうだ! 早くしてくれ」


「そんなこと言っても、今すぐ解体はできませんよ。廃車手続きをしないと……」


「とにかく、今すぐこの車をぶっ壊してくれ!」


「ダメですってば。解体したいなら、書類を揃えて、また来てください」


「……そ、そんな」


 背を向ける従業員を、名部は立ち尽くして眺めていた。 


 ◇

 

『……おかえり。どうだった?』


 力なく車に戻ると、カーラジオからグレムリンのいまいましい声がする。


『気がすんだら、早く取引先に行こうぜ』


 言われるままに、名部は車を発進させる。


『まだ時間はあるからな。安全運転で行こうぜ』


 その言葉を無視しながら、名部は無言で車を走らせる。

 突然、ハンドルを切って国道から横道に入った。


『おいおい、どこへ行くんだ』


「さあな……俺にもわからん」


 10分も走ると、すっかり人気のない道路に出た。

 人家はなく、すれ違う車もほとんどない。


『おい、どうするんだ』


「……こうするんだよ!」


 名部はアクセルを踏み込んだ。車はどんどん加速していく。

 前方は急カーブになっていて、巨大な岩が鎮座ちんざしている。


『おい、岩に突っ込む気か? 死んじまうぞ』


「そうだな。俺が死ぬか車がぶっ壊れるかだ……」


 名部は他人事のように言った。


『止めろよ。気でも狂ったのか? さとしちゃんよお』


 アクセルを床まで踏み込む。

 どうしてこんなことをするのか、自分でも説明できなかった。

 

 恐れているのか、度胸があるのか。

 それともただの自暴自棄か。


 車は猛スピードで疾走し、岩が目の前に迫る。


 スピードメーターが100キロを超える。

 120キロに達したところで、名部は目をつむった。


(南無三……!)


 急ブレーキがかかり、タイヤのスキール音が響く。


 ──車は停止している。名部が目を開けると、巨岩は車の目の前にあった。


『おいおい、忘れたのか? オレが車を操れることを』


 グレムリンがあざけるように言った。


「お前が止めたのか……! だったら、なぜもっと早く止めなかったんだ?」


『何度も言わせるなよ、ボンクラ。お前の不安を煽るためだ。演技だよ』


「く……」


 ハンドルを握りしめた名部の手が震えた。


『さ、早く行こうぜ。まだ間に合うから。仕事をすませて、家に帰ろうぜ』


 言い返すことができない。

 こんなやつに従うのははなはしゃくだったが、他にどうしようもなかった。



 ◇  ◇  ◇



 ──すっかり疲れて帰宅すると、妻が出迎えた。


「おかえりなさい。どうだったの?」


「今日は……なんだか疲れた。早く休むよ」


 妻の心配をよそに、シャワーを浴びると、名部は寝床に入った。


 だが、なかなか寝付けない。

 ようやく眠っても、あのグレムリンの声が聞こえて目が覚める。


 ……夢の中でいろいろな声がめぐる。


(……車が走れば音くらいしますよ)


(……気にしすぎよ)


(……壊れるかもしれない車って不安だろ?)


(……ボロボロの車に乗ってるよ)


(……早くこいつをスクラップにしてくれ!)


(……あいつは、車から出て行かない。……そうだ、それなら……)



 ◇  ◇  ◇



 ──後日、名部はディーラーを訪れた。


「またあんたですか」


 整備士は、名部の顔を見てため息をついた。


「いや、車の文句じゃなくて、もう買い替えようと思うんだよ。ここに中古車が展示してあるよね?」


「……あ、ああ、そうですか。じゃあどれにします? ……これなんか、今、名部さんが乗っている車に似てますよ」


「そうだな……」


 名部は、ディーラーの敷地に並んだ車に目を通した。


「……これがいいな」


「えっ、その車ですか? 本当にいいんですか?」


「うん、いいよ。もう書類も持ってきてるんだ」


「……そうですか。それなら、3日後には納車できると思います」


「じゃあ、頼むよ」



 ◇  ◇  ◇



 ──3日後。名部は納車のためにディーラーに向かう。


 この短いドライブで、愛車とはお別れだ。

 そして、『ヤツ』とも……。


 車を走らせていると、ふいにカーラジオのボリュームが大きくなった。


『いよいよ納車だな、さとし!』


「グレムリンか。ふん、今日でこの車ともおさらばだ」


『言い忘れたけどよ、オレは車にいてるんじゃなくて、お前に憑いてるんだからな。車を代えても同じことだぜ』


「ほう……。じゃあスクラップにしても無駄だったのか」


『ま、そういうこった』


「……ところで、前に言った、お前の嫌いなものとやらを考えてみたんだが」


『へえ、なんだよ? ミソッカス』


「不安が好物なら、きっと、逆に鈍感なやつは嫌いなんだろうな?」


『……』


「俺の同僚にもいるんだよ。車がガタガタ鳴っても、気にもしないやつがさ」


 グレムリンは返事をしない。沈黙(・・)している。


 ──ディーラーに到着すると、従業員が出迎える。

 納車の手続きをすませると、名部は新しい(・・・)車に乗り込んだ。


 営業担当者や整備士が頭を下げる姿をバックミラーで見ながら、名部は車を発進させる。

 車を走らせながら、名部はラジオのスイッチを入れた。


「……よう、グレムリン、今度の車はどうだ。気に入ったか?」


 だが、スピーカーからはラジオの声が聞こえるだけだった。


 ◇  ◇  ◇


 ──帰宅すると、妻が出迎えた。


「おかえりなさい、どうだったの?」


 妻は夫から事情を聞いて、すでに車の買い替えにも同意していた。

 2人で外に出て、車を見る。


「ねえ、これが新しい(・・・)車なの……?」


 それは誰が見ても一目でわかるほど古い車だった。


「そうだよ。展示場のすみっこにあった、いちばんボロっちいやつを選んだんだ」


「大丈夫なの? そんな車」


不安(・・)かい? エンジンはうなるし、あちこちで変な音がするからね」


「なんでそんな車を買ったの?」


「これなら、最初から気にしなくても(・・・・・・)いいからさ」


「気にしなくてもいい? 何を?」


「なまじピカピカの車を買うと、汚れや異音が気になってしょうがないけど、最初から音が出てりゃあ、それが普通だからね」


「はあ……?」


「それより、ドライブでも行こう」


 名部にうながされるまま、妻も乗り込むと、車は走り出した。

 ロードノイズや風切り音が車内に響き、常に何かしらの異音が聞こえる。


「このシート、ぺったんこでお尻が痛いわ」


 妻が訴える。

 長年体重を支えていたシートは、すっかりあんこ(・・・)がつぶれている。


「古い車だけど、ちゃーんと整備されてるんだよ。それに、どうやらあいつ(・・・)もいなくなったみたいだな」



 ──名部は郊外の丘に着くと、車を止め、降りて背伸びをした。



「なんだか、久しぶりにいい気分だな。景色はいいし、車は快調(・・)だし」


「そう? あまり乗り心地よくないわよ」


 名部の横で、妻は腰をさすりながら言った。


 景色を見ながら、名部は考えた。グレムリンのことを。

 説明はできないが、もうやつはいないという確信があった。


 ただ、それならあいつはどこへ行くのだろうか?

 不安という感情を食えなくなり、死んでしまったのか。 


 それとも、どこかへ逃げて行ったのだろうか。



 次のターゲットを探して。



 (了)


お読みいただきありがとうございました。

グレムリンは、あなたの車に行ったかもしれません。

オーディオのボリュームを下げて、耳をすましてみてください。

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― 新着の感想 ―
元々がオンボロ車なら音も気にならない。まさに、逆転の発想。なるほどと思いました。 私も買ったばかりの本を読む際、なるべく折り曲げないように丁寧に扱うんですが、古い本なんかは読みやすいようにグイッと気に…
主人公側が恐れるだけではなくて、モンスター(?)側とのやりとりや対抗手段を考えるのが、なんだか映画のようにも感じました。 映画ですとギズモは可愛いんですよね。ギズモだけはずっといいヤツで、水がかかった…
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