『ズートパ』ホイッスルブロワーと獣黒金
夫托パ市は、獣国に存在する、多種多様な獣人種族が暮らす都市の一つである。獣国の首都ではないものの、七十七ある直轄市の中で唯一、獣口が七百万人を超える最大の都市であった。
灼熱の炎炉のような暑さに見舞われた七月末、四年に一度の夫托パ市長選挙が目前に迫っていた。街中には「正義満点、清廉好行(清廉潔白こそ歩むべき道)」と書かれた選挙フラッグが溢れかえっている。電柱から朝食専門店の軒先、地下鉄の出入り口から百貨店の店内、さらには観光地や公園に至るまで、見渡す限りの場所が選挙フラッグに占拠され、何一つ例外はなかった。獅子族の獣人・ライン(Lion)の顔と笑顔が印刷されたフラッグが、猛烈な日差しの中で翻っている。
対立候補である豹族の獣人・レイポ(Leopard)は、ラインほどの財力がないため、街のあちこちを見回しても、わずかな宣伝看板がポツリポツリと見える程度であり、ラインと比べるとあまりにも見劣りしていた。
鹿族の獣人・ディル(Deer)は、『夫托パ時報』のベテラン記者である。これまでに何度も卓越ジャーナリズム賞を受賞しており、恐れを知らない毅然とした報道やスクープ連発の姿勢で知られていた。大物映画スターから政治高官、さらには子供の生誕一ヶ月祝いといった身近な話題から国際紛争に至るまで、彼が扱った報道は多岐にわたる。しかし、ここ数年は社内の予算緊縮の煽りを受け、地方政治の担当へと異動させられていた。これには彼も少々不満を感じていた。
ある日の昼、編集室の電話が鳴った。受話器の向こうから、一匹の雄の獣人の声が聞こえてきた。
「今度の市長選、かなりのネタがあるんだが、興味はあるかい?」
ディルが少し興味を示すと、その雄の獣人は続けた。
「一昨年の『アニモ・ショッピングモール(Animal Shopping Mall)開発計画』を覚えているか? 市長候補のラインは、かなりの額を懐に抱え込んだ可能性が高い。私はすべての情報を握っている。興味があるなら提供してもいいぞ!」
アニモ・ショッピングモール開発計画は、夫托パ市役所とドラゴン(Dragon)財閥が共同出資した土地区画整理事業であり、老朽化した住宅街を大型ショッピングモールへと再開発するものだった。地価は一気に五十倍から六十倍へと跳ね上がった。もともとそこに住んでいた住民からは反対の声が絶えなかったが、今年の初めに突如として全員が同意に転じた。当時から市民の間では不審に思う声が上がっていたものの、決定的な証拠がない状態だった。
「録音データがある。まずはこれを聴いてくれ」
録音の中では、しゃがれた声の雄の獣人がこう話していた。
「五千億(獣元)が通れば心配ない。ラインの方には私が手を回しておく。あいつなら市議会を動かせる」
ディルは眉をひそめ、険しい表情で尋ねた。
「この中にいる獣は誰だ?」
「オットー建設の副社長、カワウソ(オッター)族の獣人・オットーだ。ラインとは古い付き合いさ。録音テープは匿名で郵送する。だが、気をつけろよ。この案件に関わっている獣は、君や私のような小物が背負いきれる相手じゃない」
電話の向こうの獣人はそう言い残した。
数日後、ディルは予告通り録音テープを受け取った。情報提供者の雄の獣人が送ってきたものだった。提供者は証拠の差し押さえを警戒し、わざわざ「音声テスト用テープ」という名目で送付していた。
ディルは編集室にある、今にも壊れそうな旧式の音声分析機を使い、何度も声紋を照合した。結果、その声は間違いなくオットーのものであると判明した。さらにディルが調査を進めると、オットーは開発計画が通過する少し前の時期に、五千億獣元という大金を「ライオ管理顧問有限会社」という口座に振り込んでいたことが分かった。そして、この会社を所有していたのは、ラインの妻である雌ライオンの獣人・シーシーだった。
「清廉好行? フン!」
ディルは軽蔑の冷笑を浮かべ、すぐさま『獣の黒金:アニモ・ショッピングモール開発計画の裏に隠された闇取引を暴く』と題した報道記事の執筆に取り掛かった。彼は証拠を一つずつ列挙していった。オットーの録音内容、ライオ会社の帳簿、そしてドラゴン財閥の資金流出入の足取り。情報提供者を保護するため、記事には「事情を知る一匹の獣人による情報提供」と明記した。
翌日、報道が出回るや否や、獣人たちのインターネット空間(ネット世論)は一瞬にして大炎上した。夫托パ市役所とラインの選挙事務所は同時に声明を発表し、ディルの報道を「事実無根」であり、ラインに対する「悪意ある中傷」および「泥塗り(イメージダウン工作)」であると非難した。当然ながら、市民たちはライン側の反論を信じず、ネット上でのラインに対する批判は激化する一方だった。一週間も経たないうちに検察・警察が捜査に乗り出し、立件が決定。ラインとオットーは事情聴取のため出頭を命じられた。
それから数日後、ディルが編集室にいると、彼宛ての匿名の手紙が届いた。手紙の中には、ただ一行こう書かれていた。
「あいつを捕まえれば、すべてが終わると思っているのか?」
さらに数日後、ディルは他の記者仲間から、あの情報提供者が登山中に事故死したという報せを聞いた。そして彼をさらに驚愕させたのは、谷へ滑落して死亡した情報提供者の正体が、なんと、もう一人の市長候補である豹族の獣人・レイポだったということだ。しかし、現場には明らかな犯罪の痕跡がなかったため、地元の警察は「足を踏み外して谷へ滑落した可能性が高い」という理由で、うやむやに処理してしまった。だがディルは眉をひそめ、この事件には深い闇があると直感した。彼のの瞳は呆然とし、手はかすかに震え始めた。しかし、彼は悟っていた。自分はもはや単なる記者ではなく、この謀略の渦中にいる「証言獣」なのだと。何しろ、ここまで来てしまったのだから。
それ以来、ディルの元には嫌がらせの電話が相次ぐようになり、退勤時には他の獣に尾行されている気配を感じるようになった。真夜中には自宅の前に生卵が投げつけられ、ペンキをぶちまけられた。それだけでなく、新聞社の編集長宛てにも「政治的な事件を煽るのをやめさせろ」という匿名の苦情が届いた。ディルは、これが過去の政治家たちが使ってきた常套手段であることをよく知っていたが、今回の相手は少し様子が違っていた。
「これは単なる『獣の黒金(政治汚職)』じゃない。
『獣の黒幕(国家の闇)』だ」
ディルは心の中でそう呟いた。
さらに調査を深めたディルは、「ライオ会社」が実は何層ものペーパーカンパニー構造の一環であり、その背後には「ウルフ金融ホールディングス」という親会社が存在することを発見した。その会社の会長は狼族の獣人・ウルフ。そして、取締役のリストには、驚くべきことに引退した元民意代表(議員)と、現在の現職市長の名前が堂々と並んでいた。
さらに驚くべきことに、この会社の背後にある資金源は、敵対する隣国のある大公爵との間に取引記録があった。ディルの脳裏に閃きが走った。これは地方政治の腐敗などではなく、国家レベルでの金権侵略だったのだ。
彼は、引き返したくなった。死亡した情報提供者のこと、そして自分の家族のことが頭をよぎった。しかし、机の上に置かれた、すべての証拠が書き込まれたノートに目をやった。そこには、何ページにもわたって交錯する名前、資金の流れ、録音の会話記録が並んでいる。彼は、もう後戻りはできないと分かっていた。何しろ、ここまで来てしまったのだから。
「私が言わなければ、もう誰も声を上げられない」
それからしばらくして、ディルは記者会見を開き、第二弾となる調査内容を公表した。そうすれば自分が命を狙われる標的になるかもしれないと分かっていたが、自身の安全よりも、真相が永久にコンクリートの下に埋め立てられ、地元住民たちが永遠に目隠しをされたままになることの方が、彼にとっては恐怖だった。
今回、彼は報道記事を出すだけでなく、バックアップのデータをすべて用意し、海外のメディアや獣国廉政公署(汚職対策独立機関)へと送付した。獣国の政治がすぐにクリーンになるとは限らない。しかし、少なくともこの黒金との戦いにおいて、自分にできる一矢を報いることはできる。何しろ、ここまで来てしまったのだから。
検察による第二波の強制捜査が始まり、社会に激震が走った。その後まもなく、ラインは選挙への出馬辞退を発表し、ドラゴン建設の幹部たちは次々と逮捕・連行された。現職市長である虎族の獣人・タイガーも公の場で謝罪し、獣国の中央政府は廉政公署を派遣してこの事件の全面的な調査に乗り出した。
その後、ラインの出馬辞退とレイポの死亡により、二人の市長候補がいずれも参選不可能となったため、夫托パ市選挙局は市長選挙の投票延期と、選挙のやり直しを発表した。
それから約半年後、ディルは自宅のリビングに座り、淹れたての温かい紅茶が入ったマグカップを手に持っていた。テレビのニュース番組が、ちょうどこう報じていた。
「元市長候補のライン被告は、アニモ・ショッピングモール開発計画に絡む汚職の罪で証拠確実とされ、本日、禁錮十二年、公職追放八年の判決が言い渡されました……」
続いて、次のニュースでは夫托パ市の新市長に鷹族の獣人・ハル(Hawk)が当選したという知らせが流れた。ディルは静かにテレビの電源を切った。
他の誰かに守ってもらうわけにはいかないものがある。闇の底に沈んだ金は、最後には掘り起こされ、民衆の厳しい目に晒されなければならないのだ。




