時速120キロの叫び
「そりゃあ、1トンの鉄が動いてるんだから、音ぐらいしますよ」
あまりのしつこさに、整備士は思わず中っ腹になった。
「そりゃあそうだけど、なにか故障があるんじゃないかと言ってるんだよ」
カーディーラーを訪れた名部 敏は、何度目かの主張をした。
「どこも悪くない車にかまってるヒマはないんですよ」
整備士がピットを指すと、整備中の車が並んでいる。
憮然としながらも、名部はディーラーを後にした。
◇
──ぶつぶつ言いながら帰宅すると、妻が出迎える。
「おかえりなさい。車、どうだったの?」
「……どこも悪くないってさ」
「そうでしょ。気のせいよ、気のせい」
「でもね、確かに異音がするんだよ、走ってるとね。カチカチ、コトコトとさ」
「私は聞いたことないわよ?」
「うーん。ディーラーに行くと、音がしないんだよ」
「でも、故障じゃなかったんでしょ?」
「そうだけど、音がするってことは、何かあるはずだよ。もし、走っているときに何か不具合がでたら、困るだろう」
「ロードサービスを呼べばいいじゃない」
「それですめばいいけど、事故でも起こしたら大変じゃないか……」
──名部は、リビングのソファーにもたれかかった。
不安そうな夫の顔を見て、妻が口を開いた。
「雑田さんの旦那さんなんか、車に傷がついても気にしないそうよ」
「……雑田くんはズボラすぎるんだよ。あいつの車はボロボロだよ?」
──名部は、腕を組んでしばらく天井をにらんでいた。
「……ひょっとすると、『グレムリン』の仕業かもね」
名部は冗談ぽく笑った。
「グレムリン? なにそれ」
──グレムリンとは、機械に取り憑いて不調にする妖精の一種だ。
妻にそう説明した。
「ああ……昔、映画で観たことあるわ。かわいいやつよね」
「そんなんじゃないんだ。あれは、機械、たとえば飛行機のエンジンに入り込むとする。で、不調を起こせば墜落してしまうかもしれないだろう? 妖精というより悪魔みたいなもんだ」
「それが車に住み着いてるっていうの? 子供みたいなこと言って……」
「だって、他に原因が考えられないじゃないか」
いくら話してもらちが明かない。会話はそれで終わりだった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、行ってくるよ」
──翌日、名部は車に乗り込むと、妻に見送られ、出張先に向かった。
運転中、じっと耳を澄ます。
車内には、エンジン音とロードノイズ、カーラジオが流れている。
「ずいぶん雑音が多いな」
ラジオの声が聞き取りにくい。名部はチューニングをいじったが、変わらない。
……ふと、何か車内に聞こえる。
カチャカチャ、カチャカチャという、リズミカルな異音だ。
(……やっぱりだ)
名部が1人で乗っていると聞こえてくるのだ。
「……サスペンションが原因なのかな?」
考えながら走っていると、また異音が聞こえる。
今度はカタカタ、カタカタという音だ。
「まただ……! くそ」
音をごまかすために、名部はカーラジオのボリュームを上げた。
パーソナリティの声が雑音とともに流れてくる。
『……ザザー、それでは次のお便り。ラジオネーム「ドン・カーン」さんから。「私の彼氏は、車から異音が聞こえてくると、いつも気にしています……」』
名部は思わずラジオに耳を傾けた。
「……ふーん。やっぱり、世の中には俺と似たような人もいるじゃないか」
『それでは、次です。「私の夫は、車から異音が聞こえると言ってる変な人です」』
「……あれ? またか……?」
『次のお便りです。「うちの部下の名部は、車から異音が聞こえると言っているクレイジーなやつです」』
「え? これ、俺のことか? でも、職場で話した覚えはないぞ」
『……では、次です。いい加減に気づけよ、このウスノロ!』
「な、なんだ!?」
『お前だよ、名部 敏。お前!』
「俺のことを言っているのか!?」
『他に誰がいるんだよ! スカタン』
「だ、誰だ! 誰がしゃべってるんだ?」
『お前、オレのことを言ってたじゃないか。オレだよ、オレ。グレムリンだよ』
「グレムリン? あれは冗談だ。そんなものが本当にいるわけがない。……異音だけじゃなく、とうとう幻聴まで聞こえるようになったのか? 俺は」
『幻聴じゃねえよ、ヘニャチン野郎。オレはここにいるよ』
「そんなはずがない。幻聴だ、幻聴に決まっている」
名部はラジオの周波数を変えた。
『幻聴じゃねえってば!』
それでも聞こえてくるスピーカーからの声を無視して、名部はオーディオのスイッチをでたらめにいじる。
『……それにしても、最近の車は壊れにくくって面白くねえよな』
「な、なんの話だ?」
名部はつい口を利いてしまった。
『昔の車は壊れやすくって良かったんだ。オレは、お前ら人間の「不安」をエネルギーにして生きているからな』
「不安を……?」
『そうだよ。オレは、ちょっと音を出すくらいの力しかなかったけど、それをお前が不安がってくれたおかげで、ずいぶん成長できたぞ』
「……それじゃあ、異音の原因はお前で、それで俺が不安になっている感情を食っていたと言うのか?」
『そうだ。食って力をつけて、機械を操れる。だからこうやってオーディオも鳴らせるようになったわけだ。もっとすげえ事もできるぜ?』
グレムリンがそう言うと、車が加速しだした。
「な、なんだ? 勝手にスピードが!」
名部はあわててブレーキを踏んだが、速度は下がらない。
「お、おい! 車を止めろ!」
『あー、いいね。その不安。たまんねえご馳走だ』
グレムリンがそう言うと、ブレーキがかかった。
減速したが、前の車との車間はぎりぎりだ。
「危ない! 追突するとこだったじゃないか。お、お前、まさか、車を暴走させて俺を殺す気か……!?」
『ウヒヒ……そんなことはしねえよ。……今はな』
「だったら、何が目的だ」
『言ったろ、マヌケ。オレはお前の不安が欲しいんだ。いつ暴走するかわからない車に乗っているって、不安だろ?』
「なんだと……!」
『まあまあ、早く取引先へ行きなよ。まあ、オレは車を故障させることもできるけどな。そしたら遅刻だぜ?』
──名部は考えた。
こいつはこうやって脅して不安を煽り、それをエネルギーにしているのか?
だとすれば、恐れるのは却ってこいつの思うつぼだ。
そうだ、恐れなければ、こいつのエネルギーはなくなるかもしれない。
『……それから、こんなこともできるぜ』
車に、急ブレーキがかかった。名部は前のめりになり、シートベルトが食い込む。後ろを走っているトラックがクラクションを鳴らした。
「よ、よせ。追突されるじゃないか!」
『オレを見くびるなよ。お前、さっきちょっと安心しただろう? オレは安心が嫌いなんだ。だから言っておく。オレはいつでも事故を起こせるんだぞ』
(こいつ……はったりじゃないな)
名部は気付いた。
こいつはいつでも自分を破滅させられると。
(なんとかしなければ……。だが、どうやって?)
いっそ、車をどこかにぶつけてスクラップにしてやろうか。
そうすればこいつは消える。
そんな考えが頭をよぎった。
(……まてよ。確か、この先に……)
「……おい、グレムリン」
『何だよ、ダメオヤジ』
「この車から出て行くんだ」
『やだね』
「俺はな、車がいつ止まっちまうかって心配するのが、いちばん嫌いなんだよ」
『それがオレの大好物なんだよ。オレはお前みたいなやつが大好きなのさ』
「じゃあ、嫌いなやつもいるのか?」
『いるぜ。でも、それは教えてやんねーよ』
「車から離れたほうがいいぞ?」
『やだっつってんだろ』
「ほんとにいいのか?」
『しつけえよ、バカ』
「……だったら、勝手にしろ!」
名部はハンドルを切り、道路沿いにある解体工場に入った。
車を止めて降りると、近くにいる従業員を捕まえて喚いた。
「この車をスクラップにしてくれ! 今すぐだ」
従業員は、名部の迫力に呆気に取られている。
「早く、プレス機でもギロチンでも、なんでもいいからこの車をバラバラにしてくれ!」
「お、お客さん、廃車ですか?」
「そうだ! 早くしてくれ」
「そんなこと言っても、今すぐ解体はできませんよ。廃車手続きをしないと……」
「とにかく、今すぐこの車をぶっ壊してくれ!」
「ダメですってば。解体したいなら、書類を揃えて、また来てください」
「……そ、そんな」
背を向ける従業員を、名部は立ち尽くして眺めていた。
◇
『……おかえり。どうだった?』
力なく車に戻ると、カーラジオからグレムリンのいまいましい声がする。
『気がすんだら、早く取引先に行こうぜ』
言われるままに、名部は車を発進させる。
『まだ時間はあるからな。安全運転で行こうぜ』
その言葉を無視しながら、名部は無言で車を走らせる。
突然、ハンドルを切って国道から横道に入った。
『おいおい、どこへ行くんだ』
「さあな……俺にもわからん」
10分も走ると、すっかり人気のない道路に出た。
人家はなく、すれ違う車もほとんどない。
『おい、どうするんだ』
「……こうするんだよ!」
名部はアクセルを踏み込んだ。車はどんどん加速していく。
前方は急カーブになっていて、巨大な岩が鎮座している。
『おい、岩に突っ込む気か? 死んじまうぞ』
「そうだな。俺が死ぬか車がぶっ壊れるかだ……」
名部は他人事のように言った。
『止めろよ。気でも狂ったのか? 敏ちゃんよお』
アクセルを床まで踏み込む。
どうしてこんなことをするのか、自分でも説明できなかった。
恐れているのか、度胸があるのか。
それともただの自暴自棄か。
車は猛スピードで疾走し、岩が目の前に迫る。
スピードメーターが100キロを超える。
120キロに達したところで、名部は目をつむった。
(南無三……!)
急ブレーキがかかり、タイヤのスキール音が響く。
──車は停止している。名部が目を開けると、巨岩は車の目の前にあった。
『おいおい、忘れたのか? オレが車を操れることを』
グレムリンが嘲るように言った。
「お前が止めたのか……! だったら、なぜもっと早く止めなかったんだ?」
『何度も言わせるなよ、ボンクラ。お前の不安を煽るためだ。演技だよ』
「く……」
ハンドルを握りしめた名部の手が震えた。
『さ、早く行こうぜ。まだ間に合うから。仕事をすませて、家に帰ろうぜ』
言い返すことができない。
こんなやつに従うのは甚だ癪だったが、他にどうしようもなかった。
◇ ◇ ◇
──すっかり疲れて帰宅すると、妻が出迎えた。
「おかえりなさい。どうだったの?」
「今日は……なんだか疲れた。早く休むよ」
妻の心配をよそに、シャワーを浴びると、名部は寝床に入った。
だが、なかなか寝付けない。
ようやく眠っても、あのグレムリンの声が聞こえて目が覚める。
……夢の中でいろいろな声がめぐる。
(……車が走れば音くらいしますよ)
(……気にしすぎよ)
(……壊れるかもしれない車って不安だろ?)
(……ボロボロの車に乗ってるよ)
(……早くこいつをスクラップにしてくれ!)
(……あいつは、車から出て行かない。……そうだ、それなら……)
◇ ◇ ◇
──後日、名部はディーラーを訪れた。
「またあんたですか」
整備士は、名部の顔を見てため息をついた。
「いや、車の文句じゃなくて、もう買い替えようと思うんだよ。ここに中古車が展示してあるよね?」
「……あ、ああ、そうですか。じゃあどれにします? ……これなんか、今、名部さんが乗っている車に似てますよ」
「そうだな……」
名部は、ディーラーの敷地に並んだ車に目を通した。
「……これがいいな」
「えっ、その車ですか? 本当にいいんですか?」
「うん、いいよ。もう書類も持ってきてるんだ」
「……そうですか。それなら、3日後には納車できると思います」
「じゃあ、頼むよ」
◇ ◇ ◇
──3日後。名部は納車のためにディーラーに向かう。
この短いドライブで、愛車とはお別れだ。
そして、『ヤツ』とも……。
車を走らせていると、ふいにカーラジオのボリュームが大きくなった。
『いよいよ納車だな、敏!』
「グレムリンか。ふん、今日でこの車ともおさらばだ」
『言い忘れたけどよ、オレは車に憑いてるんじゃなくて、お前に憑いてるんだからな。車を代えても同じことだぜ』
「ほう……。じゃあスクラップにしても無駄だったのか」
『ま、そういうこった』
「……ところで、前に言った、お前の嫌いなものとやらを考えてみたんだが」
『へえ、なんだよ? ミソッカス』
「不安が好物なら、きっと、逆に鈍感なやつは嫌いなんだろうな?」
『……』
「俺の同僚にもいるんだよ。車がガタガタ鳴っても、気にもしないやつがさ」
グレムリンは返事をしない。沈黙している。
──ディーラーに到着すると、従業員が出迎える。
納車の手続きをすませると、名部は新しい車に乗り込んだ。
営業担当者や整備士が頭を下げる姿をバックミラーで見ながら、名部は車を発進させる。
車を走らせながら、名部はラジオのスイッチを入れた。
「……よう、グレムリン、今度の車はどうだ。気に入ったか?」
だが、スピーカーからはラジオの声が聞こえるだけだった。
◇ ◇ ◇
──帰宅すると、妻が出迎えた。
「おかえりなさい、どうだったの?」
妻は夫から事情を聞いて、すでに車の買い替えにも同意していた。
2人で外に出て、車を見る。
「ねえ、これが新しい車なの……?」
それは誰が見ても一目でわかるほど古い車だった。
「そうだよ。展示場のすみっこにあった、いちばんボロっちいやつを選んだんだ」
「大丈夫なの? そんな車」
「不安かい? エンジンはうなるし、あちこちで変な音がするからね」
「なんでそんな車を買ったの?」
「これなら、最初から気にしなくてもいいからさ」
「気にしなくてもいい? 何を?」
「なまじピカピカの車を買うと、汚れや異音が気になってしょうがないけど、最初から音が出てりゃあ、それが普通だからね」
「はあ……?」
「それより、ドライブでも行こう」
名部にうながされるまま、妻も乗り込むと、車は走り出した。
ロードノイズや風切り音が車内に響き、常に何かしらの異音が聞こえる。
「このシート、ぺったんこでお尻が痛いわ」
妻が訴える。
長年体重を支えていたシートは、すっかりあんこがつぶれている。
「古い車だけど、ちゃーんと整備されてるんだよ。それに、どうやらあいつもいなくなったみたいだな」
──名部は郊外の丘に着くと、車を止め、降りて背伸びをした。
「なんだか、久しぶりにいい気分だな。景色はいいし、車は快調だし」
「そう? あまり乗り心地よくないわよ」
名部の横で、妻は腰をさすりながら言った。
景色を見ながら、名部は考えた。グレムリンのことを。
説明はできないが、もうやつはいないという確信があった。
ただ、それならあいつはどこへ行くのだろうか?
不安という感情を食えなくなり、死んでしまったのか。
それとも、どこかへ逃げて行ったのだろうか。
次のターゲットを探して。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
グレムリンは、あなたの車に行ったかもしれません。
オーディオのボリュームを下げて、耳をすましてみてください。




